ドキドキ、新生活 2
志郎が行きたいと望んだ場所、それは桂のところだった。
しかし、すぐには向かわなかった。
秋葉原から桂の家まで時間がかかるわけではない。直線距離にすればほんの三十㎞程度。
モゲタンの手によって再構成された、常人離れした能力を有するこの少女の身体ならば、ほんのわずかな時間で行くことが可能だった。
にもかかわらず、その進みは遅い。
これには三つの理由があったからだ。
一つは人目を避けるため。
依然、服をマントのように纏っているだけ。
こんな姿を人に見られたら間違いなく通報されてしまう。そうなったら、この自分でもまだよく理解していない状況を他人に説明しないといけない。
よしんば説明が上手くできたとしても絶対に信じてなんかもらえないだろう。
ならば極力見つからないように、人目を避けての移動に。
未だにあまり力をコントロールできない小さな身体は、それを可能にした。
二つ目の理由は、その力であった。
手にするものを粉々に破壊してしまう、握りつぶしてしまう。このままでは桂の大切なものも壊してしまうかもしれない。
だが、それは時間の経過とともに解消されていく。
隠れながら移動している最中にモゲタンのレクチャーを受けていた。
〈心配はいらない。君が目覚めた当初はまだワタシのサポートが完全に働いていなかった。しかし今は違う。ある程度の制御はワタシが行うから君は安心して物を握ればいい。けれど、自らの意思で力加減をコントロールする発想は悪くはない。不測の事態に備えて練習しておくのもいいだろう。万が一ワタシのサポートの範囲外になる可能性だってある〉
「そんな事態になることがあるのか?」
〈世の中何が起きるか予測不能だ。ワタシの機能もまだ完璧とは程遠い状態だ。いつの間にか切れていた、そんな可能性もある〉
「……そうか」
制御を外してもらい練習する。最初は豆腐を全力で掴むような感覚だった。抑えているつもりなのに石を破壊してしまう。しかしコツを一度掴むと後は楽だった。簡単に潰せるアルミ缶も苦もなく持ち上げることに成功した。
次に教えてもらったのはモゲタンのことだった。簡単な説明を再度受ける。
〈もう一度説明しておこう。ワタシタチは宇宙にいる多くの珍しい生命体のデータを収集していた。しかし運悪くこの星の月と呼ばれる衛星に墜落してしまう。そこで収拾したデータを飛散させてしまった。君にはその回収の手伝いをしてほしい〉
「それは分かったけどさ。どうして、そのデータとやらはどうして暴れまわるんだ?」
〈ワレワレは採取した生命体をデータ化して運んでいた。そのためなのか、正式な手続きをせずに復元したものは本来の物とは違う物になることがままある。そして理由は不明だが周囲の物質を取り込み独自の姿に進化して暴れまわる傾向にもある。詳しい原因は分からないが自らの存在を示すための示威行動ではないのかと推察している〉
「それなら活動を開始する前に回収すればいいのか?」
〈それは難しいと言わざるを得ないだろう。データ単体の大きさは2mm程でしかない。この広い世界でそれらを探すのは砂漠でダイヤモンドを見つけるのにも等しいほど困難だ〉
途方もない話に思えた。
そんな小さなものを見つけ出し回収しないと元の姿に戻れないとは。
〈そんなに心配しなくても大丈夫だ。動けばワタシのセンサーに引っかかる〉
「そうか。ついでに一つ質問してもいいか?」
〈ああ、構わない。君の質問にはなるべく答えよう〉
「生命体のデータって言ったよな。それ本体の運搬をどうしてしなかったんだ?」
丸ごと運んでいればこんな面倒な事態を引き起こさなかったのではないのか。原因不明の理由で暴れることも無いのではないのかと素人ながらに考えてしまう。
〈大きな質量を運ぶにはそれ相応のエネルギーが必要となる。それは経済的観念からいっても不経済としか言いようがない。またデータ化することによって長時間を有する恒星間飛行にも耐えうることができる。元の生命体のままならば途中で朽ち果ててしまう〉
元来勉強が苦手。とくに理数系の科目なんて高校を卒業以来お目にかかっていない志郎にはモゲタンの説明はあまり理解できなかった。
〈それよりも君が望んだ場所にはまだ向かわないのか〉
理解不能なことに頭を悩ませている志郎にモゲタンが声を。
「……ああ、行くよ」
そう答えながらも志郎はその場に留まったままだった。
動かない。
それが三つ目の理由だった。
まだ迷っていたから。桂に会うことを。
会いたいとは望んでいるが、こんな変わり果てた姿で会いに行っていいものだろうか。
それに会ってどうする? この状況はキチンと説明できるのか?
分からない。
どうすればいいのか?
ならば、会ないでおくのも一つの手である。モゲタンの手伝いを完遂し、元の姿に、男の身体になってから行けばいい。
が、それは何時になるのか。全然分からない。
〈ワタシにも分からない。いつまでかかるのか計算不能だ〉
志郎の思考を読んでモゲタンが答える。
ならば、やはり会いに行かないと。
そうは考えるが、志郎の身体は依然その場から動かなかった。