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里帰り、かんこう 7


 翌日、早朝。

 出発する予定だった時間をはるかに過ぎても一向、美月みつきかつらと文尚、は未だに家にいた。

 というのも、誰かが寝坊したからいう理由ではなく。なんとなく朝食を摂ったり、服を選んだり、これは主に桂が、それ以外にもアレコレとしていたらいつの間にか当初の出発予定に時間を越え、それでもなお急ごうとしなかったのは、そんなに慌てなくても大丈夫、問題はなし、という余裕のような雰囲気三人の中にあったからだった。

 それでも八時過ぎには出発。昼前には到着するだろうというのが三人の予想だった。

 行きは文尚の運転になっていた。

 桂の実家のある場所から北へ。

「お兄ちゃん、多度さんも参拝していくの?」

 目的地の伊勢神宮は南に位置する。車の進行方向とは反対だった。

 しかし、その方向には上げ馬神事で有名な多度大社があった。

 昨夜の話し合いでは多度大社への参拝の予定は組み込まれていなかったが、急遽プランを変更したかと思い、美月と一緒に後部座席、これに関しても少しばかりゴタゴタがあったがこの場では割愛することにする、に座る桂が問う。

「あ、間違えた」

 単なる間違いだったらしい。

「間違えるにしても真逆の方向でしょ。お兄ちゃんってそんなに方向音痴だった?」

「いや、裏から津まで抜けるつもりだったんだけど、この時間帯員弁街道は混むからさ。……あっ、しまった。お盆だから通勤の車は少ないよな」

「しっかりしてよー」

「大丈夫。ここからでもちょっと遠回りになるだけで問題ないから」

 兄と妹のやりとりを美月は黙って聞いていた。

 車は花広場の前を通り富士通の工場前を走り抜ける。その先の信号を左折。しばし走った後にまた左折。涼仙ゴルフ倶楽部の前を通り、いなべ市へ。

 その道を真っ直ぐに西へ、いなべ公園の前を抜け、その後また左折。

 大安のジャスコ前を通過して県道140号線、通称ミルクロードへ。ここでようやく車の向きは伊勢神宮のある南の方向に。

 菰野町から四日市市へと。

 途中、椿大神社の案内看板が目に入った。

「椿さんはどうする? 寄ってく?」

 車を運転している尚文がルームミラー越しに後ろの二人に目を送り尋ねる。

「通り道沿いにあるの?」

「いや、ちょっと外れる。それで山の方に向かう」

「それじゃ今回はパス。また今度時間のある時に」

「了解」

 この決定に美月が口を挟まなかったのは、この決定が兄妹間でスムーズかつスピーディーに行われたから、ではなく別に異論がなかったから。

 車はそのまま県道140号線を。

 しばらく後に右折し、茶畑の間を走りながら国道306号線へ。サーキットで有名な鈴鹿市に入り、やがて亀山市へと。

「あれなんて読むんだろう?」

 何気なく見た車窓に向うに石柱。そこには読めない漢字で書かれた神社の名が。

「えっ、どれ?」

 現役の国語教師ならば知っているかもと思い桂に言ったのだが、車は石柱の前をすでに通り過ぎてしまう。

 さあ、漢字をどうやって説明しようかと美月は思案した。三文字の内、最初と最後は読むことが可能だった。しかし、間の一文字をどう口頭で伝えようか。ここは一つ、現在は左手で沈黙しているモゲタンにアドバイスの一つでも貰おうかと思った矢先。

「のぼの、って読むんだよ」

 答えは運転席から返ってきた。

「知っているんですか?」

「お兄ちゃん分かるの?」

 後部席の二人が同時の驚きの声を上げる。

「俺も昔、美月ちゃんと同じようにこの道を通った時に読めなくてそれで調べたんだ。能褒野王塚古墳という日本武尊(やまとたけるのみこと)を埋葬したとされている古墳で、その後に神社ができたらしい」

「へー」

「そうなんだ」

 また同時に声が。今度は驚嘆の音。

 一同を乗せた車はやがて国道一号線の下を潜り抜ける。

 その後はアップダウンが続き道幅もある。坂道を上るのは大変そうだが、下り坂を自転車で一気に駆け下りたら気持ち良さそうな道だなと美月は思った。

 その感想を運転席の文尚に伝えると、

「そうでもないよ。連続した上り下りは地味に脚に来るし、それに車では分かりづらいけど、この道路路肩には結構轍があって怖いんだよ。後、大型車もバンバン走るし」

「そうなんですか」

 想像したのとは違ったみたいだった。

「えっ、お兄ちゃんこんな所にまで自転車で来ているの?」

「ああ、楽勝だよ。……とは流石に言えないけど、これ位の距離ならロードなら平気だ」

「でも、自転車だよ?」

「あのな、俺はこれから伊勢から自走で帰ろうと計画してるんだぞ」

「……それもそうか」

 伊勢神宮内宮から、桂の実家まではおおよそ90㎞。その距離を考えれば、これ位は問題ないのかもしれないと桂は納得した。

「そうだ、昨日の紙芝居の人がもしかしたら文尚さんのことを知っているかもしれないと話していました」

「え? 俺のことを? そんなことをしている知り合いなんかいないはずだけどな」

「直接というわけではなく、何度かロードバイクで走っているのを遭遇しているとか」

「直接知らないのに、その人何でお兄ちゃんのこと分かるの?」

「文尚さんの乗っているは珍しいメーカーだからみたい」

「珍しいの?」

「ああ、少ない。国内では大阪のプロチームが使用してるけど、この辺じゃ俺の以外でKOGAのロードが走っているのを見たことないからな」

「相変わらずのマイナー趣味なんだ」

 文尚は、子供の頃から他人とは違うものを選ぶ傾向があった。一時期は、あまりにも他人との好みの違いを、「私は常に少数派です」と自虐気味に言っていた。

「うるせー。あ、俺のバイクのことが分かるということは、その人もロードに乗ってるの?」

「はい、乗っていると言ってました」

「どんなバイク乗ってるんだろ? 何か聞いた?」

「白とピンクのクロモリのオーダーロードとか」

 美月の言葉で文尚は合点がいったみたいだった。

「ああ、あの人か。その人なら多分知ってる。員弁とかでも見るし、木曽三川でも走っているのを目撃したことあるし、二ノ瀬ですれ違ったこともある」

「あ。向うも同じようなこと言ってました」

「そうか。あの人の後ろに一度付いたことがったけどペダリングがすごく綺麗なんだよな、それに速いし。……いや、それよりも珍しいことをやっているほうが気になるな。俺と同年代位だろ、紙芝居なんてもっと年配の人がしているようなイメージがあったけど」

「でも、すごく上手いですよ」

「今度観に行ってみようかな。……ああ、でもいいのかな。俺みたいのが観に行っても」

「喜んでくれると思いますよ。その人、紙芝居は観てもらうことによってはじめて成立すると言ってましたから。冷やかしはNGだけど、観る意思があるのなら誰でもOKって」

「なら、一度行くか。……でも、俺よりも志郎が生きてたら……」

 気に掛けてもらっていたんだ。そう思うと美月は胸が締め付けられそうな気がした。

「……稲葉くん」

 横に座る美月の表情を桂がそっと見て、言葉を続ける。

「はいはい、この話はもうおしまい。二人だけで盛り上がって私一人がのけ者なんだもの」

「いや、そんなつもりはないけど」

「お兄ちゃんには可愛い美月ちゃんを渡したりなんかしないんだから」

 そう言って桂は美月の小さな身体を自らの胸へと抱き寄せる。

「おいおい、そもそもお前のもんでもないだろ」

「いいの」

 三人を乗せた車は津市へと入った。

 国道306号線から、国道23号線へ。

 かつての河芸町だった町で運転手交替。これは別に文尚が長時間の運転に疲れたからというわけではなく、帰りのことを考えてだった。一応昨夜、桂はこの車を短い距離だが運転している。その時は問題なかったが、あくまで短距離の短い時間だったために慣れておこうということに。

 運転席には桂、後部座席に文尚、美月は桂の強い要望により助手席に。

 少々おっかなびっくりで桂が運転する車はやがて三重大学の前を通り、駅前を抜け、塔世橋を越える。

 しばらく走ると、美月が先日訪れることができなかった建物が反対車線の向こうに見えてくる。

「あ、朝日屋」

 毎年松阪牛の品評会でチャンピオン牛を競り落としている有名店。

「え、有名なお店なの?」

 ハンドルを強く、硬く握りしめ、前方にしか視線を送れない桂がいつもよりも早口で。

「有名だぞ。まあ、桑名は柿安があるからな」

 答えたのは美月ではなく文尚だった。

 成瀬家のある桑名市には柿安という、これまた松阪牛をあつかう有名精肉店があった。

「そうなんだ。お兄ちゃんよく知ってるね」

「ああ、昔教えてもらって買いに来たことがあるからな」

 それを教えたのは稲葉志郎、ではなく職場の食通の先輩だった。

「じゃあ帰りに買っていこうよ」

 美月が提案する。この前は買いそびれてしまったから。そのリベンジということで。

「止めたほうがいいな」

「えっ?」

 以前食べた時不味かったのだろうか? それとも別の理由があるのだろうか? 驚きの声を上げた後で美月は考える。

「もしかしてお高いの?」

 運転席の桂が問う。

「そりゃ良い肉は高いけど、ムチャクチャ高額というわけでもない。お肉の質は文句なし、美味しかった。けどな、問題は駐車場なんだ。お前狭い場所に、この車を停める自信あるか?」

 問題点は味ではなかった。

「ない」

 きっぱりと桂が言う。ちょっとは余裕が出てきたけど、狭いスペースにこの大きな車をキチンと駐車できる自信はない。

「だろ。だから諦めろ」

 たしかにそうだが、少しだけ美月は残念に思えた。

「じゃあさ、お兄ちゃんが帰りに買ってきてよ。自転車なんだから駐車場の心配なんかいらないんだし」

「はー、俺だって無理だろ。そんな荷物持って走れるわけないだろ」

「だったら、送ってもらおうよ。有名なお店だったら、そういうサービスあるよね。あ、ついでにさ、私と美月ちゃんが向うで食べる分も送ってもらおう。うん、そうしよう。もちろん、お兄ちゃんのお金で」

「……阿漕あこぎなやつだな」

 あまりも身勝手で、欲深な要求に文尚が言う。

「あ、それピッタリ」

「ひどーい。美月ちゃんまで私のことをそんなに風に思うんだ」

 美月の一言に桂が非難の声を上げる。

「違うよ。阿漕という言葉は、津の昔話から生まれた言葉だから」

 孝行息子が病気の母親のために禁漁区で魚を捕る、というのが伝わっている昔話のはずなのに、言葉はマイナスイメージで世間に広まっていた。

 その事も合わせて説明する。

「そうなんだー」

 兄と妹が同時に感嘆の声を発した。


今回もまた宣伝を。

「かみしばい」もどうぞよろしくお願いします。

一応自信作なので、読んでもらえれば幸いです。

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