ハラハラ、二人の関係 7
何を買っていけば美月が喜ぶか桂は考えた。この大切な幼い家族は笑顔を向けてくれるのか。それに思考を巡らすと今日一日暗く沈んでいた気持ちが晴れてくるような気がした。
校門を出たところで桂は声をかけられた。楽しい脳内妄想が強制終了させられる。
声をかけたのは見知らぬ少年だった。高校生のような容姿をしているが教え子の中で見たような記憶は無かった。
「成瀬桂さんですよね」
「……はい」
向うは知っている様子だった。名前を呼ばれて思わず返事をする。
「この写メの子と同居してますよね」
少年が開いた携帯電話の画面には美月が写っていた。以前に撮った、あのゴスロリの衣装だった。
少年から嫌な雰囲気を桂は感じとった。知らないフリをするのが得策と頭で考える。
しかし、首は正直に動いた。反射的に肯いていた。
少年の顔が歪むように笑った。
次の瞬間桂は腹部に強烈な痛みを感じた。けれど、それは一瞬の傷みだった。頭の中が白くなっていく。意識を失った。
意識を取り戻した桂が目にしたのは見知らぬ部屋だった。
室内の調度品を観察すると桂は自分がどこにいるのか分かった。いつの間にかホテルの一室へと連れ込まれている。身の危険を感じ、逃げ出そうとした。
逃げれなかった。
身動きが取れない。イスに紐で縛り付けられていた。
「やっと起きた。先生なかなか起きないからさ、勝手に連絡させてもらったよ。あの子、もうじき来るってさ」
ベッドの上で寝そべりながら勝手に桂の携帯電話を操作していた少年が言う。
「貴方は一体?」
「俺はこの子に興味があるんだよね。連絡を取りたくても取れない。そこで四方八方に手を尽くして、ようやくヒントが入った。それが先生だったんだ」
「美月ちゃんになにをするつもりなの?」
「一つになるためだよ」
少年の答えに桂は戦慄した。この見知らぬ少年は、どこで美月に目をつけたのか知らないが、幼い無垢な身体を蹂躙しようとしている。そう考えた。
「……貴方……ロリコンなの?」
事情を知らない桂は少年の言葉をセックスと捉えた。
「まさか。あんなまっ平らな胸を揉んでも面白くないからな。あの時は興に乗ったけど冷静に考えてみれば先生の胸で遊んだほうが楽しいし」
寝転がっていた少年が一瞬の速さで桂の前に来る。固く結ばれていたロープを一太刀で切断して桂をイスから立たせる。
窮屈な姿勢から解放された喜びは一瞬だった。
「きゃーーー」
悲鳴が狭い室内に木霊した。少年の手が桂のシャツのボタンを強引に引きちぎった。ブラジャーに包まれた豊満な胸が顔を覗かせる。
「色んな女を抱いてきたけど、これくらいのサイズがないと楽しめないからな」
いやらしく胸をまさぐりながら言った。
これから自分の身に起きることを想像した。桂の体を恐怖が支配した。怖くて声も出せなかった。
「けど残念。先生の相手をしてる時間は無いんだよな。もうすぐ来るからさ」
「……なんのこと?」
怖さで動かない口で擦れれるような声で桂は言った。
「最近起きている原因不明の事件、知ってるよな?」
桂は肯いた。あの彼が行方不明になった秋葉原の事件を皮切りに原因が分からないことが頻繁に起きている。もっとも意図的に避けていたために詳しいことは知らないが。
「あれさ、大半は俺がおこしてるんだよね」
少年の声はまるで自らの行いを自慢するかのようだった。
「それじゃ、……秋葉原の件も貴方が。……何者なの?」
憎しみが恐怖を上回った。この少年の言葉を信じるのならば、彼を殺したのは少年ということになる。
「そうだよな。普通は正体をばらしたりしないよな。それじゃ教えといてやるよ。俺も、あの子も同じ。世間でデーモンって呼ばれる存在さ」
「……デーモン?」
意図的に秋葉原の件を避けてきた桂は世界中で目撃されている存在のことを知らなかった。
「そこから説明しなくちゃいけないのか。口で言うのは面倒臭いから」
少年の姿が一瞬で変わった。目の前で起きたことが信じられなくて桂は目をパチクリさせた。
「……美月ちゃんも同じなの?」
「ああ。もっともアイツは俺のとはまったく別物の魔法少女のコスプレみたいな格好だけどな」
同居を始めた翌日に出現したことを思い出した。テレビで観たのを。
この少年の言っている途方のないことが、桂の中で現実味を帯びてくる。
「ああ、そうそう。言い忘れていたけど秋葉原の件は俺は関係無いから。あの時は俺はまだ力に目覚めていないからな」
「それじゃ……」
「もしかしたら、アイツがしたんじゃないのか」
「……噓よ」
目の前が真っ暗になったような気がした。大好きな家族が最愛の人を奪ったなんて。
「噓なもんか。本人に直接聞いてみたらいいよ。まあ、最後にそれくらいの時間なら上げるよ」
桂の視界が暗く歪んでいった。
何度も空間を跳んで美月は桂の勤める高校を目指した。
焦っていた。指定された時間には十分に間に合うが、気が気でなかった。囚われて不安になっているはずの桂の心境を想像すると美月は一刻も早く彼女の傍に行きたかった。
目的の地の高校の屋上に着く。あの少年の言葉は高校に来い。それ以上はなにも言ってはいない。
「くそっ、どこだ?」
〈焦るな。近くにいるぞ。あの少年の信号を感じる〉
目的の場所に来たのに桂の姿が見つからず美月は苛立ちの声を上げる。それをモゲタンが諌めた。
美月の頭の中に聞くことを避けていた音が響いた。あの少年が近くにいる証拠だった。
「どこからだ?」
〈案内する。それから冷静になれ。気負っていては事態は上手く解決しない〉
その声に美月は素直に従った。大きく深呼吸をして、焦る気持ちを少しだけ抑える。自らを観察するもう一人の自分を心の中に作る。
〈では、いくぞ〉
「ああ」
桂と少年のいるホテルの室内へと美月は跳んだ。
「待ってたぜ、来るのを。時間には間に合ったな」
美月が少年の居場所が分かるということは相手も美月が近付いてくることが分かるということだった。
少年は両手の剣をかまえ待ちかまえていた。その背後には桂の姿があった。
少年の影に隠れて美月の視界から少し外れていたが、フロアの崩れ落ち、その肩は少し震えているように見えた。
「桂さんになにをした?」
「まだなにもしてないさ。お前の相手をしてから、ゆっくり相手してもらうつもりだからな。楽しみは後に残しておくのさ」
「桂さんは関係無いだろ。もう解放しろ。お前の目的は僕だけだろ」
自分はどうなってもいい、桂さえ無事なら。
「そうもいかないんだよな。先生と約束があるんだよ。ほらっ」
少年に促されたが桂は後ろで崩れた姿勢のままだった。
「あらら、なんか知らないけど相当ショックを受けてるみたいだな。それじゃ俺が代わりに聞いてやるよ。お前さ、秋葉原の件と関係あるの?」
その問いに美月はなにも答えなかった。
ただジッと桂を見ていた。
「だんまりかよ。まあ、俺には関係無いから別にいいけど。そんじゃ、先生約束は果たしたから後は好きにやらしてもらうからね。その後、そのもてあました無駄に立派な身体を慰めてあげるから」
言い終わると同時に少年の右手の剣が横一線に放たれた。
剣先は早いが、あいかわらず動きが大きい。美月は紙一重で避ける。二の手、三の手と繰り出されるが美月の華奢な身体にかすりもしない。全てを寸でのところで避ける。
「なんで当たらないんだよ」
声に苛立ちが混じる。大振りな動作は、さらに大きく、そして単調になっていった。
美月は桂のいる場所とは反対の方向に逃げた。万が一を考えてだった。逆上している少年がなにをするか分からない。桂との距離を空けたかった。
避けるのは簡単だったが狭いホテルの室内。徐々に逃げ場がなくなった。美月の背中が壁に接触した。
「これで、もう逃げ場が無いよな。さ、覚悟しろ」
少年は美月を一撃で屠るべく左右の剣を高く上げようとした。上段から勢いをつけ美月を切り倒すつもりでいた。
さほど高くない天井に両手の剣が突き刺さる。動きが止まった。
その隙を美月は見逃さなかった。無防備な下半身に脚払いを放つ。
少年の体制が崩れる。
美月は桂の傍へと駆け寄った。震える身体を抱きしめた。
「逃げるよ」
一言、耳元で囁くとホテルの室内から美月と桂の姿が消えた。
「ちくしょー、逃がすかよ。どこに行っても無駄だからなー。お前のことはもう分かってるんだからー」
狭い室内に少年の声だけが反響していた。




