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桂 5


 幼い頃、この音にある憧れを懐いていた。

 それが成長して、思春期を迎えた頃には少しだけ嫌になった。

 この音は離れた家にまで聞こえてくる。

 その音を聞くのがちょっとだけ苦痛に感じるような時もあった。

 これは仲睦まじい恋人たちを祝福する音。中高と、男子を少し敬遠していた桂にとって、それは絶対に自分には縁のないものだと思い込んでいた。

 この祝砲を受けるのは、好きな人が隣にいる勇気のある幸せな人たち。

 そんな人間には自分はなれないと思い込んでいた。

 だから、この音を生涯ずっと楽しめないと思っていた。

 だけど、ほんの少しだけ胸の中に、もしかしたら将来自分もという小さな憧れのようなものもあった。

 何時かは自分も大好きな人と。

 それが今、あれから大分と時間は経過したけど、実現した。

 夜空を彩る満開の花火の下でかつら美月みつきの小さな手を繋ぎ、そう思った。

 ここナガシマスパーランドでは、毎年夏は連日営業時間を延長して花火の打ち上げを行っていた。

 長年の桂の想いがようやく実った。

 幸せをかみしめるように、ギュッと強く小さな手を握りしめる。

「……綺麗だね」

「うん」

「私ね、この花火をいつの日か好きな人と見に来るのが夢だったんだ」

「ゴメンな。俺に甲斐性があったらその夢をもっと早くに叶えることができたのに。……それにこんな姿でその夢を実現させてしまって」

「うんうん。どんな姿でも、こうやって稲葉くんと見られたんだから。それだけで十分に幸せだから。……それにこんな姿っていっても、可愛い服を選んで着せるのは楽しいし、髪形をアレンジして遊ぶのも面白いし」

「それじゃ当分はこの姿でいようかな」

 姿や顔は全然違うけど、悪戯っぽく笑う仕草は彼そのものだ。

「あ、やっぱりそれはダメ。だって此間みたいにナンパされてしまうかもしれないし」

「だから、それは俺の言い方が悪かっただけで誤解だから」

「でもさ、肉体が精神を引っ張ってしまう可能性もあるんじゃないかな。そうなったら身も心も女の子になっちゃうんじゃ」

「そんなことにはならないって。俺は敬虔なる異性愛主義者だから」

「それだと、今の状態では男の方が好きということになっちゃうよ」

「今のはなし。訂正するよ」

「うん、訂正を許可します」

 強く握っていて手が離れる。そして今度は指を絡めて繋ぎ合う。

「……俺が好きなのは、これからもずっと好きなのは桂だけだから」

 いつものような声ではなく、照れの生じた小さめの音。

 それでも花火の轟音にかき消されることなく桂の耳に。

「……稲葉くん」

「桂」

 周囲の人と同じように上空の花火を見上げていた桂の視線が落ちていく。

 指だけではなく視線も絡み合っていく。

 誰も見ていないはず。

 見られても別段構わない。

 事情を知らない人間から見れば驚くだろうが、年齢差もあるしなにしろ見た目は同性、それでも平気だ。

 互いに目を瞑り、自然と顔を近づけていく。

 もう少しで二人の唇が触れ合いそうな時、美月の空いている手が桂の身体を止めた。

 恥ずかしさから咄嗟に拒否をされたと桂は思った。

 閉じていた目を開け、自分が大好きな人の顔を見る。

 柔らかくて暖かい表情が一変している。

「……稲葉くん、もしかして」

 その要因が桂には分かった。

「うん、近くにいる。……行かなくちゃ」

 正直な気持ち、桂はこの手を放したくはなかった。行かなくてはいけない理由も十分に承知しているのに。

 秘密を知ってからは、これまでずっと怪我一つ負わずに自分のところに帰ってきてくれた。今度もおそらく大丈夫だろうとは思う。

 でも、離せないでいた。

 本当は、あの時も、それからあの時だって行かせたくはなかった。

 一応笑顔で見送ったけど、内心はすごく不安で心配だった。

 それにどうして私達だけが。周りは何も知らずにみんな楽しそうにしているのに。

「桂、離してくれないと」  

 そういえばと桂は思い出す。GWの秋葉原あきばはらでも同じように手を離さずにいた。あの時は離した瞬間にどこか遠くに行ってしまいそうな悪い予感がしたから。

 そんなことはないと今は分かっているのに。

 この堅く、そして絡め合った指を離してもちゃんと彼は自分のところに戻ってきてくれると。

 早く離さないと。

 どこに出現しるのか分からない。もしかしたら最悪なことになる可能性だってありうる。

 この幸福な空気に満たされたこの場所も、すぐ後には惨劇の、悲劇の舞台になってしまうかもしれない。

 夥しい数の犠牲を出す危険性が。

 そうならないために彼は行くのだ。

 そして、それは彼にしかできないこと。

 絡めていた指を解く。

 ずっと感じていた彼の温もりが、手のひらから、指先から消え去ろうとした瞬間、もう一度握り直そうとした。

 だけど、思い止まった。

 代わりに自分の手を固く、強く握りしめる。

「早く帰ってきてよね。……まだまだ花火を見たりないんだから」

「分かっている。さっさと片付けてすぐに戻ってくるから」

「うん、待っているから」

 クルリと小さな、華奢な背中を桂に向け、美月は人のいないと思われる方向へと。

 多くの人が上空の花火を見上げている中、桂は一人その背中を見送り、

(どうか、ここにいる人達の大切な時間を守って。大きな被害が出ないようにして。……そして無事に私のもとに帰ってきて。それからその可愛い笑顔を私に見せて)

 美月の小さな身体はとうとう桂の視界から消えてしまった。

 しかし、桂はそれでもまだ心の中で美月の無事を祈り続けていた。



名前の元ネタになったキャラクターの誕生日に、このサブタイトルの話を投稿できる僥倖に感謝して。


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