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ばんがいへん 6


「お疲れ様でしたー」

 三々五々と散っていく他の観客とは別に、美月みつき美人みとと一緒に紙芝居の人のもとへと。

「どう、楽しんでもらえたかな? 新井さんも?」

「……えっと……ビックリしました」

 この美人の言葉に二つの意味があった。

 一つは、紙芝居の上演に驚いたこと。電話で美月にすごいとは聞かされていたけど、内心はそんなに期待なんかしていなかった。が、本当にすごかった。

 もう一つは、後ろをついてきただけで、まさか言葉をかけられるなんて思ってみなかった。

「まあ、こんなオジさんがこんな場所で紙芝居をしているなんて普通は驚くよな」

 見当違いの言葉に美人は押し黙ってしまう。

「いやいや、オジさんなんかじゃないですよ」

 美月の言葉。

 美月の実年齢よりも少し上の彼をオジさんとして認識してしまったら、自らもオジサンになってしまい、それはひいて言えば同い年の桂をオバさんとしてしまうことになる。

 だから、否定の言葉を。

「だけどさ、君が喜んでくれたから今回も受けると思って落語ネタをかけたのに、新井さんは最初戸惑っていたみたいだからね。上演中に思ってしまったのよ。若い子には落語は通じないか。落語を楽しんでいる俺はもしかしたら自分でも気が付かないうちに老化してしまったんじゃないのかって」

 たしかにその言葉には一理ある。

 中身が成人だから美月は落語ネタの紙芝居を楽しめた。だが、純粋に若い美人には笑いがあったけど、美月ほど楽しめたかどうか。

「……面白かったです…でも、その前の作品のほうが楽しいかなって」

 美人が声を出す。

 その声は小さくか細いものだったが、二人にちゃんと聞こえた。

 引っ込み思案で、人見知りしやすいのに、自分の想いを口に。

 男子三日合わざれば刮目して見よ。まあ美人は女子だが、それはともかく、少し合わない間に成長をしている弟子に感動して美月は内心ジーンとなり、思わず涙が落ちそうになったが、それを堪える。

「そうか。しかしまあ、君たちは見た目だけじゃなくて中身も全然違うよな。本当に同い年なの? 実はどっちかが実年齢を誤魔化していたりして」

 ギクリとしてしまう美月。

 その指摘は正解だ。

 だけど、それは誰にも知られてはいけない、知っている人間もいるけど、絶対に秘密。

「あ、あの、ちょっと質問があるんですけど」

 多少強引かもしれないけど、美月は慌てて話題を変えようとした。

「うん、何?」

「上演中時折、誰もいない方向を観て芝居をしていましたよね。あれってどうしてですか?」

 この人の紙芝居の上演は観客に満遍なく視線を送りながら行っていた。それは観ている側が自分たちに向けて紙芝居をしているんだと思ってもらえるためにしているような趣旨を先週話してくれた。だけど、明らかに何度かベンチの遥か後方に遠く視線と声を向けて上演していることがあった。

「それってエスカレーター脇の柱の後ろ側に向けて芝居をしていたこと」

「そうです」

「ああそれはね、神様に奉納するためだから」

「「かみさま?」」

 美月と美人の疑問の声が同時に上がった。

「あ、今俺のことちょっと危ない人間だと思ったでしょ」

 正直美月はそう思って首を縦に降りそうになったが、筋肉を無理やり動かし横に振る。それ位の芸当ができるくらいの大人なのだ。

 一方美人は、根が正直すぎて肯いてしまう。

「大丈夫、心配しなくても。別に宗教にかぶれているおかしな人間じゃないから」

 笑いながら紙芝居の人は言う。

 ならば、神様への奉納というのはどういう意味なのか?

「それじゃ神様への奉納というのは?」

 疑問を素直にぶつけてみる。

「説明するのは長くて面倒で、あんまり整合性がとれていないかもしれないけどいい?」

 美月自身は問題ない。しかし今は美人と一緒にいる。彼女に意思はどうなのだろうか? 一人でなら何時間でも話に付き合う覚悟のようなものがあるが、それをこの年下の友人にまで強要するつもりはさらさら無い。

「……聞きたいです」

 その意思を確認する前に答えが。

「あ、僕も」

 美月も追随する。

「それじゃ何から話そうかな。……うーんとね昔、まだこの場所で紙芝居を始めた頃かな、その頃はさ全然お客さんがいなくてさ、まあ今もあんまりいないんだけど、それは置いておいて、そんな時に偶然ある言葉というか単語を知ったんだ。わざおぎって聞いたことある?」

 初めて聞く言葉、というか単語だった。

 美月と美人はそろって首を横に振る。

「古事記や日本書紀に出てくるものなんだけど、漢字で俳優と書いてわざおぎ。まあ、俳優の語源になったような言葉かな。どういうものかというと神様や人々を笑わせ楽しませる人のこと」

 そんな言葉があったのかと美月は素直に驚いた。

 しかし、それではまだ説明になっていない。

 紙芝居の人の言葉は続く。

「こういう場所での上演なんかしたことがなくて全然声も観ている側に届かなくてさ、その時に思ったんだ。エスカレーターの向こうに観客、いや神様がいると仮定して、ああほら日本はいたるところに神様がいるという文化だから、そこに声を届ける、芝居を届けて観て楽しんでもらうというのを心掛けて演っていたんだ。まあ、奉納というのは大げさな表現だけどさ、そんな気持ちも込めて上演していると。それで時折、エスカレーター脇の柱の向こうに視線を送るんだ」

 こんな考えもあるんだ。やはりこの人は面白いと美月は思ってしまう。

 と、同時にこれから先意思さえあれば常に観に来ることができる美人を少しだけ羨ましく思い。そして自分に代わって興味を持ってくれたらいいなという願望を懐いてしまう。

 だがそれを口には出さない。

 美月が言えば素直な性格の美人は従うかもしれない。

 しかし、そんな強要するようなことは絶対にしたくない。指導や助言はするけど、美人が今後歩んでいく人生は彼女自身のもの。

 余計な口出しをしてしまうのは。

 そんなことを美月が考えている間にも、紙芝居の人の話は続いていた。

「それでさちょっと関連があるんだけど、これを見てほしいな」

 そう言って指示したのは台座の横に立てかけられていた手書きの看板。

 そこには平仮名で、かみしばいの文字。

「これどうして平仮名で書いてあると思う?」

「観るのが子供達だから分かりやすいように平仮名で書いたんじゃ」

「うん、そういう側面もあるけど別の理由があるんだ。それはさっきの神様への奉納って意味や、それ以外のものを併せ持たせるためにわざと漢字を用いずに書いたんだ」

 それ以外という言葉美月の頭にひっかかった。

「もしかして他の意味って上方落語のかみですか?」

「おお、正解。その通り。でも他にも大事なものが含まれている」

 考える。

「……降参です」

 そう言って美月は両手を上げた。

 同じように考えていた美人も無言でうなずく。

「それは噛んでしまうこと。これだけの種類の紙芝居を全て完璧に近いような状態で上演なんかできないから多少の失敗には目を瞑って、大らかな気持ちで楽しんで下さいという、ある種無責任というか、自虐的なもの」

「……なんだー」

 どんな意味があるのか固唾をのんで待っていたのに肩すかしを食らったような心境で、美月の口から間の抜けたような声が。

「……噛んでもいいんだ。面白いね。……また観に来たいな」

「おお、観に来て観に来て、大歓迎だよ」

 美人の漏らした言葉に紙芝居の人が素早く反応する。

 その反応の速さは少しばかりがっつきすぎだろと美月は内心思ったけど、稲葉志郎が同じような立場でそんな発言をされたら、おそらく一緒の反応をしてしまうだろうと思い直し、さっきの考えを自分の中で封印した。

「……でもここまで来るのは大変だから……今度は一人で来られるかな」

 不安がこもった声。

 今日は頼もしく、そして尊敬できるような友人が一緒だから無事に来ることができた。だが一人では、近鉄四日市駅までは来ることができても、その後が不安だ。

 実をいえば、乗り換えのために多少移動するだけで、東京の路線のような複雑さはない。だが、それでも美人が不安に思ってしまうのは慣れていないことへの不安。この一点だった。

「そんなに面倒くさいかな? どっちを利用してきたの?」

 この質問を美人は理解できなかったが、美月は、

「あ、近鉄です」

 理解して答えた。

 県内を走る鉄道は主にJR東海と近鉄の二線。

「ああなるほどね。そっか、それは日永線に乗り換えるためにちょっと歩くよな」

「そうなんですよ。初めてだから、ちょっと戸惑ってしまって。まさか階段を上って、また下りるなんて思いませんでしたよ」

「そっちから行ったのか。あれね、左の階段を下りて、それから右手の交差点を渡ったら駅に出られるんだよ」

「えっ」

 知らなかった。

「そういえば名古屋と言っていたけど、何処の駅から乗ってきたの?」

「…えっと八田という名前の駅です」

「ああ、それなら本数は少ないけどJRで来れば、南日永よりもちょっと離れているけど南四日市という駅まで一本で来られるよ」

「えー」

 JRのことは完全に盲点だった。

 というのも津市で生まれ育った美月には三重県で電車と言えば近鉄という固定観念に凝り固まっていたからだった。

「それにJRのほうがたしか運賃も安かったはずだし」

「「えーーーー」」

 師弟関係のなせる業なのか、それとも友人としてだろうか、はたまた偶然の産物なのか、当人達にとっても分からないが、とにかく同じタイミングで驚きの声が。

 というわけで、オチがついたところで「ばんがいへん」の幕を下ろしたいと思います。


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