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ハラハラ、二人の関係 9


 美月みつきの告白にかつらは呆然となった。

 家族同然に楽しく暮らしてきた人間が、最愛の人を殺していた。そこには憎しみの感情はなく、悲しみしかなかった。

 掴んでいた手に力が入らなくなる。美月をあの少年のいる場所へと行かせたくはなかったはずなのに。それなのに小さな手を掴んでいられない。

 去り際の美月の声に懐かしさを感じた。

 離れた手を再び掴み直そうとしたが美月は桂の目の前から消えた。

 最後の言葉はいつもの呼び方ではなく、呼び捨てだった。それは世界で一番愛していた人と同じだった。

「……稲葉くん」

 彼の名前を呟いた。その時何かがおかしいと思った。美月はどうして彼の名前を知っているのか。会話の中で話題に上ることがあったが一度も美月の前でフルネームで呼んだことはない。だから、知らないはずなのに。

 色んなことが桂に脳裏に鮮やかに蘇っていく。悲しみに沈んでいた時の出会いから、今まで一緒に過ごしてきた楽しい日々のことを。

 もしかしたら大切な彼を奪った贖罪のつもりで美月は傍にいたのだろうか。憔悴しきっている姿を見て憐憫を覚え、一緒に暮らしていたのだろうか。

 違う。美月はそんな子じゃない。短い時間だけどいつも一緒だったから分かる。それに、たとえそうだとしても何か事情があるはずだ。絶対に。

 こんな場所でいつまでも泣いてはいられない。追いかけなくては。もっと詳しく話を聞かないと。美月が遠くに行ってしまう。

 桂は走り出した。

 追いかけようとは思い立ったが、どこに行けばいいのかまったく分からなかった。とりあえず、あのホテルを目指した。

 ついさっきまでいた建物は崩壊をしていた。瓦礫の中に偶然自分の鞄を発見する。携帯電話は見つからなかったが他は幸い無事だった。

 黒い夜空が一瞬明るくなった。それから遅れて、轟音が響いた。

 美月とあの少年の光と音の原因であることは桂には分かった。しかし、上空では追いかけられない。そもそも美月が無事なのかどうかも分からない。

 途方にくれかけた。目指す相手は上なのに下を向いた。

 頭の中に自分がこれから向うべき地が浮かんだ。なぜ、そんな場所を思いついたのかサッパリと分からない。

 それなのに桂はそこへ向けて走り出した。いつもはてんで当てにはならない勘ではあるが、どうしてかこれだけへ信じられる根拠の無い確信があった。

 近くの駅へと飛び込む。頭の中に浮かんだ場所は自力では辿り着けない。

 そこに行けば美月がいるはず。会ってちゃんと話を聞かないと。

 その一心で。


 湾岸の埋立地に美月は一人、黒髪でゴスロリ姿、で転がっていた。

 あの一撃に全力をこめた。人を殺した感触が身体にはまだ残っていた。

 ボロボロだった身体はモゲタンのサポートで少しずつではあるが回復している。それでも動けないほどに美月は体力を消耗していた。

〈これからどうするつもりだ? またワタシを封印するのか? 一人で死を静かに迎えるつもりか?〉

「いや」

 あの少年を殺した。機能を停止させた。もう襲われる心配はない。周囲に迷惑をかけることもないはず。それならモゲタンをつけていても問題はない。

〈そうか。では、これからもワタシの仕事を手伝ってくれるのか?〉

「ああ、それも悪くはないな」

 身体が回復しても元の生活には戻れない。それは稲葉志郎としても、伊庭美月としても。

 美月は考えた。これからの身の振り方を。

 まだ目覚めていないデータはある。それらは、これから活動をするのだろう。その中には暴れて関係の無い人々を不幸にするかもしれない。そして防ぐ力が自分にはある。亡くなってしまった人々への贖罪も済んでいない。

 そして、今しがた大きな罪を一つ背負った。

「まあ、普通の暮らしは不可能だけど。身を売れば生活費くらいはなんとか稼げるだろう」

 以前モゲタンが言っていたことを思い出す。性行為は可能だ。法律上違法ではあるが、ATMの不法操作よりは良心の呵責に苛まれることもない。

 まだ、身体は動かなかった。

「とりあえず、もう少しここで寝てから考えるよ」

〈好きにすればいい。ワタシは君の行動に従おう〉

 潮風が頬をなでた。それが気持ちよく感じられた。

 風が声を美月の耳へと運んだ。それは慣れ親しんだ声だった。

 最初は幻聴かと思った。身体の機能がまだ正常に作動していなくてありもしない声が聞こえる。

 声は徐々に近付いてきた。幻聴ではなかった。

「美月ちゃーん」

 その声は桂のものだった。一直線に美月へと向って走っていた。

 桂が美月を探している、その理由は別れ際の告白の真相を確かめるためであろう。上手い言い訳が見つからない。

 美月は逃げようとした。が、身体はまだ美月の意志に応えようとはしない。寝転がったまま。起き上がれさえしなかった。

 駆け寄った桂は美月の小さな身体を優しく抱き起こした。

「……どうして、ここに?」

「心配だからに決まってるじゃない、そんなの」

 その言葉を物語るように、顔は汗で化粧が落ちていた。肩で息をしている。目が少しだけ怒っていた。

「でも、僕は……」

「そんなの信じないから。美月ちゃんが稲葉くんを殺しただなんて。私は絶対に信じない。あの時の美月ちゃんの顔は本当のことを言っていない時の顔だもん」

「……」

「だから、本当のことは私に話してよ。本当の美月ちゃんを私に教えて。家族でしょ私達」

 泣きながら桂が言う。

 美月は答えずに、ただ黙ったままだった。

 小さな身体を抱きかかえている桂の手が美月の左腕のクロノグラフに微かに触れた。

「……稲葉くんを殺したって、そういう意味だったんだ」

 泣き顔が一変した。目にはまだ涙が溜まっているが笑顔になる。

(おい、桂になにをした)

〈桂がワタシに触れた時に君の身に起きた状況を全て説明した〉

(どうして余計なことをするんだ)

〈一人で生きていくよりも、これまで通りに桂と生活をしていたほうが肉体的にはもちろん、精神的にも君にとって好都合なはずだが〉

 たしかに、これまで通りに一緒に暮らせるのであれば、それは嬉しいことだった。

〈苦渋の決断をしてまでも行動してくれた君へのワタシからのプレゼントのつもりなのだが。お気に召さなかったか〉

(まさかっ)

 桂と別れたのはここからもっと離れた場所だった。時間もそれほど経過していない。それなのに倒れている場所をすぐに発見する。

〈ご明察だ。ワタシが桂をここへと案内した。以前、彼女の記憶を改竄した際に使用したナノマシンがまだ脳内に残っていた。それを利用した。コチラから電波を送りここへと導いた〉

 驚きで跳ね起きる。今までどれだけ力を入れても動かなかった体が噓みたいに軽くなっていた。

「身体が今まで動かなかったのもお前のせいか?」

 思わず声が出てしまう。

「どうしたの、突然」

〈ああ、そうだ。彼女が来る前に逃げられたのでは意味が無いから。君の回復を制限していた。しかし、もうその必要は無い。完璧な状態には程遠いが大抵の機能は作動する〉

「あっ、そうか。モゲタンと話してたんだよね」

「……うん」

「大体の事情は分かったよ。でも美月ちゃんの、……ううん、稲葉くんの口からちゃんと聞きたいな。だから、どっかに一人で行こうなんて考えないで一緒に帰ろ」

 最愛に人が見せてくれる満面の笑みに美月は抗うことができなかった。

「……うん」

「それじゃ。あれっ、でも、ここどこ? 夢中で来たから場所が分からないよ」

「大丈夫だから。そんなに心配しなくても」

 そう言うと美月の細い腕が桂を軽々と抱き上げた。

「えっ?」

「跳ぶ力くらいは回復してるよな?」

〈問題は無い。その程度の距離ならば帰還するには十分なほどの力は回復している〉

「それじゃ」

 美月は桂を抱いたまま空間を跳んだ。日常のある部屋に戻るために。


 何度かの空間跳躍の後、二人は部屋の中へと帰りついた。

「あっ」

 桂がなにかを思い出したかのように声を上げた。

「なに?」

「大事なことを忘れてた。玄関の外に出て。それからもう一度中に入って」

「どうして?」

「いいから、お願い」

 美月は桂の願いを素直に聞いた。外へと出て、再び玄関のドアを開ける。

「おかえりなさい。……稲葉くん」

 桂が笑顔で美月を中に迎えた。そして小さな身体を強く抱きしめた。

「ただいま、桂」

 大きな胸に抱きしめられながら美月は小さく言った。


                                    了


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