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里帰り、かんこう 10


 運転席にかつら、助手席にはもちろん美月みつき

 慎重な、そして細心の注意を払って桂が運転する車は、同じように内宮から帰宅する車列の一部となって走行した。

 しかし、運転に慣れていないは紛れもない事実。

 横で見ている美月はハラハラしていた。

 車間距離が異様に短かったり、かと思えば極端に長かったり、また車幅が上手く掴めないのか左に寄りすぎだったり。

 指摘しようとしたが、思い止まる。余計な口を挟むと、混乱させてしまう可能性も、それが原因で事故につながるかもしれない。

 だから、我慢した。

 だが、緊張しっぱなしも良いことではない。まだ家までは距離がある。なんとかリラックスさせないと。

「そんなに肩に力を入れて運転しなくても」

 返事がない。

 運転することに精一杯らしく美月の声は耳に届いていないようだった。

 それでも車は進む。

 明るかった空が急に暗くなっていく。

 フロントガラスに水滴が当たる。

「あ、雨」

 小さな呟きだったが、その声は悲鳴にようにも聞こえた。

 慣れていな運転、大きな車、さらには雨。三重苦。

 雨足は次第に強くなっていく。

「えっと、……ワイパーはどこ?」

 焦っているのか桂はハンドル横のワイパーのスイッチを発見できない。

「これ」

 助手席から美月が操作する。左側にあったから手が届いた。これが右側に設置されていたら、どうなっていたことか。

 ワイパーがフロントガラスについた水滴を払っていく。

 視界が確保される。

 路面が滑りやすくなり気を付けないといけないが、運転する桂はほんの少しだけ安心できた。

 と、思ったのはほんのつかの間のことだった。

 強い雨足はさらに強烈に。

 ワイパーではぬぐい切れないほどの雨量。リーフを叩く嫌な雨音。

 ゲリラ豪雨だった。

 あっという間に、前が全く見えない状態になってしまう。

 ブレーキをかける。車を停車させる。すると後ろからクラクションの音が。

 桂が停車したのは車線上。路肩に停めるのならまだしも、このままでは交通の妨げになってしまう。

「……どうしたらいいの」

「できるか? よし大丈夫、俺に任せろ」

 モゲタンに判断を問い、それから力強く言う。

「……稲葉くんが代わりに運転してくれるの?」

 暗く沈みそうな顔が少しだけ明るくなる。

「そうじゃないけど。とにかく俺を信じろ」

 そう言って美月は、反樽を握る桂の左手の上にそっと小さな手を重ねた。

 車外の様子が急に見えるようになった。

だがこれは、雨足が弱くなったわけではない。これは美月の視覚情報を、肌を接触させることにより、さらにナノマシンを経由して桂へと送ったからだった。

「誘導するから、車を安全な場所に」

 以心伝心と言っていいのだろうか。

 桂の運転する車は、ロードサイドにある店の駐車場へと無事に退避することに成功した。


 強い雨音のする車内は二人きりだった。正確にはモゲタンがいるから二人というわけではないだが、人ではないのだからこの際カウントはしないことに。

 桂にとって、美月と二人きりになるのは久し振りのように思えた。

 今日はこれまで、兄というお邪魔虫がいた。

 昨日は離れ離れで行動していた。

 寝るときは同じ部屋で二人きりだけど、いつものように同衾していない。違う布団の上に横になっている。

 それにお風呂も別々だし。

 二日程度だが、桂にはその時間がすごく長いように思えた。

 それ位いつも一緒にいた。

 いうなれば、美月成分が桂の中で枯渇しかけていた。

 家族がいる手前、大っぴらにスキンシップを、つまり抱きつくこともできず、触れているのは外出時に繋いだ手くらいのもの。

 ギュッと強く小さな身体を抱きしめたい。

 手を伸ばせば届く距離にいる。そして二人以外には誰もいない。

 抱きつくなら、今だ。

 そうは思うが桂はなかなか実行に移せないでいた。

 たしかに車内は二人きり、だが外には他の人がいるはず。今は強く振り続けている雨もそのうちに止むだろう。そうなれば、雨でブラインド状態になっているが外から丸見えのなってしまう。

 急がないと焦る気持ちが反面、もう反面は欲求に負けてそんなことをしてしまったら、それだけでは済まずにその先を求めてしまんじゃないだろうかという、自制できないかもしれないという危惧。

 あの日の約束はまだ果たされていない。

 こちらから大胆に求めてもきっと嫌な顔はせずに受け入れてくれるだろう。

 だけど、まだやり方はよく分からないし。

 でも、案外勢いに任せてしまえば上手くいくかもしれない。

 しかし、車の中で初めてというのは。

 出来得るならば、ロマンティックな、それが叶わなくてもいつまでも綺麗な思い出として残るような行為をしたい。

 アレコレと桂は妄想してしまう。

「そうだ温泉」

 考え事がポロリと口から漏れる。

「どうしたんだ突然?」

「温泉に行こうよ」

「今からか?」

「うん、今から。それで一泊位して帰ろうよ」

 この近辺の温泉というと、現在では稲葉志郎の故郷津市の一部になるが、かつての久居市にある榊原温泉。清少納言の枕草子にも書かれている三名泉の一つ。

 温泉に行くのは一向にかまわない。桂の要望はできるだけ叶えてあげたい。

 しかし、

「無理だろ、この時期に飛び込みで宿をとるのは」

 この意見はもっともだった。

「それじゃさ、温泉にだけ入って今日はどこかの……ホテルにでも泊まろ」

 上目遣いのお願いにも似た提案。

 これに美月は抗うことはできなかった。

 この少女の身体で桂が提案するような場所に足を踏みれてもいいのだろうかという疑問が頭の中に浮かんできたが、まあそれで喜んでくれるのならば別に構わない。それに夏休みに入る前に約束もしたし。

「分かった、桂の好きにしていいから」

「ほんと」

 嬉しそうな満面の笑みを浮かべる桂。

 それに呼応するかのように、先ほどまで激しく降り続いていた雨が弱くなり始める。

 暗かった空から一筋の光が。天使の梯子が。

「それじゃ出発するね」

 そう言って出発しようとした矢先、桂の携帯電話が鳴りだした。

「こんな時に誰なのよ?」

 そう言いながらも桂は律儀に携帯電話を手にし、応答する。

 電話の相手は兄も文尚だった。

『ああ、今何処にいる?』

「何急に? えっと松阪かな」

 ちょっとだけ不機嫌な声で。

『丁度良かった』

「何が良かったのよ。こっちは良くないのに」

『今さ、明和町のジャスコにいるんだけど拾っていってくれないかな』

「はー、だってお兄ちゃん自転車で帰るんでしょ。それに私は美月ちゃんと一泊して帰る予定なんだから」

『悪いな、さっきのゲリラ豪雨でタイヤをバーストさせてしまったから』

 突然の大雨で視界が悪くなり、うっかりとアスファルトの裂け目にタイヤを突っ込ませてしまいパンク。それだけならばまだ持ち合わせのチューブ交換で用は足りたのだが、不幸なことにタイヤ自体にも大きな傷がついてしまった。

「……迎えに行こう」

 横で兄妹のやりとりを聞いていた美月が言う。

 困っている人を放ってはおけない。それにこの車の本来の所有者でもあるし。

「うー、分かった。今から行くから」

 そう言って桂は車を走らせる。ついさっき決まりかけていた計画をご破算にして。


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