ばんがいへん 4
木曽川を越えると、三重県に入った。
つい数日前まで過ごしていた三重に美月は再び舞い戻ったことになる。
どうして戻ってきたのか?
それは大事な用事があったからだった。
美月と一緒に近鉄の急行の車両に乗り込んでいる人物、新井美人。彼女との約束を果たすためだった。
事の発端は電話で四日市のショッピングセンターで催されている紙芝居の上演を観に行くことを勧めたこと。
あの紙芝居の上演を観ることは、美人の今後の演劇人生において大きな影響と刺激を与えてくれるのではいのか、という弟子を思う師匠の親心のような気持ちでの言葉だった。
だが、美人は行くことを躊躇した。
その理由は、中学生という年齢で紙芝居を一人で観るのは恥ずかしい、というものだった。
なら、今度の日曜日に一緒に観に行くと、約束を。
それならば、桂と一緒に帰京せずにもうしばらくの間桂の実家に厄介になり、そのうえで美人と一緒に紙芝居の上演を観に四日市のショッピングセンターへと赴けばと読者諸兄は思われるかもしれないが、身内でもない人間が長く滞在するのは申し訳ないと思うし、それに一人で桂を帰すのは寂しがるのが目に見えている。
だけど、それ以上の理由が美月にはあった。
それは冷蔵庫の中身。
当初は日帰り、もしくは一泊で帰るつもりであった。それが思いのほか長逗留に。こんな長い時間放置しておけば、いくら冷蔵庫の中とはいえ腐ってしまう。
その片付けのため。
というわけで、冷蔵庫の中の腐ってしまったものを処理し、日曜日だけど仕事の桂を見送り、こうして戻ってきたのだった。
長島を超え、長良川揖斐川を渡る。
左に大きくカーブし、しばらくすると桑名駅が見えてきた。
桑名駅を過ぎると、そこは全国でも珍しい三種類の軌間の線路が走る区間だった。近鉄名古屋線1435㎜、JR1067㎜、三岐鉄道北勢線762㎜。しかしながら鉄道の全く興味のない二人は全くそんなことを知る余地がなく会話に興じていた。
電車は桑名市を抜け、朝日町へ。すぐに川越町に入り、やがて目的の四日市市へと。
近鉄四日市駅に着いてからが少し大変だった。
ショッピングセンターの最寄り駅に行くためには乗り換えるのだが、乗り換えのために一度改札を出る必要があった。
改札で駅員に乗り替えの旨を告げる。
案内板に従い歩く。
「……なんか大変だね」
美人が小さな声で漏らす。
その意見に心の中で同意した。
上ったり下りたりで、非常に面倒くさい。
これでは美人が興味を持ったとして今後一人で来るのに支障をきたしてしまうのではないのかと内心心配してしまう。
内部線西日野線のホームに。
ここでも少し面倒事が。件のショッピングセンターの最寄り駅は南日永。
うっかり西日野線に乗ってしまうと降りることができなくなってしまう。
もっともその手前の日永駅で下車してショッピングセンターまで歩くという手段もあるが、まだ昼前とはいえこの暑い季節美人を炎天下の中を歩かせるのは。
運よく内部線に上手く乗ることができた。
「小さいね、この電車」
美人の言葉はもっともだった。
この路線は桑名で美月たちが乗った電車の横を走っている三岐線線路と同じ規格。
通称ナロー線と呼ばれる日本一狭い線路幅だった。
南日永駅で予定通りに下車。
が、ここでも問題が。降りたはいいが、無人駅の前にはすごく狭い道。
この道があのショッピングセンターにまで続くとは思えない。
〈案ずるな。ワタシが案内しよう〉
どうしたものかと思案していた美月の脳内にモゲタンの声が。
脳内で指し示す通りに美人を連れて歩き出す。
日永神社の境内を抜けて、やたらと交通量の多い東海道を横断し、住宅の隙間を縫うように通った小径を通り、ようやくショッピングセンターの敷地内に。
実をいうと、こんなルートを選択せずとも、駅から出てすぐ北に進み、大通りを東に行けばショッピングセンターの姿が見えてくるのだが、モゲタンが最短の道を指し示したためだった。
ともかく、これでようやく到着したのだった。
先週は南側の屋上駐車場からショッピングセンターの中へと入ったが、今回は北側の入り口から。
入店する二人の目の前には食料品売り場が。
途端に美月は強烈な空腹を感じた。
食料品を見ただけで空腹を感じるなんてあさましいと思われる人もいるだろうが、これには理由があった。
美月が美人との待ち合わせの場所にまで来た手段は、自身の持つ能力。
空間を跳躍する力を駆使して名古屋まで移動していた。
この能力は便利だった。一二度の跳躍ならば、さほどの疲労も感じない。しかし、その反面連続しての使用、まして東京名古屋間といった長距離移動には適していない。大量のエネルギーを必要とするし、身体に負担もある。ならば、公共の交通手段を用いて来ればと思われるかもしれないが、費用の問題、そして何よりも時間的な制約があった。
美月は桂を見送ってから家を出た。
その時間では新幹線はもちろん、羽田空港からセントレアまで飛行機を使用したとしても約束の時間には間に合わない。
約束を守るための手段。
事前に大量の補給食を用意し、それを移動中に食べていた。体内から消失していくエネルギーの補充をしていた。
計算上はそれで事足りるはずだった。事実、美人と再会し、ここまで来る間はまったく空腹を感じてはいなかった。
それが突然どうして?
疑問に思ったが、すぐに自己解決を。
もうすぐ正午になる。お昼ご飯の時間だ。
それに今のこの身体は育ち盛りだし。
「どうしたの美月ちゃん?」
強烈な空腹に見舞われて足を止めてしまった美月を気に掛け美人が言う。
「ううん何でもない。……でもないか……紙芝居の上演まではまだ時間があるから先にご飯を食べようかなって思って」
紙芝居の上演は午後一時から。まだまだ時間がある。
「うん、いいけど……あまり高いところは無理かな」
控えめな小さな声。
中学生だから財布の中身は限られている。それでなくともここまでの交通費もあるし、帰りの分も残しておかないといけないし。
前回紙芝居のお兄さんにご馳走になった店は安価でボリュームもあった。だが、それは社会人としたら安価であって、学生、ましてや中学生にとってはちょっとばかりお高い昼ご飯になってしまう。
美月は思案した。
そこであることを思いつく。
「とりあえず、フードコートまで行ってみよう」
この思い付きが正解ならば、最適な店がそこにあるはず。
「うん」
快諾の返事が。
美月と美人は横並びで、ショッピングセンターの南側にあるフードコートを目指した。
美月の思惑通りにその店はフードコート内にあった。
名古屋のソウルフードにして、東海地方全域で愛されている味。
そう、スガキヤラーメン。
幼いころから慣れ親しんできたラーメン。
かつては東京にも店舗があったのだが、今はもう撤退している。
料理人の娘にこのチープでありながら癖になる味を紹介してもいいのだろうかと一瞬美月は思ってしまうが、美人が今後この東海地方での生活をしていく上で必ずと断言してもいいくらい絶対に口にするはず。それならば、今この場で一緒にその初めての味を体験させてしまうのも別段問題ではないのでは。
女子中学生の初めての体験。そう考えると、なにやら淫靡な雰囲気が。
そんな邪な思考を打ち消してくれたのは美人の声だった。
「あ、このお店聞いたことがある。CMで眼鏡をかけたオジサンがギターを持って歌っていた。……でもあれカップラーメンじゃなかったんだ」
美人が観たのは間違いなくカップラーメンのCM。だが、元はこうして店舗。
スガキヤのカウンターに二人で。
メニューを見て美人は驚いた。
値段の安さもさりとて、セットメニューにソフトクリームが付いてくるとことに。
昼時だというのにフードコートは人影がまばらであった。
席を探すのは楽だが、これではあまり活気がないような。
この人の少なさは紙芝居の上演にも影響が出てしまうのでは。前回観た時には最初感覚客は美月一人だった。
また今回も自分たちだけでは。
演者でもないのに心配をしてしまう美月だった。
それはさておき、スガキヤのラーメンを美人は気に入ってくれた。
もしかしたらお気に召さないのではいう危惧もあったが、それは杞憂に終わってくれた。
美月としても久し振りの味は懐かしく、また美味しく感じた。
だが、同時に物足りなさも覚えた。
それは大盛りを頼んだのに量が足りないこと。
そしてもう一つ、胡椒の味だった。
最後に食べた記憶は馬鹿ばかりやっていた高校時代。その時は悪ふざけもあって、寿がきやラーメンの特徴の乳白色のスープが黒くなるくらいに胡椒をかけて食べていた。
今にして思えば、本当に馬鹿なことをしていたと反省の極みである。
ラーメンを食べ終え、デザートのソフトクリームも味わい、その後しばらくフードコート内で久しぶりの話を。
そうこうしている内に紙芝居の上演の時間が近付いてきた。
二人は、紙芝居の上演のある二階の南エレベーター前へと移動した。




