ドキドキ、新生活 5
二人が目指したのは市内の端にある郊外型のショッピングモールだった。
桂の部屋からそこまでの移動は結構大変だった。車を所有していない二人が赴くには結構時間と手間を要した。
一応病み上がりの桂の体調を考慮してもっと近場で簡単に買い物を済まそうと美月は提案したのだが、桂が絶対に行きたいと譲らない。
譲歩することに。
タクシーで向かう。
スーパーを母体とした大型の建造物を中心にして駐車場内にそれぞれ独立したテナントが店を構えていた。
最初に足を踏み入れたのは安くて品揃えの多い評判のファストファッションの店だった。
この中でも美月と桂、二人の意見が対立した。美月は男であった頃から服にはあまり興味がなかった。着られればいいという感覚の持ち主だった。ワゴンセールのTシャツが数枚と後はジーンズがあればいいと主張した。それを真っ向から批判したのは桂。彼女は「美月ちゃん、可愛いんだから、もっとおしゃれしなくちゃ」と反論する。
二人の意見はしばし平行線のままだった。
「とりあえず色々と着てみようよ。試着はタダなんだから」
「……うん」
たしかに試着はタダだ。
美月は反論する言葉が見つからずに同意した。
大人しく着せ替え人形と化すことで桂の気分が良いのならば、ここは大人しく従うのが吉だと考えた。
試着室の一角を占拠して、簡易のファッションショーが開始される。
桂が選んで持ってくるのは彼女の趣味が反映されていた。ヒラヒラでフワフワ、おまけに色もピンク系統を主としている。これまでの人生で縁の無い服ばかり。
試着室の中で美月は嘆息した。恥ずかしさから着用するのに時間がかかった。しかし桂の楽しそうな顔を見ていると着ないわけにはいかなかった。
「……どうかな?」
鏡に映る自分の姿を客観的に判断できずにカーテンを開けて桂の意見を求める。
「うん、とってもよく似合ってる。……でも脚は閉じたほうがいいかな。スカート姿で大股開きはみっともないから」
指摘されて慌てて閉じる。そんな箇所にまで意識が向いていなかった。舞台上で何度か着用した経験はあったが履きなれてなんかいない。
急に女の子のようには振舞えない。
その後も何回も試着を重ねて桂の意見で服を数点購入する。
今度は下着。今は女児用のパンツを仕方がなく穿いている。本当は男物のボクサーパンツを購入したいが、そんなことを桂には言えないので我慢する。
「美月ちゃんさ、まだブラを着けてないよね。どう? この機会に試してみる?」
桂が提案をする。美月の胸はわずかな膨らみを有するだけでまだ必要性は無いはず。「嫌だ」と言う意思を込めて首を強く横に振る。これ以上恥ずかしいのは御免蒙りたい。
「これから胸は大きくなっていくんだから。最初が肝心よ。恥ずかしいのは分かるけどちゃんと着ける習慣をつけておかないと形が崩れて大人になってから後悔するんだから」
実感がこもっていた。それもそのはず。桂の胸は大きいが少し形が悪い。楽しんで堪能した身としては全然気にはならなかったが、本人は非常に気にしていた。
パンツとジュニアブラのセットも数点購入。
次の店では靴も何点か購入。
こんなに買い物をして大丈夫なのかと美月は不安になってきた。自分よりも収入が多いのは知っているが、これはいくらなんでも買いすぎなのでは。
「こんなに買ってお金大丈夫?」
美月の衣装はここに来た時のものとは違っていた。試着して購入した服の中で桂が一番気に入っていたフリルのミニスカート、ピンクのシャツ、それからデニムの上着を羽織っていた。
「子供がそんな心配しなくてもいいの。それに大丈夫よ。美月ちゃんのご両親からちゃんと生活費は頂いているから」
架空の設定のはずなのにお金を生み出すことが可能なのか。
〈問題は無い。ちゃんと策は練ってある〉
脳内でモゲタンが言うが心配を解消するにはいたらなかった。そして、それは顔に出ていた。表情が物語っていた。
「そんなに心配なの。それじゃ今から見に行こう」
桂は美月の手を引っ張って近くのATMへと歩き出した。その間美月は歩き方に気を配った。今着ているのは桂が一番気に入っていた服だった。慣れない短いスカート姿。パンツを見られるのは恥ずかしくはない。けど大股で闊歩するのははしたない、桂にさっき注意をされたから。
ATMの前に着く。桂が中に入る。美月は外で待とうとした。
〈一緒に入るんだ〉
モゲタンが指示をした。中に入り、桂が操作をする機械の横で美月は待っていた。
〈機械にワタシを触れさせろ〉
またモゲタンが指示をする。その言葉に従い桂が操作している横で軽く時計を当てた。預金通帳が機械から出てくる。
「ほらっ」
そこにはたしかにそれなりに金額がイバ名義で記帳してあった。
(どういうことだ?)
〈心配は無い。君が良心の呵責に苛まれる必要は無い。休眠口座という使用されていない口座から少しだけ拝借して、それをデイトレードでいくばくか増やした。それに君の持っている口座のお金も運用に使用しているから罪悪感を覚える必要は一切ない〉
休眠口座というのは最後の取引から十年以上経ったもの、さらに一万円以下の口座のこと。
(……しかし)
〈問題はない。もう終わった。借用したお金は元の口座へと返却した。今あるのはワタシが能力の一部を使用して稼いだ資金だ〉
なんとなく納得はできなかったが美月は渋々了承した。
背に腹はかえられないから。
買い物がひと段落して遅めの昼食を。
二人が入店したのはイタリアン系のファミレスだった。
二人ともランチを注文する。よく食べた。桂は昨日までの食を取り戻すかのように。美月は自らの、そしてモゲタンの活動に支障をきたさないように。
「ねぇねぇ、デザートも食べようか?」
桂は甘い物が大好きだった。普通の食事よりもそちらを優先して余計な箇所に脂肪をつけていた。それをよくベッドの上でからかっていた。でも、昨日一緒に入った時に見た姿は少しだけ痛ましい感じがした。元の元気な姿に早く戻ってほしい。だから美月はその意見に賛成した。
追加の注文をした直後、美月の頭の中に警告音のような音が響く。
(おい、この音ってまさか)
〈ああそうだ、データがこの近くに存在して活動を始めている。急いで回収しないと大きな被害を出す可能性がある〉
店の外から轟音が響いた。その音は車同士が衝突したようなもので、直後に爆音までした。店のガラスを揺らす。
「なに、今の?」
「見てくる」
美月は席を立ち店外へと、音のする方向へと走り出した。
「駄目よ、危ないから」桂の呼び止める声を背中で聞いたが立ち止まらない。
先程の轟音はおそらくデータが活動し、それによって生じた何かしら事件の音だろう。
ファミレスから少し離れた駐車場から黒煙が立ち上っていた。
美月は全力で走った。制限していた力を全て解放して速度を上げる。一陣の風のようだった。スカートというのが功を奏していた。羞恥心があるのならば捲りあげてパンツ丸出しの状態で走るのには抵抗があっただろう。男であった美月にはそんな感情はなかった。だから脚を制限無く大きく動かせる、膝を自由に回転させて駆け続けた。
〈変身するぞ〉
「……変身?」
〈そうだ、このままの姿では戦えない〉
了承する前にモゲタンは美月の姿をあの魔法少女もどきへと変貌させていた。
データは大型トラックに取り付いていて暴走していた。速度こそ出てはいなかったが、その巨体で駐車している車の上を蹂躙していた。爆発の正体は、その中の一台が運悪く引火して燃えたものだった。
〈君の力が必要だ、協力してくれ〉
モゲタンの声が頭の中で響く。
走ってきた勢いのままで美月はトラックに対して跳び蹴りを放とうとした。
しかし、次の瞬間力を緩めた。脚を止め、トラックと対峙するかのように立ち止まった。
〈どうした? 何故立ち止まる〉
「駄目だ。まだ中に人がいる」
運転席には気を失いハンドルの前のめりでもたれかかっているドライバーの姿があった。
あのまま蹴りを放っていたら、ドライバーは無事では済まなかったであろう。
〈どうするつもりだ? このままデータを野放しにするのか?〉
「まずはドライバーを救出する。破壊と回収はそれからだ」
美月を敵と認識したのか、それとも前のみを見て走る習性なのかは判別できないがトラックは真っ直ぐに突っ込んでくる。ギアを上げて速度が増す。美月は巨体と真正面から、両手を突っ張り受け止めた。
〈どうして避けない?〉
「後ろっ」
短く、そして鋭く叫んだ。
美月の背後にはまだ事態を飲み込めていない買い物客であふれていた。そして、その先には何も知らない人が買い物をしている建物もあった。避けてしまえば被害は大きくなるのが目に見えている。
それを回避したかった。
小さな身体が大きなトラックに徐々に押されていく。
力負けしそうになる。
踏ん張りがきかなかった。美月の足にはヒールの高い靴が。
これでは力をちゃんと地面に伝えられない。強大な力に抗えない。
〈少しの時間でいい、踵を上げろ〉
モゲタンの指示が飛ぶ。美月はトラックを止めながらも、わずかな時間踵を浮かせた。しかし、直ぐに下ろす。上げた状態では余計に力が入らない。足裏が全て地面と接地した。いつの間にかヒールが消えていた。膝裏を伸ばして力を入れる。トラックは停止した。
〈車体を持ち上げて前輪を破壊しろ。それで暴走を止めることは可能になる〉
「了解」
バンパーの下から持ち上げる。前輪が空転する。少しだけ宙に放った。タイヤが再び地面に接するまでほんのわずか数秒でしかなかったが美月には十分な時間だった。右の前回し蹴りで左のタイヤを破壊。その勢いのまま左足の後ろ回し蹴り、これで右を壊した。
美月には格闘技の経験はなかった。が、アクションの経験はそれなりにあった。その時の経験が役に立つ。
頭で描いたイメージ通りに身体が動く。
動けなくなったトラックからドライバーを救出するのは簡単だった。目立った外傷もなかった。車外へと連れ出し、安全な場所に寝かせる。そこに人が集まってくる。任せておいて大丈夫だろうと判断して、その場を離れた。
〈後はデータの回収だけだな〉
「大勢の人がいる場所で爆発させるわけにはいかない。正確にデータだけを回収できるか」
〈可能だ〉
データが付着したエンジン部を指示に従い正確に右の貫手で打ち抜く。そして回収する。
〈ところで一つ聞きたいのだが。ワタシが参照した映像によればこういう戦闘時には技の名前などを高らかに叫ぶのではないのか?〉
「そんな恥ずかしいことできるかよ」
多くの漫画やアニメでは戦闘時に技の名前を叫ぶことは知っている。しかし、それはフィクションの世界でのこと。舞台の上ならばいくらでも叫べる。けれど現実に行うのはかなり恥ずかしい行為。
野次馬の目を避けるようにして現場を後にする。変身を解いて戻ると、ファミレスの前では桂が腕組みをしながら待っていた。
「美月ちゃん、もしかして見に行ってたの?」
肯く。本当は事件を解決しに行ったのだが、それは素直に報告できない。
「心配したんだから。勝手に行っちゃ駄目だから」
「……ごめん」
「はい、素直でよろしい。それじゃ買い物の続きしようか。まだまだ買う物は一杯あるんだからね。それじゃ行くよ」
夜のニュースでショッピグモールの戦闘の映像が流れた。誰かが動画を撮ってテレビ局へと送ったらしい。
「これ昼間の爆発? すごいね、こんなのあったんだ」
映像に現実味を感じないのか桂は暢気に言う。
変身しておいて良かったと美月は心の底から安堵した。これが美月の姿のままだったら桂はどんな反応を示したであろう。詰問され、そこから正体がばれてしまう可能性だってある。
〈変身しておいて良かっただろ〉
淡々と言っているのだが、どこか勝ち誇っているように美月には聞こえた。
尚、余談ではあるがトラックの暴走は原因不明と判断され、メーカーが責任を問われるちょっとした社会問題にまで発展した。