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ドキドキ、新生活 3

 

 東京都に西にある昭和市。ここは平成の大合併で近隣の町が合併し誕生したもの。人口十万ほどのベッドタウンであり、また市内にいくつかの大学の校舎があることから学生の町でもあった。

 その街の主要駅から徒歩十分程度の場所に建築されているマンションの屋上へと降り立つ。ここの四階にある部屋が志郎の来たかった場所。

 最愛の人の住む部屋だった。

 色々と迷った結果、恋慕が募り、結局きてしまった。

 しかし、この変わってしまった姿でかつらの前に現れようとは考えてはいなかった。

 だが、只一目でいいから会いたいと望んだ。

 しかし玄関の前まで来たのはいいが、どうやって顔を見ようか考えた。おそらくこの時間ならば仕事から帰宅しているだろう、部屋の中にいるだろう。見たいけど、コチラの姿は見られたくない。馬鹿正直にインターフォンを鳴らして対面するわけにもいかない。

〈どうした? 何を躊躇しているのだ? この部屋の住人に会いに来たのだろう〉

「……ああ」

 志郎はドアノブに手をかけた。少しだけ力を入れると簡単に回転した。おかしいと思った。用心深い性格の彼女が鍵をかけていないなんて。いつもなら出かける時はもちろん、部屋の中に居る時も防犯のために施錠をしているのに。

 嫌な予感のようなものが志郎の中に生まれる。

 部屋の中へ。

 暗い時間だというのに室内には電気は点いていなかった。誤って鍵をかけ忘れて出かけているのだろうか。奥の部屋へと足を踏み入れる。軽率な行動である自覚はあった。しかし志郎は自らの足を止めることができなかった。

 何度も通って知っている間取り。どこに何が置いてあるのかも全部把握している。暗い部屋は少しも気にはならなかった。

 微かに泣き声がした。音は奥の部屋から聞こえた。そこはベッドのある場所。

 扉の先に彼女がいるはず。

 けれど、これを開ければこの少女の姿を見られてしまう。見ず知らずの少女が自宅に無断で進入していることを知った彼女はどんな反応を示すだろうか。それは想像しなくても分かる。けして愉快な結果なんか見えてはこない。

 躊躇した。顔を見ずにこのまま去ろうかとも考えた。

 左足が何かを踏みつけてしまう。静寂が支配した室内に音が広がった。

「……誰? 稲葉くん?」

 弱々しい声が志郎の名前を呼んだ。

 付き合ってからもう長いのに未だに苗字で呼んでいた。本人曰く、名前で呼ぶのがなんだか照れ臭く恥ずかしいらしい。

 覚悟を決めてドアを開けた。

 懸念していたはずの、この姿で前に出るということも忘れて。

 愛する彼女、桂はベッドの上で膝を抱き蹲っていた。

 その姿は最後に会っとき時と全然違っていた。

 ボサボサの手入れがされていない髪。ふっくらとしていた愛嬌のある頬はこけ落ち、微かに開いている瞳には生気がなかった。

「……桂」

 一目見るだけ、黙って立ち去るつもりだったのに思わず声をかけてしまった。

「……綺麗な子。……誰?」

 知っている声よりも幾段も小さく、消えてしまいそうな音。

 稲葉志郎だと名乗りたかった。今すぐにでも抱きしめたかった。けど、できない。この姿では絶対に信じてなんかもらえない。

「……もしかして私を向うに連れて行ってくれるの? 稲葉くんのところに連れて行ってくれる天使なの?」

 何も答えられずに志郎は立ち尽くし、桂を見つめていた。

「ねえ、お願いだから。私を稲葉くんのいる場所まで連れて行ってよ。彼のいない世界なんて生きていてもしょうがないから」

 泣き声で哀願する。

 桂は志郎である少女をこの世ならざる存在と勘違いするほど、精神が病みかけていた。

 一目会いたい、その目的は達することができた。この部屋に留まる理由はもう無い。しかし、泣きじゃくり憔悴している桂を放置できなかった。

 ベッドの上からヨロヨロと桂が降りる。その足取りは覚束ないほどだった。ゆっくりと、ふらつきながら志郎へと近付いてくる。倒れこみ足にしがみ付くようなかっこうになる。

「うっうっうっ、もう嫌なの、……もう何もかも嫌なの。彼のいない世界に生きている意味なんて私には無いの。お願いだから、連れて行ってよ」

 半狂乱になっている桂の腕に力が入る。それに引っ張られるように志郎は腰を落とした。以前とは違う 小さな手で頭を撫でる。

 それしかできなかった。

 こんなにも想われていたことは本当に嬉しい。

 だけど、それが悲壮なことになってしまうなんて。

「……これ。……稲葉くんの時計。……どうして貴女がこれを付けているの? ……やっぱり天使か何かで私を連れて行ってくれるの?」

 少女の身には大きすぎるクロノグラフに桂の手が触れた。

〈いいのか行かなくても。君の願望は達成したのではないのか〉

 モゲタンの声が頭の中に。嘆き悲しんでいる姿を見るのは辛かった。見ないようにするには早々に立ち去るのが一番の選択であろう。

 しかし志郎にはできなかった。最愛の彼女を一人見捨ててしまうことをできなかった。

〈了解した。君の望みを叶えよう〉

 モゲタンの声が聞こえたと同時に桂が泣き止んだ。

 そしてその表情が一変しいていた。

(なにをした?)

 この状況を極端に変化させることができる。それが可能なのはモゲタンしかいない。

〈彼女の脳内にナノマシンを侵入させて記憶を書き換えた。君は彼女の年の離れた従妹という設定だ。君の両親は海外に赴任するために彼女が君の面倒をみる。共同生活を開始する。これならばワタシ達も助かる、衣食住も確実に確保出来る。彼女の傍にいられて君も安心できるだろう〉

(人の記憶は勝手に書き換えてもいいのか?)

〈いたしかたない。状況が状況だ。このままの生活を続けていたらワタシは目的を達することは困難だ。それに君にとっても不都合とは思えないが〉

(しかし……)

〈好意のある人と一つ屋根の下に暮らす。人間にはこの行為は幸せなことなのだろう? これは君にとっても都合が良いと思うのだが。それにこのままの精神状態で彼女を放置しておけば、いずれ肉体は機能を停止することになるだろう〉

(……そんなことは)

〈これが最良の選択であるとワタシは判断したのだが〉

(……了解)

 納得はいかなかったが了承した。

 だが、桂をこのままにしてはおけなかった。

〈理解してもらい助かる〉

(それより大丈夫なのか? 俺の身体はお前が造ったものだから好きにすればいいけど、桂は普通の人間だろ)

〈問題は無い。人体への影響は皆無だ。先程彼女の手がワタシに触れた時に彼女の血流にナノマシンを送り込み脳内に運んだ。そこで記憶をわずかばかりに操作した。ついでに、少しだけ悲しみも和らげておいた。これで心配をする必要は無い〉

(本当だろうな?)

〈信用してくれ。君にとって不利益な行為はワタシにとっても不利益だ〉

(……分かった。一応信用しておく)

 桂は立ち上がった。そして志郎の手を握り、 

「いつまでもメソメソ泣いてちゃ駄目だよね。今日から一緒に住むんだから、お姉さんはしっかりしなくっちゃ。……それに稲葉くんに笑われるよね」

 まだ涙まじりの赤い瞳で無理に笑顔を作った。

「ずっと泣いていたから酷い顔になっちゃった。それに汗もかいたし、髪もベトベト。ねえ、一緒にお風呂に入ろうか」

「いいよ」

 思いもよらない提案に志郎はしり込みした。何度も見たことのある、そして触れたことのある桂の身体ではあったが強烈な照れを感じた。これは自分の身が以前とは異なることにも原因があったのかもしれない。

「いいから、いいから。一緒に暮らしていくんだから、これくらいは。それに君もずいぶんと汚いよ。……アレ? 名前なんだったけ? 思い出そうとしているんだけど、出てこないのよね」

「……い、……」

 思わず稲葉志郎と素直に名乗りそうになってしまった。モゲタンが与えた情報には志郎が少女の姿になったことは含まれていない。そして、それを上手く説明できるほど理解もしていない。

「……い、……伊庭いば……」

 自分の苗字に似ている愛読書の主人公のことが咄嗟に頭に浮かんだ。

 今度は下の名前を考える。昔の知り合い女性の名前からマンガやアニメのキャラクター、それから舞台で使用した名前。脳内で色んな名前が渦巻いた。

(えっと名前。……多恵、麻耶、きらら、光、海、碧、湊、真希、レイ、アスカ、みさと、律子、恵美、今日子、明日、智子、まどか、ほむら、マミ、杏子、乙女、三冬……)

 一度雲に隠れていた月光が再び部屋の中に差し込んだ。

「……美月みつき

「伊庭美月ちゃん。今度は絶対に忘れないから」 

 桂はかつての稲葉志朗、今は伊庭美月の手を引っ張ってバスルームへと向った。


次回からタイトルを、『伊庭美月は魔法少女じゃありません』に変更します。

ご了承下さい。お願いします。

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