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里帰り、かんこう 9


 美月みつきが車を飛び出してから十分後、再び23号線を走行する。

 伊勢神宮の参拝ルートとしては外宮から参るのが正しいとされているが、一行は時間の関係もあり、豊受大神を祀っている外宮には立ち寄らずに内宮を目指すことに。

 余談だが、江戸期の参拝はまず二見へと赴き禊をして身を清めてから、外宮内宮へとお参りするのが正式なルートだった。

 文尚の運転する車は五十鈴川沿いの河川敷にある駐車場に車を停めた。

 駐車場には県外ナンバーの車が多く見られた。

「いすゞの車で来たら面白かったかな」

 車から降りた文尚が一人呟く。

 これはいすゞの社名が今横を流れている五十鈴川が由来であることを知っているために呟いた一言だったのだが、そもそもいすゞは乗用車の製造はとうの昔に終了しており、現在は商業車へと移行しているのだが、その辺りの知識は文尚にはなかった。

 おかげ横丁を抜けて内宮を目指す。

 なおここまで特に描写はしてこなかったが、今日の三人の服装は、美月はあの時に購入した白のワンピース。かつらはサマーカーディガンに七分丈のパンツ、そして日傘。文尚は黄色と青の派手な色彩のサイクルジャージにハーフパンツ。

 三人三様であったが、一つ共通点があった。それは全員が歩きやすいスニーカーを履いていたこと。

 

 大鳥居を潜り、五十鈴川にかかった宇治橋を渡ると、そこはまさに神域だった。

 静謐な空気の中を歩く。参道に敷かれた玉砂利の音が心地良かった。

 手水舎で手を清めるが、すぐまた五十鈴川でも同じことを。

「ねえ、どっちに行くのが正解なのかな?」

 五十鈴川の御手洗場から上がりしばらく進むと、別宮風日祈宮へと続く橋が。

「さあ?」

 分からない。

 伊勢の国に生まれ、その地で育ったのに。かつては「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」と謡われていたくらいの土地で生活していたのに。

 思い起こしてみれば、美月が、というか稲葉志郎が最後に伊勢を参拝したのは小学生の時。正月に親戚一同で初詣に出かけた。その時の記憶は大勢の人の背中。

「とりあえずは、本殿参拝だろ」

 そう言い文尚はスタスタと歩く。美月と桂はそれに続いた。

 天照大御神を奉った御正殿までの石段を登り、参詣。

 その後は人の流れについていき天照大御神の荒御魂を祀った荒祭宮へと。

 予備知識はなかったが、ここはくしくも正しいルートを選択したことに。

 元来た道を帰りながら御守りを数種購入。この際、どの御守りを買えばご利益があるのか桂が熟考し時間をとり、美月と文尚に「早くしろ」と言われるが、その仔細はこの場では割愛することにする。

 再び宇治橋を渡り、神域から俗の世界へ。

 参拝客で賑わう、おかげ横丁で少し遅めの昼食を。

 美月と桂は名物の手こね寿司と伊勢うどんのセット、文尚は焼肉定食を。

 食後、店を出てからおかげ横丁巡り。 

 コロッケを片手に和太鼓の演奏を楽しみ、お土産にはんぺんを購入し、さらには干物やで試食をして大いに楽しんだ。

「じゃあ、俺はそろそろ行くわ」

 というのも、文尚はこの後ロードバイクで一人帰る予定になっており、そのロードバイクは三人が乗ってきた車に積み込まれていた。

 まだ日差しは強いが、そろそろ帰らないと家に着くころには夜になってしまう時間。

 一行は駐車場へと。

 その途中で文尚が、

「せっかく伊勢に来たんだから、赤福氷を食っていけよ」

 抹茶のかき氷の中に赤福が入っている商品で、夏限定、および赤福本店を含む数店でしか食べられない品。

「お兄ちゃんは食べてくの?」

 ここまでの道程の大半を運転してきてくれのはありがたいが、美月と二人きりになりたかったのに、ずっとお邪魔虫でいた文尚に少々皮肉を込めて。

「いや、俺はいい」

「食べていなかないんですか?」

「これから走るのに、お腹を冷やすのはちょっとな」

「そうですか。……だったら、普通の赤福を買って持っていたらどうですか? 途中の栄養補給にいいんじゃ? あ、でも邪魔になるかな」

 ロードバイクはかなりカロリーを消費する。その際エネルギーを補給しないとハンガーノックという症状にかかる可能性がある。そうなったら力が途端に入らなくなり、最悪の場合身体に大きな被害を及ぼすことも。

「大丈夫、問題ないから。優しいな美月ちゃんは。どこぞの冷血な妹とは違うよな」

「誰が冷血よ。まあ、美月ちゃんが優しいのは同意だけど」

 話しながら歩いているうちに河川敷の駐車場へ。

 車内から前後タイヤを外して上下逆に置かれていたロードバイクを降ろす。ロードバイクはクイックリリースと呼ばれる機構によって簡単にタイヤの着脱ができた。

 慣れた手つきで前後のタイヤをはめる。それからサイコンとライトをハンドル周りに装着する。

 これで出発かと思いきや、今度は穿いていたハーフパンツを脱ぎだす。

「ちょっとお兄ちゃん、何しているのよ」

 慌てて桂が言う。

「うん、脱がないと走り難いだろ」

 ハーフパンツの下にはサイクルパンツを穿いていた。臀部にパッドがあり長時間のサドルの上に腰を下ろしていても痛みがあまりない、さらに生地は伸縮性があり動きやすく、空気抵抗も少ない。

 今度は靴を脱ぐ。車内に置いてあった別のシューズに履き替える。

 これもロードバイク用のものだった。ソール部分がカーボンでできており、クリートでペダルと固定し、ダイレクトに力を伝える。

「それでこれが秘密兵器」

 そう言って美月に見せたのはフィルムに入った長くて平たい白い物体だった。

「何ですか、これ? 餅ですか?」

「知らないの。なが餅」

「あれ、お土産に買っていったことなかったかな?」

 なが餅とは粒餡の入った細長く平たい焼き餅。

 付き合い始めた頃に一二度土産に渡したが、美月はそのことを忘れていた。

「これならさ、ほら。ポケットに入るし」

 そう言ってサイクルジャージの背中にあるポケットの中へとなが餅を入れる。

 ヘルメットをかぶり、グローブをはめたが、すぐにはロードバイクに乗車しない。

 舗装されていない駐車場から、走りやすい道まで押して歩く。美月と桂もその後を一緒に。

 その姿はまるでペンギンみたいだった。自転車用だから、歩行には適してないため。

「じゃ、ここまででいいわ」

「うん、気を付けてね」

「安全運転で」

「そっちも気をつけてな」

 右足のクリートをペダルにはめる。車道へと出る。今度は左足のクリートをペダルに。

 文尚の乗るロードバイクは軽やかに走り出す。

「自転車って、あんなに早く走れるんだ」

 思った以上の速度で小さくなっていく兄の背中を見ながら桂がポツリと。

「あれまだ全然本気じゃないよ」

「あれで?」

 驚いた桂がビックリしたような声を上げる。

 美月が指摘したのは事実だった。文尚のロードバイクのフロントギアはノーマルクランクの53×39で、現状はインナーギアでリアはミドルだった。本人としてもウォーミングアップのつもりで追い風に乗って軽いギアを回しているだけだったが、それでも30㎞/hは出ていた。

「すごいんだ」

 桂は再び驚嘆の声を上げた。

「それじゃ、俺らも帰るか」

「待って。あそこにも神社があるから、寄っていこうよ」

 桂が指さす方向には猿田彦神社があった。

 祭神の猿田彦は天孫降臨の時道案内をした神様、二人にはこれからのことを祈願するのには最適な神様のように思えた。

 祀られているのは猿田彦だけではなく、その妻アメノウズメ。コチラは芸能の神様として。

 これまたピッタリと思えた。

 その後は、月読宮へと。

 ここには伊弉諾、伊弉冉、そして月読、そしてそれぞれの荒霊、四つの神明造の社殿が並んでいた。

 参詣を終えると、文尚お薦めの赤福氷に舌鼓を。

 昼下がりとはいえ、夏の日差しがまだ強い時間帯。熱をおびた身体を冷やすのにはこれ以上ないようなものだった。

 文尚がロードバイクで走りだしてから約一時間後、桂が運転する車が河川敷の駐車場からおっかなびっくりに出発した。


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