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里帰り、かんこう 3


 散歩から帰ると、かつらの母が美月みつきにお風呂をすすめた。お世話になるのに一番風呂はどうかと思い固辞しようとしたが、「いいのいいの、お客さんなんだから」と押し切られ入ることに。その際、桂も一緒に入ろうとしたが、「アンタは夕飯の準備を手伝いなさい。向うでは美月ちゃんに家事を任せっきりでしてないんでしょ」「してるもん、……味見くらいは」「じゃあ、良い機会だから練習しなさい」「だって、い、……美月ちゃんは私と一緒に入らないとカラスの行水みたいにすぐに出るんだもん。私が綺麗に洗ってあげないと」「中学生なんだから、アンタがそんなことしなくても一人で大丈夫よ」という母娘のやり取りを背中で聞きつつ美月は成瀬家の浴室へ。

 カラスの行水ではないが、素早く洗って、さっさと出る。待たせてしまっていると思うと申し訳なく、長湯なんかできない。

「お風呂お先にいただきました」

「中学生とは思えないくらいしっかりとした娘さんね」

「そうでしょ。それじゃ、今度は私の番で」

 何故か桂が大きな胸を張って自慢げに言う。

「アンタはもうちょっと手伝いなさい」

「ええー」

「じゃあ、僕も準備をするの手伝います」

「美月ちゃんには今度手伝ってもらうからね。今日のところはゆっくりと休んでいなさい。あ。そうだ一つだけ手伝ってもらおうかな。裏の小屋の中にお兄ちゃんがいるはずだから、お風呂に入れって言ってきてくれるかな」

「わかりました」

 成瀬家の裏庭には小屋、というよりもガレージがあった。

「文尚さん、お風呂」

 桂の兄の名前は文尚、文という文字が入っているが国語教師になった妹とは違い工学系の学校に進学し、現在はエンジニアとして働いている。

「了解、もうちょっと終わるから。そしたら入るよ」

 中で何をしているのか美月は少し気になった。

「……失礼しまーす」

 入っていいものかどうか迷ったが、結局好奇心を抑えることができずにガレージのドアを開ける。

 目に飛び込んできたのは、ロードバイクだった。

 数年前にあった時、自転車にハマっていると言っていたのを美月は思い出した。

 そのロードバイク白と黒、そして青色。けれど一番の特徴はトップチューブからヘッドに描かれた猛獣の頭。太いダウンチューブにはKOGAの黒文字。

「これって国産のカーボンバイクですか?」

 知らないメーカー名だった。ロードバイクはほとんどが外国メーカーのものだっとしているが、これは名前からして国産メーカーのような気がした。

 美月も少しはロードバイクの知識を持っていた。といっても大したものではなく、バレエの公演を手伝った時に参考にと読んだマンガが面白く、その作者の別のマンガも読んだ。その作品がロードレースを扱ったものだった。本当に熱く、面白かったので自分もロードバイクを購入しレースに参加するほどのめり込みたいとは思わないが普段の脚として使用すれば交通費を抑えることができるかもしれないという、狸の皮算用的な思考が働いて、少しだけ情報収集をしたことがあった。

 購入の計画は、資金面で頓挫したが当時得た知識はまだ脳内にかろうじて残っていた。

「うん、ああ違うよ。コイツはオランダメーカーのバイク。もっとも製造は台湾だけど」

 台湾には多くの自転車の工場がある。

「オランダですか」

「そう、キメラって名前。かっこいいでしょ」

 頷く。一目見てかっこいいと素直に思えるロードバイクだった。

「美月ちゃん、自転車に興味あるの?」

「ちょっとだけ」

「へえー、どんな自転車に乗ってみたいとかあるのかな?」

 この質問に美月はしばし考えた。稲葉志郎であったならば、マンガの影響でビアンキのクロモリロードと答えていただろうが、伊庭美月の姿では身長面で乗れない。しばし熟考した後に出た言葉が、

「……アレックスモールトン」

 イギリスの小径自転車メーカー。トラスト構造のフレームが特徴で、すごく高額て有名。高いのだと三桁万円を超えるものも。

「また凄いのが出てきたな」

「まあ、絶対に買えないんですけどね」

「うん、俺も無理。さすがに車が買える値段を出すのは」

「でもこのバイクも結構な値段がするんじゃ」

「フレームはそれなりにしたけどパーツなんか知り合いから貰ったものが大半だし」

「あっ、デュラエースだ」

「知ってるんだ、コンポのことも」

 しばし二人はロードバイクの話題で盛り上がる。二人の会話が途切れたのは、美月が知識についていけなくなりギブアップしたからではなく、いつまで経っても戻ってこないのを心配して桂が様子を見に来たからだった。


 夕食の席でも美月は桂にではなく、文尚と桂父相手に話していた。

 さっきの自転車の続きに始まり、父親の趣味の歴史小説へと移行し、さらには野球の話へ。その間呑んでいる二人へのお酌もビールのラベルを上にして、これは役者として先輩から教わったもの、両者の顔を大いに綻ばせた。

 その様子を少し不機嫌な顔しながら見ている桂。ちょっとした嫉妬のようなものだった。大好きな彼氏、いやこの場合は彼女だろうか、をとられたから。

 ちょっとした宴会は続く。

 成瀬家の人間は酒が強かった。日付が替わる間際まで吞み続けた。その間、法的に呑めない美月は主に二人の話の聞き役になっていた。

 就寝のため、学生時代そのままになっている桂の部屋に布団を敷いてもらう。

「ごめんね、あんな酔っ払いの相手なんかさせちゃって」

 昔使用していたベッドの上に腰掛けて桂が言う。

「別に。楽しかったし」

 事実だった。この姿になってからしない話題を聞けたし、話せたから。

「でも、疲れたんじゃ?」

「問題ないよ。それに疲れたというなら、電話をもらってここまで跳ぶほうがはるかにエネルギー消費が大きいし」

「その件に関しましては、本当に申し訳ありませんでした」

 深々と桂を下げる。けど、その声は笑っていた。

「だから、別に気にしていないって。夕方も言ったけどさ、桂の育った街に来ることができた。それに元JKの部屋に入れたし」

「ああ、なんかその言い方親父くさい」

「中身は三十路前の男だから問題なし」

「あ、そういえば。……この部屋に男の人を入れたのは初めてかな」

「それじゃまた、俺が桂の初めてをもらったということか」

「あれ、でもさ、男の人なのかな?」

「まあ、それはどっちでもいいんじゃないか。……それよりもさ、服を買わなくてもよかったんじゃ。俺が夜中に家まで戻って取ってこれば済んだんじゃ。お金ももったいないし」

 モゲタンの力を借りて、美月の能力を使用すれば都内の部屋までの往復はそう難しいことではない。多くのエネルギーを消費するが、それは随時補充すれば問題なし。朝までには十分余裕をもって帰ってこられる。

「いいの、それよりも明日は私の相手をしてよね。稲葉くんとしたいことがあるんだから」

「了解。ふああー」

美月は大きな欠伸を一つ。本人としては疲れている実感はなかったのだが、昼前のゴタゴタ、それに楽しかったのは事実だが、桂の家族相手ということで少し気疲れしていた。

「じゃあ、寝ようか。ねえ、一緒に寝なくていいの?」

 二人はいつも同じ大き目のベッドで寝ていた。

「いいよ。そのベッドだと狭いから。桂の大きなお尻に押し出されてしまいそうだから」

「ひどーい。私そんなに寝相酷くないよ」

「うん、知っている。冗談だよ。それじゃ、お休み」

「お休みなさい。また明日ね」

 電気を消し、二人は眠りについた。


「来てくれて本当にありがとう。……大好きだよ」

 真っ暗な部屋で、美月の寝息の聞こえる方向に顔を向け、桂は感謝の言葉をつぶやいた。


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