ハラハラ、二人の関係 8
美月が桂を連れて跳んだ場所は、先程のホテルから少し離れた公園だった。
この場に桂を置いて再び舞い戻るつもりでいた。
逃げられたと思っている少年はまた暴れ周り、周囲に大きな被害を出すだろう。それを美月は避けたかった。どのようにすれば解決するのか分からない。しかし、逃げることだけでは事態が解決しないのは分かっていた。
ただ、その前に桂の安全だけは確保したかった。
この距離ならば桂は無事でいられるだろう。
「ごめん、巻き込んでしまって。……この場所なら、もう安全だから」
ホテルのある方向から黒い煙が立ち上るのが見えた。
「行かなくちゃいけないから」
美月は顔を下げて沈んだままになっている桂を置いて跳ぼうとした。
その手を突然に握られる。
「……なに?」
「……さっきの話。答えをまだ聞いてない」
その声には悲壮があった。
美月は答えられなかった。
「……教えて。……美月ちゃんにもあの子みたいな変な力があるの?」
特殊であるが、ほぼ同類だった。美月は肯いた。
美月の返答に桂の曇っていた表情が、さらに険しくなる。
「それじゃ、秋葉原の街を破壊したのは美月ちゃんなの?」
半分は正解で半分は間違い。意識の無い身体をモゲタンが使用した結果があれだった。
美月は答えなかった。黙ったまま桂の顔を見ていた。
胸の中に去来するのは一緒に暮らした楽しい日々だった。おそらく元の生活には二度と戻れないだろう。
美月が、稲葉志郎が望むのは愛した女性が幸せになってくれることだった。それを自らの手で行えれば最良なのだが、望めない希望になってしまった。
「答えて」
桂の小さな声が美月の中で響く。
美月はまだ答えられない。どう答えていいのか分からずにいた。
「……美月ちゃんが、……稲葉くんを殺したの」
桂の声は涙声でその大半が聞こえなかった。けれど、美月にはなにを言っているのか分かった。
稲葉志郎という存在を殺したのは美月本人といっても過言ではなかった。元に戻れるチャンスはあったが、それを自らの意思で捨てた。
ほんの少し前まではこじれた関係を修復することだけに頭が回っていた。でも、もうどうでもよかった。これ以上迷惑をかけないためにも美月はあの少年から無事に逃げることができても、桂の元には戻るつもりは無かった。
ならば、いっそのこと嫌われたまま別れてもいいと思った。それは悲しいことだが、もしかしたら桂には良いことなのかもしれない。
その方が桂もスッキリするだろうと勝手に考えた。
「……稲葉志郎は、……僕が殺した」
強く握りしめられていた手が緩む。桂の手が美月から離れる。
「変身するぞ」
〈了解した〉
美月の全身が光に包まれる。一瞬で消えた光の後には魔法少女もどきの衣装になった美月がいた。
「ごめん。それから、さよなら。……幸せになってくれ……桂」
背中を向けた状態で美月は言った。その言葉は小さく、もしかしたら桂の耳に届かなかったもしれない。彼女は隠されていた秘密を知り悲嘆していた。嗚咽していた。
もし、届いたしても聞けるような状態ではなかった。
それでも美月はかまわなかった。
この言葉は桂にと同時に、自分への決意のための言葉でもあった。
そして、そのまま一度も振り向かずに美月は、あの少年のいる場所へと跳んだ。
ホテルは倒壊していた。少年が美月に逃げられた腹いせに暴れまわった成果だった。
それだけでは気が治まらずに無関係の人間にも襲いかかろうとしていた。
美月は跳んで、それを防ぐ。間一髪であった。
「戻って来てくれたのかよ。探す手間が省けたぜ。やっぱり、俺と一つになりたいんだな」
少年の目には美月が変身した魔法少女もどきしか映っていなかった。両手の持った剣を振り回し迫ってくる。
美月はその場から一歩も動かずにいた。両腕に円盤状の盾を展開させて少年の無茶苦茶な攻撃を全て受け止めた。
周囲にいた通行人が逃げる。周りには誰もいなくなった。
〈彼を止めるのだろう。このままでは不可能だ。コチラがやられる〉
モゲタンの声が頭に響く。
(分かっている。……策がある。俺の背中に盾を展開できるか?)
〈可能だ〉
(それじゃ、俺が合図をしたら展開してくれ)
〈了解した〉
両者には身長差があった。少年が小さな美月に向けて剣を振り下ろすように放ち続けていた。
美月は大きく一歩後退した。少年の剣が空を切り、踏鞴を踏む。体制が崩れた。一度空けた間を今度は一気に詰める。
美月は少年の懐へと入り、両手でしっかりと体を捕まえた。
「自分から抱きついて来るなんて積極的だね。でも、その可愛い背中ががら空きだぜ」
無防備な背中に剣が突き刺さろうとしていた。
「今だ」
合図の言葉を送る。むき出しの背中の上に幾重にも重なった盾が展開される。弾き返す。
「跳ぶぞ」
美月は大声で叫び、跳んだ。
力を持つ者同士が争えば周囲に被害が出る。それは美月がどんなに防ごうとしても防ぎきれるものではなかった。
事実、先程までいた場所も美月が防いでいたにも関わらず無傷ではなかった。
前回のサッカー場も人のいない場所として選んだが、結果は周囲に甚大な被害を出してしまった。
人にも場所にも、なるべく影響のない空間。
美月が選んだのは空だった。少年を捕まえたまま空中へと跳んだ。
一度の跳躍では高度を稼ぐことはできない。連続して跳ぶ。
その間も少年の剣が美月の体に襲いかかる。密着した状態なので威力は小さい。それでも何度も振り下ろされる攻撃は何枚かの盾を破壊して、無防備な箇所を傷付けていた。
それでも美月は上へ、上へと跳び続けた。まるで月に向うように。
「いいかげんに離せよ」
すでに二人の高度は航空機すら飛び交う空間の上にいた。
腕に入れてあった力を緩める。密着していた両者の体が離れそうになる。美月はわずかにできた隙間に足を入れ少年の腹部を蹴り出す。
月光に照らし出された影が二つになった。
「先に下で待ってるからなー」
蹴り出されたことによって先に落下する少年が言う。
少年の言うとおりだった。この高度から落下すれば無傷ではすまないが活動を停止するほどのダメージを与えられるわけではない。
一時的には動かなくなるかもしれないが、すぐに修復するだろう。
「あの少年は元には戻せないのか?」
〈おそらく不可能であろう。彼は強くなるという願望に支配されたといっていい。以前も言ったが大事な機能が壊れている。そんな状態ではデータを回収したとしても月面の母船には戻らないだろう〉
「そうか」
〈このまま放置しておけば、いずれ近い将来にもっと大きな被害を周囲に出すだろう〉
手に入れた力に酔いしれていた。目的も忘れて。
少年を止めることができるのは美月しかいない。それはすなわち、少年の命を絶つと同義であった。いくら身体を痛めつけても融合したデータが無事ならば、いずれ時間をかけて修復する。元の木阿弥になる。
これまでの戦闘でも不幸にも犠牲になった人達がいる。
しかし、自らの意思で殺すと考えたのは初めてだった。
美月の中に葛藤が生まれる。当然のことだった。
迷っている時間は無かった。美月は決断した。少年をこの手で殺めることを。その罪を背負うことを。
眼下にわずかに見える少年は空中で姿勢を制御しようとして手足をバタバタとさせていた。体が裏返る。美月に背中を向けたまま落下していく。
「行くぞ」
頭を下に向けた。足元に盾を何十にも重ねて展開する。それを足場にして美月は反動をつけて、少年目がけて飛んだ。
両者の距離は一気に詰まる。背中を向けている少年は美月の接近に気付かなかった。
夜の東京上空が一瞬明るくなるほど大きな爆発が起きた。




