人魚の想い 2
ああ、ムカつくムカつく。
不思議な力のおかげで、煩わしい嫌な、ずっとあたしを苦しめていたことからようやく解放されたのに、ムカつくようなことも押し寄せてくる。
ずっと、寝たきりの生活だったから勉強なんかしていない。どうせそう長くない人生だから、そんなものをしても無駄だと思っていたのに。
それなのに、元気になった途端急に勉強しろだなんて。
そんなの嫌。
面白くない、全然分からない、楽しくなんかない。
なんなのこの数学とかいう訳の分からない教科は、こんな数式なんか覚えたって絶対にあたしの役になんか立たないのに。
それに理科全般も。
あ、社会科も。
本当にこんなことすることが理解できない。
両親は健康になったんだから、これからの人生学力は必要と言うけど。言いたいことはなんとなく分かるけど、でもこれまでそんなこと全然言ってこなかったじゃない。
そんなことを急に言われても無理。
ずっと勉強とは無縁の生活をしていた、やり方が全然解らない。
一応、してみようと思ったけど何が書いてあるのかさっぱり。書いてある文章が読めないわけじゃない。本を読むのはまあわりかし好きだったから、文章は読むのは苦痛じゃないし、英語もテレビや映画のおかげで少しだけ分かる。でも、与えられた勉強用の本に書いてある内容がさっぱり理解できない。
理解できない、分からないから、楽しくない、面白くない、つまらない。
これまでずっと心配と迷惑を、後はお金を、かけてきたから言っていることに従いたいとは少しくらい思うけど、理解できなことをするのはすごく苦痛だ。
ベッドの上で退屈だった人生が、机の前で退屈な人生に代わる。
放り出してしまいたいけど、そうもいかない。
こんなおバカな娘のために両親は頼みもしないのに家庭教師なんか雇った。
まあ、これ位の費用なら入院代に比べれば微々たるものかもしれないけど、そんなの必要ないのに。余計なお世話なのに。
そんなものが付いても勉強が面白くなるはずなんかない。
むしろ、どんどんと嫌いになっていく。
雇われた自称家庭教師のプロとかいう中年の気持ち悪い男。
こんな問題も解けないのかとあたしを馬鹿にしている。
たしかに、あたしは馬鹿かもしれない。現に出された小学生レベルの問題も解けない、どころか全然解らない。年齢は義務教育の期間を超えているのに。
でも、しょうがないじゃない。これまでずっとしてこなかったんだから。
それなのに、それなのに。
それを解りやすく、懇切丁寧に指導するのがアンタの仕事でしょ。
なのに、理解できないのはあたしの脳が劣化しているからだって言いやがって。
それだけでも十分ムカつくのに、それ以上に腹立たしいのは厭らしい目で健康になり、魅力的になったあたしの身体をジロジロと見ることだ。
こんな男と一緒に同じ部屋にいるなんて。
虫酸が走る。
首にしたいのに。最悪なことにこの男、両親の前ではそんな態度をおくびも出さずにいる。自分は優秀な家庭教師だという風に振舞う。
そんな態度にあたしの両親はすっかり騙されてしまう。
本当にムカつく。
ムカつくのはあたしの周りの環境だけじゃない。
あたし自身の身体にも。
健康になったはずなのに両手を上げて喜べないような状況が毎月あたしの身体にやってくる。
そんなもの必要ないのに。そんな気はあたしの自由を阻害するから正常に機能する必要なんかないのに、それはかってにやってきて苦しめる。
ベッドの上での苦しみに比べれば幾分マシだけど、それでも不快な気分にさせる。
現に今もあたしの中でそれは起きている。
ああ、イライラしてくる。
こんな心理状態じゃ、また病気になってしまいそうだ。
一刻も早く解消しないと。
だから、夜中にあたしは窓からそっと外へ忍び出る。
誰にも邪魔されない夜の空を一人楽しむ。
本当はあのいけ好かない家庭教師から出された宿題をしないといけないけど、あんな男の言うことなんか絶対に聞いてやるものか。
ああ、思い出したらまた腹が立ってきた。
せっかく気持ち良く、夜空の散歩をしていたのに。
この怒りを何かにぶつけて発散したい。
けど、その辺にあるものを勝手に破壊なんかしたら迷惑になっちゃうし。所有者に悪いし。絶対にバレないはずだけど、罪悪感を覚えてしまいそうだし。
何か八つ当たりするのにいいものはないだろうか?
そんなことを考えていると、あたしの脳の中に信号が。
ああ、アイツがまた出たんだ。
アイツで憂さを晴らそう。
信号の発する方向へと、全速力で夜空を泳いだ。




