里帰り、かんこう 5
「……無理だ、俺にアイツは倒せない」
桂の運転する軽自動車から転移し、移動する途中で魔法少女のようなものに変身し、なるべく人目につかないように国道二十三号線から南下し、商業施設の看板の上に立ち、上空に浮かぶ具現化したデータを目視した瞬間、その言葉が美月の口から自然と漏れ出た。
異様な姿であったわけではない、巨大な物体であったわけでもない、一目見て恐怖を覚えるような形態であったわけでもない。
それは全長2m程で、これまで対峙してきた存在と比べて大きなわけではない。白と黒の身体に嘴、そして羽、さらには短い足。
それはまさしく巨大なペンギンそのものだった。
〈あれはコウテイペンギンの雛だな〉
モゲタンが冷静な口調で種類を言う。
そんな情報は美月にとってはどうでもよかった。それよりもアレを退治しないといけない。その方が問題だった。
ペンギンの姿をしたデータはさっき水族館で見たのと同じような愛くるしく、また優雅な姿勢で水の中をではなく、空中を泳いでいた。いや、滑空していた。
それに攻撃を加えるのはと美月は躊躇ってしまう。
しばし、目で追う。
自由気ままに空の上を泳いでいるだけ。このまま放置しても大丈夫なんじゃないかと考えてしまう。
元の姿に、稲葉志郎に戻るためには、少しでも早くデータを回収しないといけないのは十分に承知しているが、あんな可愛くて人畜無害なものから無理やり力尽くで奪い取っていいものだろうかと考えてしまう。
〈人畜無害とは言い切れないぞ。この近辺には大きな工場がたくさんある。そこにデータが突入した場合、相当な被害が出ると思われる〉
美月の苦慮を読み取り、モゲタンが言う。
十分に分かっている。
見た目とは関係なく、データは強大な力を有していることを。
指摘されたように工場へとデータが突っ込み、暴れるとまでいかなくても工場敷地内で移動してプラントの一部でも壊してしまえば、それがきっかけで大きな損害が出る可能性は美月にだって簡単に想像できる。
それに今美月が立っている場所にまでデータが来たら、それこそ一大事であった。大きな商業施設の屋上看板にいるから、この場所で暴れられたら人的被害は免れない。
ならば、被害が出る前に退治し回収するしかない。
そうは思うが、あの姿を見ているとなかなか決心がつかない。
いっそのこと、遠くに行ってしまうか、勝手に消えてくれればいいのに、という虫の良いことを考えてしまう。
〈来るぞ〉
脳内にモゲタンの声が飛ぶ。
美月は反射的に身構え、そしてデータがいる前方上空を見据えた。
ペンギン型のデータは声が飛ぶ前と同じように、美月のことなんかまったく気にしないように優雅な空を泳いでいた。
「来ないじゃないか」そう文句を言おうとした瞬間、美月の背中に鈍い音と軽い痛みが。
眼前には依然ペンギンの姿をしたデータが。
ならば、一体に自分の背後で何が起きたんだ?
疑問を持ちながら美月は振り返った。
そこには、人魚が。
銀色の長い髪に、大きな胸を隠すようなビキニ。下半身には優美で綺麗な黒色の鰭。
先程の背中の衝撃は人魚が繰り出したものだった。
〈申し訳ない。ワタシのミスだ。もっと正確に情報を伝えるべきだった〉
たしかにそうだが、前方にばかり気をとられ背後からの接近が分からなかったのは美月自身の過ちでもあり、また攻撃を受けた際に瞬時に円盤状の盾を背中に展開して衝撃を和らげてくれたのは紛れもなくモゲタンの功績であり、感謝していいのか、それとも非難していいのか分からずに美月はしばし考えてしまう。
が、そんなことをしている場合ではない。
苦い記憶が美月の脳裏に蘇ってきた。
この人魚はデータじゃない。自分と同じ、力を有したデーモンと呼称される存在だ。
ならば、その正体はあの少年と同じように人間。
同じ力を有するものとまた対面、対峙してしまった。
人魚は間違いなく友好的ではない。さっきの攻撃はもとより、今も長い鰭を大きく左右に振っている。それはまるでコチラを威嚇するようだった。
どうする?
逃げるべきか? 話し合うべきか? それとも戦うべきか?
葛藤する。
あの時同じこと、あの力に溺れ狂気に呑まれてしまった少年を自らの意思と力をもって破壊した、……殺した。
モゲタンは美月に、責を負う必要はないと言ったが、感触と苦い記憶は残っている。
どうするべきか、再び覚悟を決めるべきなのだろうか。
迷いが深くなっていく。
「アレを虐めていいのはあたしだけなの。アレはあたしのオモチャなの」
少し震えた声で、でもハッキリと人魚が美月の後方にいるペンギン型のデータを指さし宣言するように言う。
「はあ?」
美月の中の葛藤が一瞬で消えてしまう。思わず変な声が出てしまう。
「だから、アレはあたしのなの。手を出したりなんかしたら承知しないんだから」
データの回収は誰が行っても同じこと。最終的に全てを回収できればそれで問題なし。
それに可愛い姿の物体に攻撃の手を加えていいものだろうかと悩んでいた美月としては、この人魚の言葉はむしろありがたいものだった。
人形の言葉にはまだ続きがあった。
「ここからサッサといなくなるのなら見逃してあげるから」
依然、震えた声で、それでも虚勢を張って人魚が言う。
二つの意味で対峙しないですむのなら。
しかし、この人魚の言葉を額面通りに信じていいものだろうか。美月は判断に迷う。
「……どうする?」
〈ここは彼女に任せよう〉
「……ほら、早く行きなさいよ」
まだ震えている声で人魚が。
お言葉に甘えて、美月はその場から空間を転移して退散した。
「怖かったよー。稲葉くん。……早く戻ってきてくれて良かった」
念のため、遠回りをし、警戒しながら、ついさっきまでいた軽自動車の室内へと空間転移で戻った美月に、桂は開口一番で恐怖という感情に自らが苛まれていたことを吐露した。
声と言葉だけじゃなかった。ハンドルをギュッと掴み身を縮こませていた。
時間にしてわずか五分程度のこと。
一体何があったのかと美月は考察した。
まず最初に浮かんだのは、心配から出た言葉だったのではと。だが違うような気がした。夏休みに入ってから一度データの回収に赴いたことがあったが、あの時の出迎えてくれた桂の態度とは全然違う。
ならば、何が理由なのか? 桂は何をそんなに怖がっていたのか?
もしかしたら、あの人魚は美月を襲う前にこの上を通過して、その際何か破壊したのだろうか。
〈それは違うぞ。アレは別方向から飛来してきた〉
美月の考えをモゲタンが否定する。
たしかにそうかもしれない。もしそんな状況ならば、この渋滞中の多くの車のドライバーが人魚の姿を目撃しているはず。車内にいても周囲の異様な雰囲気が伝わってくるはず。
「本当に怖かったんだからね」
戻ってきたことに安堵してか、桂の声から恐怖の感情が消え去った。
「何が一体あったんだ?」
「……周りを見て」
言われて車外を見る。おかしなところはない。
渋滞中でも少し前進し、二車線から三車線に車幅が増えたことくらいしか変化はない。そんなことで恐怖を感じるとは到底思えなかった。
「普通だろ」
「普通じゃないよ。だって、囲まれているんだもん」
「囲まれてる?」
再度周囲を見渡す。
ようやく美月は桂が何に恐怖していたのか理解した。
桂の運転する軽自動車は三車線の真ん中を走行中。その前方大型トラック。その右にはタンクトレーラー、左には積載量オーバーだろうと思わせるくらいに貨物を積んだダンプ。左右には大型のコンテナトラック。そして後方には重機を積んだダンプローダーに観光バス、さらには車両運搬車。
八方を見事に大型車で囲まれていた。
普段運転なんかしない桂にすれば、この圧迫感は恐怖そのものだろう。
まして今運転しているのは軽自動車。
「二十三号線怖い。もう運転したくないー」
車内に桂の声が響いた。




