里帰り、かんこう 結
桂の実家で過ごす最後の日は、ちょっとした宴になった。
東京に帰る二人を送迎する意味も込めて、当初はちょっと高価な外食でもしようかという話が出たが、美月がそれを固辞した。
というのも、これまでも十分にお世話になった、その上さらに高価な外食で送ってもらうのは心苦しいと感じてしまう。
そしてもう一つ理由が。どちらかと言えば、こちらのほうが断る理由としては大きかった。
それは桂の家の味を覚えるため。
二人での生活に戻っても、この家の味を桂に味わって貰いたい、そう思ったからだった。
一応はお客様なのだから、そんなことをする必要はない、桂の母親もそう言っている、のだが美月は一緒に台所に立ち横で手伝いを、言い方は悪いが味を盗む努力をした。
出来上がった料理を桂が運ぶ。
先に食卓に着き、もうすでに一杯ひっかけている桂の父と文尚が我慢できずに、つまみとして箸を伸ばすが、それを成瀬家女性陣に窘められる。
全員が食卓に着いたところで小規模の宴会が始まる。
美月はほぼ同世代の文尚との会話を、見た目はそんなことはないのだが、楽しんだり、偶に呑んでいる二人にお酌したりした。
楽しいと思える時間ではあったが、それが永遠に続くわけではない。
物事には終わりがやってくる。
つまり東京に帰る時間が迫ってきた。
行きは新幹線を利用し、近鉄に乗り換えて三重県にまでやって来た。
だが、帰りには異なる手段で帰宅することに。
それは深夜の高速バスを使うこと。
来る時には選ばなかったこの選択肢を選んだのには、それなり理由が二人にあったからだった。
新感線に乗ることを前提にするならば桂の実家を去る時間が早くなってしまう。その点深夜バスを使用するならば、遅くまで滞在できる。
元々は日帰りの予定だったのが、長逗留することになり、それならばと二人で出した結論だった。
それに色々と散在し、財布がピンチであるという事実も加味してだったが。
楽しい時間だったのだろうか、それとも美月のお酌に快くしていつも以上のペースで呑み過ぎてしまったのだろうか、はたまた娘の桂と別れるのが寂しくて深酒をしてしまったのだろうか、ともかく桂の父親が酔い潰れて寝てしまう。
その後、息子も同じように。
この一週間、お世話になったお礼と挨拶をしてから出るつもりであったが、これではそれどころではない。
仕方がなく寝ている二人を置いて出ることに。
桂の母親の運転する車で桑名駅、正確に言えば西桑名駅前、まで。
所要時間はわずか十分ほど。
その短い時間でも、別れを惜しむように女三人、と言ってもいいのか少し疑問符がつくが、は話をして盛り上がっていた。
せっかく夏だというのに、急な来訪だったために浴衣を準備していなかった。来年の夏には用意しておくから絶対に遊びに来るように言われ、「だったら、お正月に晴れ着は」と桂が言い、それはちょっと大変だという返答。浴衣はいいけど、晴れ着を着る勇気はないなという本音を隠しつつ美月は盛り上がっている親子の話に耳を傾ける。
親子の話題は駅に近付くにつれ、ちょっとだけシリアスに。
「美月ちゃん、この子の事よろしくね」
「お母さん、私が保護者だから」
「あのね、料理の一つもできない娘がこんなしっかりした子の保護者面をするのは百年早いわよ」
「あのー、これでも一応教師なんですけど」
「大丈夫なのかしらね、この子の授業は? ああ、そうだ。美月ちゃんに見て貰ったら」
「あっ、それいいかも。美月ちゃんの進学先は私のいる高校はどうかな?」
稲葉志郎に戻るために鋭意努力中なのに、そんな先にことを言われても。
どう答えていいのか分からず、首を小さく傾げ笑うだけだった。
バスロータリーで二人を降ろし、桂の母親は一足早く帰宅。
というも、バスロータリー内で駐車することは流石に躊躇われ、かといって近辺に車を停めるのは手間なので、ここでいいと桂が言ったためだった。
事前の予約しておいた深夜バスの到着時間まではまだしばらく時間があった。
夜風が少し肌寒くかんじて二人は待合室に。
「ねえ、さっき渡されたのは何だったの?」
車を降りると時に美月は桂の母親から一冊のノートを手渡された。
「さあ?」
まだ中を見てはいない。何が書かれたノートなのか皆目見当がつかない。
「見てみようよ」
「了解」
早速ノートを開いてみる。そこには数々の料理のレシピが。
つまり、成瀬の味がそこに記されていた。
「こんな大事なもの貰えないよ。これは俺じゃなくて桂が受け取るべきものだろ」
母から娘と伝えていくべきものじゃ。
「いいんじゃないの、稲葉くんで。……一緒になった時にちゃんと家庭の味が伝わっているんだから。ということで、早く元の姿に戻ってね」
「それについて異存はないけど。けどさ、さっさと戻ったらさっき車の中で言っていたことが何一つとして実現しないぞ」
美月としては浴衣も晴れ着も着ないで済むにならば、それにこしたことはない。だが、車内で親子はあんなに盛り上がっていたのを考えると。
「それはちょっと残念かな。……そうだ、元に戻った後で、もう一度美月ちゃんに変身するというのは?」
「できるのか?」
左手のクロノグラフ、モゲタンに美月は問う。
〈不可能だ。君が元の姿に戻るということは、データをすべて回収し、ワタシが君のもとを離れるということ〉
「無理だって」
「そうか。……ああ、どうしよう? 早く稲葉くんに戻ってほしいけど、着物姿の美月ちゃんも見たいし、それに一緒に教室にいるというシチュエーションもちょっと捨てがたいものがあるし」
頭を抱え、本気で悩む桂。
そこに定刻通りにバスが到着。
日付が替わる間際にバスは東京を目指して走り出した。
そして翌朝、池袋に無事到着。
こうして美月と桂の里帰りと、思いもかけぬ観光が幕を閉じたのだった。




