ばんがいへん 2
続いての紙芝居は「蜘蛛の糸」。芥川龍之介の有名な小説。
こんな紙芝居もあるんだと美月が内心思っているうちに上演が始まる。
さっきの作品とは一転して、今度は静かな紙芝居の上演。
先程の紙芝居は、まさに文字通りに芝居だった。だが、今回はまるで読み聞かせのようなスタイル。
動と静だった。
これも上手い。聞き入ってしまう。
静かな語り口なはずなのに、カンダタの狂気が、耳だけではなく肌にまで伝わってくるよう気が。
小さい悲鳴が上がった。
観ることに集中しすぎていて、自分以外の観客がいつの間にか来ていたことに美月は気がつかなかった。
「ゴメンな、怖かったか? じゃあ次は楽しい紙芝居をしよっか。これは君らの協力が必要なんだけど、手伝ってくれるかな?」
どうやら紙芝居の上演はまだ続くみたいだ。
美月の前のベンチに腰を下ろしている幼児の兄妹に向かった男は言う。
年少向けの紙芝居か。ならば、観ても楽しめないかもしれない。
そう思いながらも美月はベンチから立ち上ろうとはしなかった。
次の作品も観るつもりだった。
今度はどんな上演をみせてくれるのか、楽しみだった。
「色鉛筆のけんか」
今度の紙芝居は観ている側と対話しながら進める作品。
まるで教育テレビのお兄さんみたいだ、そんな感想を美月は抱いた。
子供向けだけど、これも面白い。
赤色と黄色がけんかをし、それぞれの色の果物を描いて決着をつけるというもの。
描かれた果物が出てくると観ている兄妹が声を出して、果物の名前を言う。
「それじゃ、またまた黄色い色鉛筆さんどうそー」
紙が捲られる。
そこには黄色で描かれた球体の果物が。
「みかん」
「残念、違うんだな、これが」
「オレンジー」
「英語で来たか。おしいけどそれも違う」
前のベンチに座る兄と妹が大きな声で果物を言うが、どちらも不正解みたいだ。
「さー、他には出てこないか。あ、君は分かるかな?」
この紙芝居では絶えず兄妹に目線を送っていた男が美月に話しかける。
考える。
おそらく柑橘類であるのは間違いないけど、この絵だけでは種類の判別なんかつくはずもない。みかん、で正解でもいいはずなのに違うと男は言う。ならば、明確な種類が決まっているのか。柚子、伊予柑、グレープフルーツ、温州ミカン、次々と浮かんでくるが、どれも違うような気がした。なんとなくだけど、平凡な答えじゃないような気が。
「……晩白柚」
ならば捻った答えを。別に不正解でも構わないのだし。
「すごいの来たな。けど、残念。正解はね、夏ミカン。別にミカンでもオレンジでも晩白柚でも正解でよかったんだけど、ここにね、夏ミカンて書いてあるから、しょうがないよね」
さっき捲った紙を裏返しにして指さして見せる。そこにはたしかに夏ミカンの文字が。
兄妹がキャッキャッといいながら喜んでいる。
上手いな、こんなテクニックも持ち合わせているんだ。
この人はどれだけ引き出しがあるんだ、感心してしまう。
それに紙芝居開始から三十分近く一人で上演して、それだけならば美月でも可能だが、さらには数種類の声色を使っているのに全然声量が落ちていない、掠れていない。
何でこんな人が、こんな場所で紙芝居なんかしているんだ。
再度美月はそう思ってしまった。
「お疲れさまです」
上演後、美月は紙芝居を上演した男の背中に声をかけた。
観終わってすぐにその場から立ち去ってもなんら問題はないのだが、想像以上の上演を披露してくれたのだから感想を直接伝えたいと思ったし、それにいくつか質問したいこともあったから。
「おっ、驚いたー。ああ、さっきの子か」
いきなり声をかけられるとは思っていなかったのか、男の表情はすごくビックリした顔。
「何かな? 上演後に声をかけてくれる人なんか滅多にいないから変な緊張するなー」
上演中とは違う声でポツリと言う。
あれだけの上演を行っているのに、声をかける人が滅多にいないとは意外だな。小さい子ならばともかく、中高生で演劇をしている人間ならば大いに学ぶ点があるのに。少なくとも自分ならば近くにこんな人間がいれば絶対に話しかけるのに、と美月は思った。
ああでも、それよりも。
「あの、これコーヒーです。飲んでください」
声をかける前に近くの自販機で購入したよく冷えている缶コーヒーを男に手渡す。
上演中、作品との作品の間に男は水分を補給していた。あれだけ声を変えて演じていたのだ、小まめに喉を潤しておかないとすぐに嗄れて出なくなってしまうのだろう。
そう想像してコーヒーの差し入れを。
しかし、買う段階で少し悩んだ。もしかしたらコーヒーが嫌いという可能性もあるし、それにそれ以外にも……。
「ありがとう。後で頂くよ」
すぐには飲まない。ということは。
「コーヒー嫌いでしたか?」
「いや、好きだよ。でもね、このコーヒーよく冷えてるだろ。上演中はあまり冷たいのを飲まないようにしているんだ。……ごめんね、せっかく差し入れしてくれたのに」
懸念が当たった。
美月はあまり気にしない性質だったが、かつての役者仲間に中には公演中は喉のケアを考慮して冷えたものを口にしないという人もいた。
「すみません」
素直に謝る。
「いやいや、差し入れはすごく嬉しいよ。それも女子中学生からなんて。だから、後で大事にいただくから」
「そうして下さい。……あの、いくつか質問したいことがあるんですが。いいですか?」
次の上演時間まではまだ時間があるが、演者の都合もある。
「別に構わないよ、問題なし。むしろ、ウェルカム」
聞きたいことは美月の頭の中にいくつもある。
まず、最初に出てきた質問は、
「いつもこんなに観客が少ないんですか?」
上手くて、それでいて魅せる上演なのに、観る人が少ないのはもったいない。
「ああ、いつもはもう少し多いけどね。今日は一階でヒーローショーをしているから」
それなら観客の姿がないのも納得できる。
けど、やはりもったいないような気が。
「他に聞きたいことは?」
納得はできたけど、少しだけモヤモヤしたものを懐き、黙ってしまったままの美月に男が問う。
聞きたいことはまだまだあった。
「あの、お、……僕も少しだけ芝居をしているんですが」
「えっ、何処で」
「東京で以前」
内実は違うのだが、大筋では間違いはない。
「東京か。地元の子じゃないんだ。……お盆でこっちに来たの?」
男の声には少しだけ寂しい音が混じっているように美月には聞こえた。
「……はい。それでさっきの質問の続きなんですが、紙芝居をする時、何に重きを置いて上演していますか?」
演技の仕方は人によってそれぞれである。
セリフ回しに重点を置くものもいれば、所作にこだわるもの、ノリと勢いで突っ走るのもいれば、一字一句丁寧に間違わないようにするもの、十人十色である。
この男は何を意識して上演しているのか? どうすればあんな上演ができるのか興味があった。
「うーん、まずは観ている側の反応かな。ほら、普通の舞台での芝居は暗いから客側の視線ってなんとなく感じるけど、よくは判らないだろ」
美月は同意するように頷く。
「でもさ、ここでの紙芝居はどんな風に観ているのか一目瞭然。面白がっている、楽しんでいるのがダイレクトに伝わってくる。その反対に、つまらない、面白くない、飽きた、というのも目の当りにしちゃう。だからさ、そんな時はその危機を乗り越えて楽しませるかということを考えて演っているよ。……まあ、そんな時は大抵上手くいかないまま終了するんだけどね」
常に考えながら演じていたのか、と美月は納得した。
「後は、下半身の使いかたかな」
そう言いながら男は自分の腰とモモを掌で軽く叩く。
「下半身ですか?」
言われている意味がよく分からない。
美月は先程の紙芝居の上演を思い出す。落語のように上半身を上手く使っていた。目線の送り方なんかも上手かった。声ももちろん良かった。しかし、下半身にかんしては全然思い出せない。というより、そもそも美月の視線はずっと紙芝居の台座と男の上半身の芝居にしかいっていなかった。
「オルゴールは知っているよね」
下半身の話題のはずなのに、突然オルゴールを知っているかという問い。もちろん知っている。面喰いながらも頷く。
「あれはね、箱があるから音が響くんだ。人間の声もオルゴールと同じだと思うんだ。身体の中で声を響かせて出す。上半身だけで響かせてもそれなりの声は出るんだけど、下半身までというか全身を意識するとより響く柔らかい音が出る……ような気がする」
最後はなんだか曖昧というか自信なさげな声になったけど、言っていることが理解できる。美月が美人に教えていた発声のより進化したものだ。
「それからこれは言っても理解してもらえないだろうけど、足の裏で演技をしたいんだ」
理解できない。無意識に首を傾げてしまう。
「まあしょうがないよな。……言っている俺自身もあまりよく判っていないし。えっと、ほら、地に足つかないとか、浮足立つとかいう言葉があるよね。それとか力を入れる時なんかに親指が食んだりなんかしたり、そんなのを演技に取り入れるようにしたいんだよね」
ようやく言っていることが分かった、……ような気がした。
面白い、この人。
一緒に芝居をしてみたい、そう美月は思った。
けど、東京と三重。力を使えば、この距離は意味のないものになるが頻繁に行き来すると怪しまれてしまう、変な勘繰りをされてしまうんじゃと考える。
けど、この人の演技論は魅力的だ。
ならば……。
「僕の友達がこの夏名古屋に引っ越したんです。もしその子が貴方のする紙芝居に興味を持ったら指導してもらえませんか?」
本人次第だけど、この人のところで学んだら美人の演技力は向上するのでは。そうすれば彼女の夢に大きく一歩近付くはず。
「もちろん。君らくらいの子が紙芝居に興味を持ってくれるのはコチラとしても万々歳だ」
「その子の名前は新井美人といって、……ああ、そういえば僕の名前もまだ言っていませんでしたよね。伊庭美月といいます」
「それじゃ俺も名乗って置こうかな。俺の名前は……」