桂
彼との出会いは大学進学で上京して一年が過ぎた頃だった。
大学で知り合った友達に誘われて小劇団の舞台を観に行くことに。
興味が無かった。これまでの観劇経験は学校でするものだけ。面白くなかった。
断りたかったけど、理由が思いつかない。それに無下に断るのも相手の気持ちを悪くするんじゃないかと。
面白かった。
今まで観たものと全然違っていた。
取り分け桂が興味を抱いたのは、台詞はそれほど多くなかったけど、終始舞台の上に立ち続けていた一人の青年だった。
上演終了後の打ち上げにも参加させてもらった。そこで桂はさっきの青年と話をした。自らの感想を直接口で伝えたかった。
同い年だった。さらに話をしてみると同郷ということが判明した。未知の環境に飛び込んで一年。慣れたけど、時折さびしさを感じていた。それを急速に埋めてくれたような気がした。
その日は連絡先を交換して別れた。
連休前に久しぶりに連絡があった。内容は芝居のチケットを買ってほしい。また彼の芝居を観られる。仕送り入金前で財布の中身も口座もピンチだったが、もちろん購入した。
すごく楽しみだった。
ちょっと前までは全然興味なんかなかったのに、今では舞台を観に行く日が待ち遠しかった。
この日を境に頻繁に会うように。
一緒に遊ぶ仲になっていった。
彼の生活は芝居の稽古と生活のためのアルバイト。この二つで構成されていた。毎日のように遊べない。
それでも桂には嬉しかった。
会える日が楽しみだった。
そんな関係を続けているうちにいつの間にか付き合うようになっていた。どちらの口からも交際と言葉は出なかったが自然とそうなっていった。
交際なんて桂にとって初めての経験。
どうすればいいのか分からない。それは向うも同じだった。
二人で色んな初めてを経験した。
初めて結ばれた夜もそう。二人とも初めての経験で終始ぎこちないものだった。それでも互いの愛を確かめ合った。朝、幸せを感じながらベッドの上でじゃれあったのも良い思い出だ。
恋は盲目。そんな言葉が相応しいくらいに桂の頭の中は彼のことで一杯になっていた。幸せな気持ちで満たされた。
彼の全部が良いとは言わない。完璧な人間は存在しない。たとえば彼にメールをしてもすぐには返ってこない。桂は最初そんな彼が嫌だった。でも付き合う年月が深まるにつれて知っていく。遅れて返ってくる短くて素っ気の無い文書の裏には何百という言葉と想いが詰まっていることを。
そんな不器用な彼をもっと好きになっていった。
就職先として選択した教員試験で頑張っている時も、卒論が思うように進まずに悩んでいる時も彼は応援してくれた。
そして桂も舞台で頑張る彼を応援し続けていた。
私立高校の教師に採用された春。彼もまた新しいことに挑戦し始めていた。舞台だけでは食えない。映像の世界に端役で出始めた。台詞も無い、少ししか映らない、それでも夢に向う彼を誇らしく思えた。
別れを切り出されたのは冬だった。頭の中が真っ白のなったのを憶えている。理由を問いただすと「一緒にいても桂を幸せにできない」将来のことを考えていてくれたんだ、そう思うと嬉しさで涙が出そうになった。惚れた欲目かもしれないが、この人には才能がある、絶対に成功すると思っていた。だから、絶対に別れたりなんかしない。陽の目を見るまで私が一緒にいて支えると桂は心に決めた。
雨降って地固まる、二人の仲はより一層結ばれた。
だけど、時々けんかもした。
そして笑いながら仲直りをした。
秋葉原の惨劇がニュースで流れた時、酷いことだけど自分には関係ないことだと思っていた。
しかし、その日を境に彼との連絡が途絶えた。
不安が生まれる。
その不満を解消するために、彼の友達に、所属する劇団のメンバーに連絡を入れる。けど、誰も彼の所在を知らない。
不安が大きくなっていく。
テレビ画面の向こうのアナウンサーが行方不明者の名前を告げる、モニターに名前が表記される。
その中に彼の名前を発見してしまう。
目の前が急に真っ暗になっていくような。
自分でも訳が分からないような感情に支配されていく。
泣き叫び、半狂乱になった。
桂はそのまま部屋に閉じこもってしまった。遅れて、そのことを知った友人から連絡が何件も入るが出なかった。
彼と一緒に幾夜を過ごしたセミダブルのベッドの上で布団に包まり泣き続けた。このまま泣きつかれて死んでしまいたかった。彼のところへと旅立ちたかった。けど、自ら死ぬ勇気は無かった。
何時間、いや何日この状態が続いているのか桂には分からなかった。
ただ、ずっと深い悲しみ、絶望に囚われていた。