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20th Birthday 

ラスト二回は、稲穂と桂、二人だけの話。


「「かんぱーい」」

 琥珀色の液体の入ったグラスが高く乾いた音をリビングに響かせた。

二十歳(はたち)の誕生日おめでとう」

 と、桂が。

「といっても仮初の誕生日で、それに設定上の二十歳だからな。目出たいのか、目出たくないのかよく分かんないよ」

 成瀬稲穂としては初めての二十歳の誕生日であるが、自身としては二度目。

 だから、正直な感想として目出たいのかどうか良く分からずに、さらにいうと実感のようなものがまるでなく、せっかく祝ってもらっているのにそんな言葉が出てしまう。

「それでも一応記念日だし。それに前の時には一緒に居られなかったし」

 稲葉志郎であった時の二十歳の誕生日は目前に迫っていた舞台の裏方作業に追われていて、そんな感慨のような気分に浸ることもなかったし、それに付き合うか付き合わないかという微妙な関係だった頃で、舞台作業とアルバイトに忙殺されていたのでその前後数日は桂とはメールと電話でのやり取り位で会っていなかった。

「それを言うなら桂の時もしなかったよな。成人式も一緒に過ごしてないしな」

「そうだったわね」

 桂の二十歳の誕生日時はこれまた付き合う前だったので、友人達がお祝いしてくれるというのを彼女が優先し、そして成人式は実家、桑名へと帰省して晴れ着で着飾り、地元の式に参加していたのでこれまた一緒には過ごしてはいなかった。ついでにいうと稲穂こと志郎は故郷の津には帰らずにバイトに明け暮れていた。

「あ、そうだついでに訊くけどさ」

「うん、何?」

「時期的にはまだ早いけど、でも準備をするのには遅すぎるかもしれないけどさ」

「なんだ?」

 桂が何を言っているのか稲穂は見当がまるでつかなかった。

「成人式に出席するの? 晴れ着、振袖着るの?」

「ああ。しない、参加しないよ。それに、若い娘じゃないしな」

 この言葉には二つの意味が。一つは戸籍上は二十歳でまだまだ若いが、実際にはそれよりも歳を重ねていること。もう一つは中身がアラサーの男であること。

「ええー、着ようよ。成人式に参加しなくてもいいけど、写真くらいは撮ろうよ、晴れ着で着飾っている姿を見せてよ。私の目を堪能させてよ」

「買うのは勿体なくないか」

「別に買わなくても、私の着たのがあるし。あ、柄があれだったらレンタルでもいいからさ」

「いいよ、別に」

「見たいのにー。麻実ちゃんも実里も絶対に見たいって言うわよ」

「そうかな」

「絶対言うよ。あ、そうだ……」

「どうした?」

「成人式よりも先の話けどさ、大学の卒業式はどうするの?」

「どうするって?」

「卒業式の定番の袴よ。袴を着るのかどうかってこと」

「そんなまだまだ先の話。大体さ、ストレートで卒業できるかどうかも分からないのに。それに中退という可能性も無きにしも非ずだし」

 これは学業的な問題でなく、仕事の都合での話。今も日本の津々浦々どころか世界各地を極秘に飛び回っている。これ以上稲穂とモゲタンにしかできない作戦が立て込んでくると、とてもじゃないが大学の通うということは困難に。

「そうよね、これから忙しくなりそうだもんね」

「ああ」

「あ。袴で思い出したんだけど稲葉くん知ってる?」

「何を?」

「袴ってね、ズボンみたいな構造じゃないんだよ。だから、はいからさんみたいに自転車には乗れないって」

 はいからさんとは「はいからさんが通る」。大和和紀の漫画で、アニメ、映画、舞台になっている。ちなみにだが桂が観たのは再放送のアニメと映画。

 さて袴はズボンのように二股に別れていると思われるが、ごく一般的な袴は行灯袴と呼ばれる種類のものでロングスカートのような構造。これでは自転車に乗ろうと思えば乗ることは可能なのかもしれないが、大事な部分をまる見えという非情に恥ずかしいことになってしまい。桂が観たアニメのOPのように自転車に跨ることは難しく、まして漕ぐとなると前述したようなことになってしまう。

「知っている。というか、穿いたことあるからな」

「そういえば前に言ってたよね、結婚式場の仕事で穿いたって。でもそれって男用のだよね。だから今度は女性用の袴で私を楽しませてよ」

「……うーん、まあまだまだ先の話だろ。それよりも呑もう」

「そうね、これからジックリと稲葉くんを洗脳すればいんだから」

「モゲタンがいるから洗脳は無理だぞ」

「それだったらモゲタンを説得すればいいんだ」

「そう上手くいくかな。うん……美味いなこれ」

 社会理念上未成年の飲酒は禁止されているが、稲穂は時折家でこっそりとアルコール、ハイボールやビール、カクテル系、そして時には実里に付き合い日本酒、を味わっていた。その時に味わっていたものよりも格段に美味しいような気がした。

「ほんと」

 桂も同意を。そして続けて、

「けど……こんなに早く呑むことになるとは思わなかったよね」

「ああ、そうだな。買ったときの予定は大分と違ったな」

 今二人が飲んでいるのは昔買って寝かせておいた、竹鶴21年。これをロックで。わりと良いウィスキーなのでストレートで呑むのが好ましいのかもしれないが、それだとキツく、かといって普段桂が好んで吞んでいるハイボールでは少々勿体ないということで、この日のために氷屋さんに注文しておいた純度の高い氷で楽しんでいた。

 本当は元に戻れた時、もしくは伊庭美月が二十歳になった時にそのお祝いとして開ける予定であったのだが、諸々の事情でその予定が大幅に繰り上がることに。

「あ、そうだ。ゴメンね」

「……どうしたんだいきなり」

「あのね……じつはコレを開けようとしたことがあったの……」

「ふーん、そんなことがあったんだ。……あ、もしかして……俺がいなくなった後か」

「……うん。……もう二度と稲葉くんに会えないのに、このお酒を後生大事に残していても仕方がないかなと思って、それで一度麻実ちゃんと一緒に封を開けようとしたのよ」

「別に呑んでもよかったのに」

 あの状況下では桂がそう思うのも当然であるし、そして当人としても姿形は変化してしまったが、こうして愛する人の所に帰ってこられて、また一緒に暮らすことができるなんていうことは想像だにしていなかった。

「でもあの時開けなくて正解だった。こうして二人で一緒にお祝いできるんだから」

 いつもは賑やかなリビングではあるが、この時は文字通りの二人きりだった。

 稲穂がいつも着けているピアス。その正体は人類の力を遥かに凌駕した存在であったのだが、そのモゲタンは二人に気を使い、一部の機能だけを稲穂の中に残し、別室で待機していた。

「けどさ、もし仮に桂と麻実さんが吞んでしまっていたとしてもさ、新しいのを買えばいいだけじゃ」

「二人で一緒に選んで買ったのがいいんじゃない」

「いや、新しいのも多分二人で選んで買っていたはずだろ。それこそあの時悩んで諦めた25年とかもっと高いのとか、例えばサントリーの山崎とか」

 ここ数年、ドラマの影響や欧米での人気で、国産のウィスキーはプレミアム化していたが、それを買うくらいの経済的余裕があった。

「それはそれで美味しいかもしれないけどさ。あ、でもこれ以外のウィスキーは却下かな」

 これとは竹鶴の銘を冠したウィスキーのこと。

「どうして?」

「だってさ、竹鶴を選んだのは二人のお話が良かったからじゃない」

「ああ、そうだった」

 ニッカの創業者、マッサンこと竹鶴政孝とその妻リタの仲に感銘を受けて、竹鶴の名を冠したウィスキーを桂は選んだ。

「このお酒を選んで本当に良かった」

「……うん」

 返事を返し稲穂はロックのウィスキーを一口。

 芳醇でほのかに甘い味わいが口中に。

「本当に美味いな」

「うん」

「これならさ、ロックじゃなくてストレートでもいけるかも」

「それは流石に強すぎるんじゃ」

 アルコール度数は43度。

「そうかな」

「だってさ、このロックでもいつものハイボールよりも度数は高いはずだし」

 具体的な度数はモゲタンがいれば算出できたかもしれないが、氷で幾分薄まっているとはいえ桂にはいつも好んで呑んでいるハイボールよりも遥かにキツく感じられた。

「そうだけど、行けるような気が。チェイサーがあれば大丈夫なような気もするけどな」

 中身は成人男性。

 アルコールに強いということにちょっとした憧れがあった。使う予定もないのに以前購入したショットグラスに竹鶴をほんの少しだけ入れる。

 一気に呷るだけの勇気は流石になかったので、一舐め。

 喉の奥が焼けるような感覚が。

「うわー、キツい」

「だから言ったのに。ほら、水飲んで」

「でも、多分行けるような気がする」

 アルコールがキツイのは事実だがそれが嫌な感じではなかった。

「うん、でも美味い。桂も呑む?」

「私は遠慮しておく。ロックでもちょっとキツいのに」

「じゃあ、ハイボールにするか」

「うーん、これ呑んでから考える」

 二人は無言でまたグラスを重ねる。

 他愛のない、最近あったごくありふれた日常を楽しく語りながら。

「しかし本当に美味いなこれ」

 ストレートで呑むことに慣れてきた稲穂がお代わりをして言う。

「ちょっと稲葉くん酔ってる? 普段よりも饒舌になっているわよ」

「うん、幸せにな」

「やっぱり酔ってる。いつもはそんなこと言わないのに」

「そうかも。……でもさ、幸せと思っているのは事実だよ。あんなことがなければ桂とこうして一緒に居られなかったからな」

「そうね、色々あったもんね」

「うん、色々あった。女子中学生になるなんて想像もしてなかった」

「そんな想像してたら嫌だよ」

「まあ、そうかもな」

「年下の可愛い友達が沢山できたもんね」

「ああ」

「で、そのうちの一人、美人(みと)ちゃんは稲葉くんの弟子みたいなものだし」

「いや、彼女は俺というよりも紙芝居のお兄さんの弟子だよ。あの人の指導で演技が上手くなっていったもんな」

「うん。あ、そうだ。あの人と稲葉くんが出会わなければもしかしたらお兄ちゃんは未だに独り身だったかも」

「そんなことないだろ。……と言いたいところだけど文尚さんは積極的にそういう行動をする人じゃないからな」

「でしょ。おかげで可愛い甥っ子ができたし」

「うん」

「ねえ……ウチもそろそろ考えてみる?」

「ああー、でもさ……うーん、会社は今のところ順調だけど、まだ桂の力が必要だからな、俺もまだ一応は学生だし」

「そうね。経営は安定してきているけどまだまだ大変だもんね。私はお飾りだけど、それでもやること一杯あるもんね」

「お飾りなんかじゃないよ、桂がいるから上手く回っているんだ。それに桂はずっとウチの会社の顔じゃないか」

 本人は自分のことをお飾りだと卑下しているが、事実桂は会社のある意味看板、稲穂の言うように会社の顔としての知名度があった。

「ありがと。……でもさ、将来的には、……欲しいよね」

 稲穂はすぐに返事を返さずに、ウィスキーを口に含む。

「ああ、もしかしたら私とは嫌なんだ。やっぱり若い子のほうが良いんだ。美月ちゃんの頃から靖子ちゃんアプローチをかけられていたもんね」

「そんなことないって」

 キツさの二乗で咽そうになったのを何とか堪えながら言う。

「うん、知っている。わざと言ってみただけ」

 アラサーだけど可愛い仕草で。

「桂、酔っている?」

「うん、酔っているかも。でもこれはお酒じゃなくて稲葉くんと一緒で幸せだから」

「一緒か」

「うん、だからこれからももっと私達のことを幸せにしてね」

「絶対にとは言えないけど、鋭意努力します」

「じゃあさ、……今から努力してもらおうかな」

「へっ、何すればいいの?」

「もー。……せっかく久し振りの二人きりなんだからさ」

 そう言いながら桂は稲穂の柔らかい胸に頭を預けた。

 桂が何を求めているのかを察した。

「それじゃこれ片付けてから」

 片付けるのはグラスに残ったウィスキーと適度につまんだおつまみ各種。そして宴の跡片付け。

 手始めにまず残っている少量のウィスキーを空にしようと稲穂はショットグラスに手を伸ばすが、寸でのところで桂に持っていかれる。

「何?」という疑問の声を出す前に桂はそのショットグラスを一気に煽る。

 唖然としながら稲穂は「桂?」

 桂は何も答えずに稲穂の顔を掴み、自身の顔を近付ける。

 柔らかな唇同士が触れ合う。

 と、同時に口の中に含んだままのウィスキーを口移しで。

「美味しい?」

「うん、美味しい」

「こういうの、一回してみたかったんだよね」

「いつも以上に積極的だな」

「お酒が入っているからかも。ねえ、しよ……」

 元男として、こんなにも積極的に求められているのにそれを断るなんて。据え膳食わぬはなんとやらではないが。

 稲穂は返事の代わりに、桂を静かに押し倒した。



今年も八月一日に投稿。

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