里帰り、かんこう 17
「遅くなってごめん」
夜空を彩っていて花火が消え、大勢の来園者が足早に帰宅の途についている中、一人ベンチに座りながら頬杖をついている桂に美月は謝罪の言葉を投げかけた。
本当はもっと早くけりをつけ戻ってきて、桂と一緒にまた花火を楽しむつもりだったのに、思った以上に苦戦してしまい、その結果がこれだった。
無言で美月を見ている桂。何も言ってくれない。
待たせてしまったことを怒っているのでは美月は勘ぐってしまう。
しょうがないじゃないかと内心では思うものの、それを口に出せば余計に機嫌を悪くしてしまい、下手をすればそれが長時間もの間続いてしまう可能性があることを長年の付き合いで経験して知っている。
二人の間に沈黙が。
先に口を開いたのは桂だった。
「おかえりなさい」
口調からして、どうやら怒ってはなさそうだ。
美月はほっと胸をなでおろした。
が、油断はできない。内に秘めた怒りというものが存在することも。
声や表情では分からない。
女というのは生まれながらにしての役者。心と裏腹なことを上手く演じることが。
美月自身、元役者であり、現在は仮初の姿とはいえ一応女性。だけど、敵わないと思うことが多々ある。
「ごめん……怒っている?」
色々と自分の中で考えていても埒が明かない。素直に聞いてみる。
「いやね、怒ってなんかいないよ」
ついていた頬杖を解き、少々おばさんじみた仕草のように小さく手を振りながら笑いながら桂は言う。
この言葉を額面通りに受け取ってもいいのかどうか美月は判断に迷ってしまう。
言葉と気持ちが相反しているのは、よくあること。
「本当に?」
確認を。
〈そんなことはしなくて大丈夫のはずだ。脈拍や心拍から怒っていないと判断するが〉
左手のクロノグラフ、モゲタンが美月の脳内に。
普段ならばこの言葉を頼もしく思えるのだが、如何せんこの状況では。
それに桂との付き合いはモゲタンよりもはるかに長いし。
桂の表情が変化する。それは微妙なものだったが美月は見逃さなかった。
「……嘘、本当はすごく怒っていた」
やはり、と思った。こういう悪い予感のようなものは当たってしまう。
「本当にごめん」
再度謝る。今度は頭を下げて。それも直角に。
事情が事情だけにしょうがないじゃないかと反論したいところだが、それをするだけの気力は美月の中には残っていなかった。
下げたままの美月の頭に桂の言葉が続く。
「周りの人はみんな楽しそうに夜空を見上げているのに、私だけが一人心配しながらハラハラと見上げている。どうしてこんな理不尽な目に合っているんだろうって」
「……桂」
最愛の人の名前を言いながら美月は下げていた頭を上げた。
「情けないよね。稲葉くんは必死になってみんなのために、被害が出ないようにって頑張っているのに、私は自分のことしか考えてなくて。こんな自分に不甲斐なくて、それで腹が立って怒っていたの」
怒りの対象は美月でなく、自分自身だった。
「……」
何かしら言うべきとは思ったものの美月は言葉が出てこない。
「……でもね、無事に私のところに帰ってきてくれたから。……ちょっとだけ罪悪感は消えたかな」
「桂がそんなことを気にする必要はいよ」
「ありがとう。……それにね、こんなことも思ったの。楽しいことや嬉しいことは当然だけど、さっきまで私が感じていたような嫌な気持ちも時が経てば、案外良い思い出になるんじゃないかなって。この先ずっと二人で一緒にいて、もしかしたら子供なんかいたりして、その時こんなこともあったと笑える日が来るんじゃないかなって」
「そうなるよ、絶対」
「そのためには稲葉くんには一刻も早く戻ってもらわないと」
「それについては鋭意努力します」
〈ああ、ワタシも力の限りを尽くそう〉
「あ、でも美月ちゃんのままもちょっと捨てがたいような気が。あんなことやこんなことをしていないし、……それにまだ約束のもの貰っていないし」
笑顔で、最後は赤面しながら小声で。
約束のものとは、美月の処女。
「かーつらー」
「ごめーん、シリアスな雰囲気に耐えられなくなって。……コホン、仕切り直して……おかえりなさい」
「ただいま」
「それから、帰ろ」
帰るのには異存のない美月だったが、
「あ、ゴメン。帰るのはちょっと休憩してからかな」
先程の戦闘で披露していた。体内のエネルギーは枯渇状態にあった。
二人はここに美月の能力を使用して来ていた。同じ手段で帰宅するのにはエネルギーの補給としばしの休息が必要だった。
「無理はしなくてもいいから。お兄ちゃんに迎えを頼むから」
「それは流石に悪いんじゃ」
「いいのいいの、何かあったら迎えに行ってやるって本人が言ってたんだし」
そう言いながら桂は携帯電話を取り出し、兄へとかけた。
美月はそんな桂を見ながら、桂の横に腰を下ろす。
自分が思っていた以上に疲労していたのか、身体がぐらつき桂へと少し倒れてしまう。
「ここで眠る?」
自分の膝上を小さく叩きながら桂が言う。
まだ来園者は他にもいる。そんな中での膝枕は不特定多数の人間に見られてしまう、何をしているんだと思われてしまうかもという羞恥心が美月の中に生まれたが、その魅力的な誘いに抵抗できずに桂の上に頭を下ろす。
加齢と運動不足、昔のような弾力はない、それでもその柔らかさには安らぎを感じた。
そんな美月の髪を桂は優しく、愛おしく撫でていた。
「……なあ、桂」
「うん、髪の毛触るの嫌だった?」
「そうじゃなくて、さっきの話だけどさ。……俺はいつでもいいから」
決意を伝える後半は早口に。
「ありがとう。うーんでも、稲葉くんが大人になるまで待つから」
「俺は一応大人だけどな」
「そうじゃなくて美月ちゃんの身体はまだ子供でしょ」
「ああ、たしか小学生高学年くらいの肉体年齢だったかな」
「そんな年齢の身体に手を出すのはちょっと……あまりにも背徳過ぎるかなって」
「じゃあ、手を出していい目安は?」
「生理が来たら……は来ないんだっけ。それじゃ、毛が生えたら」
「もしかしたらは生えてこないかもしれないぞ」
「……それじゃ高校生になったら」
肉体年齢は小学生だが、美月は現在中学二年生として学校に通っている。
つまり一年半の猶予が。
「それまでに元に戻るかもしれないぞ」
「それはちょっと残念かもしれないけど、でもそっちのほうが嬉しいかもしれない。可愛い美月ちゃんを愛でるのも好きだけど、稲葉くんに抱かれているほうが幸せを感じるから」
「がんばりますか」
「うん、がんばれ」
互いに顔を見合わせる。
両者とも自然と笑みがこぼれた。




