里帰り、かんこう 15
「逃げなさいー」
美月を正面に見ながら人魚が、震えた、本人としたら叫んでいるつもりなのだが、全然叫べていない声で言う。
美月は訳が分からなかった。
ようやくペンギン型データを追い詰めたのに、あと少しで回収できそうなに逃げる必要がどこにあるのか全然理解できない。
理解できないのも無理のない話だった。
人魚は美月と対峙するように空中に浮かんでいる。しかし、さっきの言葉は美月に対しての言葉ではなく、背後にいるペンギン型データに向けたものだった。
その言葉を理解したのか、或いは生存のための本能なのか、ペンギン型データは美月と人魚から遠ざかろうと、逃げようとした。
先程までの優雅の飛行とは違い、力なくよろよろと夜空を飛ぶペンギン型データ。
追わないと。
海面から飛び出して、円盤状の盾を足場にして反動をつけて、一直線にペンギン型データの背後へと接近しようと考えた。
その考えを即座に停止する。
ルート上に人魚が再び割って入ったのだった。
あのままだったら直撃は免れない。美月としても、同じ人間を攻撃する、また不慮であったとしても傷付けるつもりなどは毛頭もない。
どうして邪魔するんだ?
疑問には思うが、考えている暇はない。急いで追わないと、このままではペンギン型データに逃げられてしまう。
そしてそのことが原因で大きな被害になってしまうかしれない。
もう何度浸かったのか分からない海の中で美月は跳んだ。
跳んだ先は、人魚とペンギン型データの間。
これならば、今度こそ邪魔はされないはず。
踏み台ように盾を展開し、今度こそ仕留めるつもりだった。
だが、美月はペンギン型データの方向には飛ばずに、上空へと。
背後に危険を察知したからだった。
あの人魚が猛スピードで美月へと突進してきた。それを避けるための行動だった。
人形の攻撃はそれで終わりではなかった。空の上では自由の利かない美月へと襲い掛かってくる。今度は下からだった。
身体を捻って躱す。飛べないからといって、全ての行動が不能になるわけではない。これ位の動きは美月にとっては造作もないものだった。
自由自在に空を飛べるはずなのに、人魚の動きは直線的で単調なものだった。
不利にもかかわらず、簡単に躱せたのは、これも大きな要因だった。
上昇していた身体が、今度は落下に転ずる。
美月の小さな身体は重力に引かれて海面へと落ちていく。
そんな美月に、人魚は攻撃を。両手はもちろんのこと、鰭でも。
その全てを美月は躱した。
反撃に転じようと思えば可能だった。
だが、しなかった。その理由は前に述べた通り。
だけど、このままいつまでも相手をしてはいられない。まだ目視できる範囲にペンギン型データはいるが、いつまでもそこに存在し続けているはずがないから。
落ちながら美月は考える。モゲタンと相談する。
〈連続して跳び、データの前に出るのが得策だろう〉
美月もそれが良いと思った。
その案を実行しようとした時、美月の耳に人魚の声が。
「あの子がいなくなったら、あたしは元に戻っちゃうの。そんなのはもう嫌なの」
呟きのような小さな音だった。
だけど、その声は悲痛な叫びのように美月には聞こえた。
人魚の放った闇雲な、まるで子供のような不格好な拳が美月の小さな胸に当たる。
その拳には力もなく、痛くも痒くもなかった。
落下し続けていた美月は再び海の中へと、飛ぶことができる人魚も同じく海の中に。
「早く逃げなさいー。あたしが抑えている間に」
人魚が叫ぶ。
叫びながら美月へと殴り掛かってくる。
大振りで無駄な動きの腕は水柱を立てながら美月へと迫ってくる。
これを避けるのは簡単だった。
だが、美月は避けることなく、その攻撃を甘んじて受けた。
何が理由でこのような行動に至っているのか、それを推し量る術は美月にはない。しかし、まるで泣きじゃくる子供のような姿を見て憐憫を覚えてしまう。
〈何をしている。データを追うぞ〉
モゲタンの声が頭に響く。
追わなければいけないことは十分に理解しているが、美月は動けなかった。
「もうあんな苦しいのは嫌なのー」
声には涙が混じっていた。
〈急げ、行ってしまうぞ〉
そうだ追わないと。活動を停止させないと周囲に被害が出てしまう。
泣いている子、見た目通りならば、を放置していくのは忍びないがことは一刻を争う。
美月は海面から飛び出そうとした。
全身が海中から出たところで、人魚の腕が美月の細い脚に伸びてくる。がっちりと左脚をホールドされる。行く手を妨害された。
「絶対に行かせない」
涙声だけではなく、震えも伴う音。
捕まったことにより美月と人魚は再度海の中へ。
海中で両者はもみくちゃになっていた。
振り払おうと海中で美月はバタ足のように自分の左脚を大きく振った
離れた、と思った瞬間またしっかりと掴まれてしまう。
引き離せないのであればコチラ側から攻撃して、相手の活動に制限、もしくは停止させてしまえば楽にデータを追える。
互いの力の差を鑑みれば、それは美月にとっては簡単なことだった。
なのに、美月はそれをしようとしなかった。
苦い記憶が頭の中に。
あの時は、必要に駆られて、それしか手段がなかったとはいえ、同じ人間に自らの力を奮い殺めてしまった。
同じことを二度としたくはない。
しかしこのままで……。
それに遠浅とはいえ、全身が海の中に浸っていると息が続かないし。
美月は空いている側の足で海底を強く蹴り、人魚ごと海の上へと飛び上がった。
新鮮な空気で肺を満たし、依然脚に纏わりついている人魚に美月は声をかける。
「どうして邪魔をするんだ?」
訊いても無駄かもしれないが、思わず言葉が出てしまう。
「邪魔をしないとあの子のことを破壊するんでしょ」
予想外にも答えが返ってきた。その声にはもう震えはなく、反対に怒りが混じっていた。
「破壊しないと、周囲に被害が出るだろ」
これまでデータが多くの被害を出したのを目の当たりにしている。
売り言葉に買い言葉でないが美月の口調も強いものに。
「あの子は今まで一度もそんなことをしない」
コチラも強い口調に。
「だけど、これからは出るかもしれないだろ」
たしかに名古屋近辺でデータが暴れまわり大きな厄災を引き起こしたというニュースを美月は知らない。
だが、今後も出ないという可能性はないはず。
「出させない。あたしが止めるから」
強く断言するように人魚が言う。
「なら、破壊して回収するのは同じだろ」
止めるとの言いながら、コチラが破壊し回収しようとするのを邪魔するのは理由が美月には分からない。
「違う」
「何が違うんだ」
「あの子がいなくなったら、あたしはこの力を失ってしまう」
力に固執しているのか。
悲痛な叫びのように聞こえた声は気のせいだったのだろうか。
「力がなくなるのが、そんなに嫌なのか」
常人をはるかに超えた力に酔いしれ、そして溺れた者の最後を知っている。自己中心的のような考えに憤るよう鋭い声が美月の口から。
「違うー。あたしはもうベッドの上で、いつかやってくる死に怯えながら生きるのは嫌なの。みんなのように楽しく生きていきたいの」
魂の主張のような人魚の声を空に残して、両者はまた海の中へと落ちていった。
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