ばんがいへん
美月は一人で、桂の実家のある桑名市から程近い四日市市に来ていた。
一人で、といってもモゲタンがいるけど、いるのには来ているのには理由があった。
桂が中学高校時代の友人達と会っている。つまり、プチ同窓会に出席。
最初桂はその会には不参加のつもりでいた。その理由は、美月と離れるから。この休みの間はずっと傍にいたいと思っていたから。
そんな桂に美月は行くことを勧めた。
せっかくの機会だ。会える時に会っておかないと。何が起きるか分からない世の中だし。
……それに自分はもう、そんなことはできないから。
後は、ちょっとだけ桂から離れて自由になりたいという気持ちもあった。
後ろ髪を引かれながら出ていく桂を見送った後、美月は思案した。
これから、どうしようか?
ここは桂の実家。桂の両親は悪い人たちじゃないけど、桂なしで一緒にいるのは若干気が引けるというか、気持ちが重いというか。ならば兄の文尚と話をしていればとも思ったが、あいにく彼はロードバイクで走りに出かけてしまった。
そんな時突然、ある意味都合よく思い出したのは昔聞いたとある話。
なんでも四日市にあるショッピングセンターで日曜日に紙芝居の上演をしているらしい。
何時、誰から聞いたのかまったく覚えていないけど。たしかに聞いた記憶が。それに珍しいことをしている人もいるもんだと思った記憶も。
運が良いことに本日は日曜日。
その紙芝居がまだ上演を続けているという保証はどこにもないけど行ってみようと思い立つ。なくても、まあ別に問題ないし。どうしても紙芝居が観たいとわけじゃないし。
というわけで、四日市に。
まずは一番南にあるショッピングセンターへ。
美月の計画は北上しながら、全てのショッピングセンターの能力を使用してまわってみるという、非効率なもの。
空間転移を繰り返し、人目につかないように屋上駐車場へ。
ほぼ満車の屋上駐車場から店内へ。
エレベーターに乗り込むと、紙芝居上演、と書かれた広告用紙が。
いきなりビンゴだった。
その紙には上演場所と時間まで記載されていた。二階南エレベーター前で午後一時、二時、三時から上演。
なんと運の良いことに美月が乗り込んだエレベーターは南側のもの。そして上演開始まであと十分もない。
エレベーターが二階に到着する。扉が開く。
そこには誰もいなかった。
ただ、紙芝居の道具と、その前にベンチが数脚設置されているだけだった。
とりあえず、この場所で間違いはなさそうだけど。一抹の不安を覚えつつ美月は紙芝居の台座の前に置かれたベンチに腰を下ろすことに。
そこで少し考える。どの位置に座ろうかと。
自分が演者だった時のことを考慮して、一番前の真ん中の席。誰もいないマンツーマンだった場合、その位置はすごくプレッシャーをかけることになる。それに他に観る子供が来た場合、邪魔になる可能性も。
そこで美月は一番後ろのベンチ、三列目の真ん中に座ることに。
開始までまだ時間があるとはいえ、自分以外には誰もいない。
もしかしたら外れなのかもしれない。噂だけが流れてきて、あまり面白くないのかもしれない。そんなことを考えてしまう。
まあ、その時はその時。礼儀として最後まで一応観よう。他にすることもないし。
開始時間五分前。
台座の横に人が。
その人物は美月よりも、というより稲葉志郎よりも、年上くらいだった。
身長は180㎝くらいで美人の父親まではいかないけど結構濃い顔と眉毛。舞台上では映える顔立ちをしていた。
全体的の細いけど、剥き出しになっている脹脛はけっこう鍛えている。それに特徴的な手の日焼け。
この人、自転車に乗っているな。
直観的に美月は思った。
まあそれは関係ないとしても、全体的にあまりやる気を感じない。これから紙芝居の上演をするというのに。
やはり外れだろうか。
「あれ、もしかしてお嬢ちゃん。紙芝居を観るの?」
美月のことに気が付き、紙芝居の上演者と思われる男が声をかける。その声はすごく軽い音だった。
無言で美月は肯く。
「そっか。……観るのか。ああ、今日は楽できるかと思ってたけど。……まあお客さんがいるからしょうがない。ところで、お嬢ちゃんはいくつかな?」
「中学二年生です」
この姿で本当の年齢をさすがに言うわけにはいかない。
「そっか中二か。ゴメン、小学生かと思っていた。……それじゃこのネタはマズイか。それじゃ変更」
男はそう言うと台座の中から紙芝居を抜き取る。台座の左隣に置いてあるロッカーの後ろへと移動してしゃがみ込み、しばらくして別の紙芝居を手にして戻ってきた。
小学生に勘違いされたが美月はそれで腹を立てることはない。一応中学二年生ということになっているけど、肉体年齢は小学生のものなのだから。
開始の時間になる。
「それじゃ時間になったし、お客さんもいることだから上演を始めたいと思います。けど、その席でいいの? 前ガラガラだよ」
この場所で構わない。その意思を声ではなく首で伝えた。
「まあそれなら、それじゃ始めます」
軽薄な口調で開始を伝える。
台座の扉を男が開ける。
男の表情が一変した。さっきまでのやる気のなさが一瞬で消えている。
「とまがしま」
髪倍の題名を告げる声も全然違う。響く柔らかい音。
美月が美人に教えようとした声の出し方。いや、それ以上のもの。
この人上手い、外れじゃない、観に来て正解だった。と、美月は思った。
これまでの人生で多くの芝居、役者を観てきた。そこで美月の中にある持論のようなものがあった。それは軸がしっかりとしている、立ち姿が安定していること。下手な人間は、本人が真っ直ぐに立っているつもりでも観ている側からしたらフラフラしているように映る。こういう時は大抵声も不安定な音になる。不味い演技になってしまう。
全員が全員そうではないが、美月はこの持論にある程度の自信を持っていた。
この持論は間違いではなかった。
上手い。
序盤に登場した二人組の男をコミカル、かつ見事に演じ分け、さらには殿様、若武者、大蛇。五役を一人で声色を変え、台座の横で身体を動かし芝居をしながら上演する。
本当に上手い。そして魅せる演技。
細かい点を指摘すればいくつかの問題があるけど、それを吹き飛ばすくらいにパワフルな紙芝居。
惹きこまれていく。
美月の身体はクライマックスに近付くにつれ自然と前のめりになっていく。
けど、もったいないと思ってしまう。
これだけの紙芝居の上演の観客が自分一人だけというのと、もう一つ、この人こんな場所で誰も観ないような紙芝居なんかしないで上京すればいいのに。東京の舞台でも十二分にやれるだけの実力がある。自分よりもはるかに上手い。まあ、もっとも実力があってもそれで売れるという保証はどこにもないけど。
でもやっぱり、もったいないような気が。
紙芝居が終わった。
男は頭を下げ、礼をする。
大きく手を叩く。観客が美月一人しかいないのに、全然手を抜くことなく見事な紙芝居を披露してくれた。そのお礼だ。
「どう、面白かった?」
「はい、すごく」
満足だった。
「そりゃ良かった。それじゃ次のを準備するけど、観る?」
あれで終わりではないらしい。まだ上演は続くみたいだ。
「はい」
まだ観られるんだ。美月は喜んで返事をした。




