ある夏の夜の献立
勉強会の面々を夕方近くに見送った後、美月は夕食の準備を始めた。
本日は、そうめんとすでに決めてあった。
これは帰省で散財したために財政難に陥り、桂の給料日まで頂き物のそうめんで耐え忍ぶ、という理由ではなく、久し振りに実家の味を堪能し、かつ普段美月と一緒にしていた軽めの運動とストレッチをおろそかにした結果、桂の体重が少しばかり増えてしまったことが起因だった。
それに美月自身もそうめんを作りたいと思う要因が。
桂の母親から手渡されたレシピノートに、万能に使えそうなめんつゆの作り方が。
それを手本に。
昆布と鰹節で出汁をとる。
時間と多少の手間はかかるが、それは美月にとっては全く問題がない。
昨日から仕込んでいためんつゆを、いざ実食で。
だが、そうめんだけでは物足りない。
付け合わせに選んだのは鳥のささ身。高蛋白で低脂肪。
今の桂にはうってつけの食材だった。
ささ身を湯引きする。これを、そうめんと一緒にめんつゆで食べる。
そして卵。そうめんの付け合わせとするならば、ここは錦糸卵にするのが常套だろうが、美月は卵焼きを。
というのも、夏休みに入る前から美月にはお弁当がいらなくなり、一緒に作っていた桂の分も作らなくなっていた。そして今朝、桂から甘い卵焼きを食べたいとリクエストがあったので、錦糸卵でなく卵焼きに。
後は、焼き茄子。
美味しそうな秋茄子が入荷していたので事前に購入していた。
これを縦二つに切り、コンロの上に網を敷きその上で焼く。味付けは鰹節を乗せ、醤油を垂らすというプランも考えたが、美月がチョイスしたのは味噌。
東海地方で絶大な人気を誇るチューブ型の味噌調味料。これをお好みでかけてもらう。
下ごしらえを終え、後は桂の帰宅を待つばかりだった。
桂が帰宅後、美月はそうめんを茹で始める。
鍋に大量の水を張り、沸騰したところで麺を四束投入。
噴きこぼれそうになっても差し水はしない、コンロの火加減を調整して対処する。差し水をすれば噴きこぼれを抑えることはできる。しかしその代わり湯の温度が急激に下がってしまい麺に腰がなくなる、らしいと昔教わったからだった。
頃合いを見計らい冷水で絞める。
丁度良く、桂もメイクを落とし部屋着に着替えてリビングに。
夕餉の始まりだった。
食べながら、互いの今日一日の出来事を語り合う。
そんな中で、
「そういえば二軒隣の空室に誰か入るかもしれない」
昼間のことを美月は桂に。
「前田さんは留学が決まったとかで出ていったもんね」
「そうなの?」
「あれ知らなかったの? 前田さんは経済の勉強というか、資格を取るために仕事を辞めてアメリカに行ったんだよ」
近所付き合いが希薄だったとはいえ、一応顔と名前の認識はあるし、会えば会釈程度だが挨拶はしていた。
「知らなかった」
この言葉には二つの意味合いが。
一つはそのまま空室になった理由。そしてもう一つは、桂は自分が思っていた以上にご近所との付き合いがあったこと。
「まあ、稲葉くんはあんまり前田さんとはそんなに顔を合わさなかったもんね」
たしかのそうだが、
「……これからはもう少し近所との関係を良くしようかな」
おそらくもうしばらくは伊庭美月としての仮初の生活が続くだろう。世間を避けるような生き方ではなく、もう少し愛想のいい生活をしてみようかと。
「そうなの。じゃあ、今度引越してくる人とは、ちゃんと付き合わないとね」
「うん、そうするよ」
その後話題は美月の手作りのめんつゆへと移行していった。
楽しい夕餉は続いた。




