稲穂対ごぢら 5
特殊回。
報道ヘリが稲穂の変身を捉えたのはある種の偶然と、これまで培ってきた仕事の技術が合わさり、それが上手いタイミングで重なったものであった。
遅れてはいたが、それでもごぢらを追跡していたからカメラに収めることができ、また経験の浅いカメラマンなら、被写体、つまりごぢらをカメラで追うことに必死になりすぎ、その先で一瞬光った小さな物体、稲穂のことなどは全く気にも留めなかったであろう。事実、他のクルーはリポーターもディレクターも、そしてパイロットも全く気が付いていなかった。
捉えたといってもそれはごぢらと対比すると豆粒のよう大きさ。
全国に生放送中、その総視聴者数一千万に近い人間の中でもこのちょっとした異変に気が付いたものはほんの少しの割合であった。
だが気が付かないのも無理のない話かもしれない。それよりも原発に近付くごぢらが皆気がかりであった。この未知の生物、怪獣が原発を襲うのではないか? もしそうなったら日本はどうなってしまうのか? 大半の人間の思考がそちらに傾くのはごく当たり前のことである。
日本中がこれから先どうなるのかと、固唾を飲みながらテレビ、もしくはPCのモニター、あるいはスマホの画面を凝視している中、今度は多くの視聴者も気付くような出来事が。
ごぢらの大きな身体が海中で不自然によろめいた。
これは稲穂の攻撃、真正面からの一撃でごぢらの巨体をよろめかせたからであった。
が、それまでだった。
身長差で約二十倍、重量、質量の差はそれよりも格段に大きい。速度をつけての体当たりであってもその巨体をよろめかせるくらいが精一杯であった。
大きなダメージ、決定的な一打となり得なかった。
だが、ごぢらの巨体がよろめいたのは確かなことであった。
そしてそれによって報道ヘリの中のカメラマン以外の人間も、ごぢら以外の何か、つまり稲穂がこの場に存在していることに気が付いた。
『今ごぢらの大きな身体が少し後ろへと傾きました、普通に歩いているだけでは起きないような動きです。あ、今何か小さなものが動いた、ごぢらの前に何かがいて、それがごぢらに向けて何らかの動きを行っているみたいです。しかし、それは小さすぎて肉眼では判別できませんし、カメラでもハッキリと映すことができません。もう少しヘリを近付けたいと思います。パイロットさん、お願いします。何でしょうか、ここからではごぢらの巨体に上を跳び回ってるノミのように見えますが、えl、えっ? カメラさんが捉えたようです。スタジオに回します。ああ、はい、人ですか? カメラの映像では人のようなものが見えているんですね。私の位置からではまだ肉眼ではキチンと見ることができません。もう少し接近したいと思います。ああ、消えた、消えました。さっきまで見えていたんですが、何処かへと消えてしまいました。えっ? えっ、何処……何あそこにいる? 何処? 何処にいるの? いました、さっきまでいた位置とは全然違う場所に突如として出現しました、何でしょうか? 何か丸い円盤のようなものが。ああ、それを足場にして空中へと跳びました。ごぢらの上に、頭の上に取り付きました。ああ、ごぢらが大きく頭を振ります、人のようなもの、今確認でました、人です、細かい部分までは見えませんけど、明らかに人です。大きく振ったごぢらの頭の上から落ちたー、大丈夫かー、しかし海の上に落ちたような形跡はありません、何処に行ったのでしょうか? ……いた? ……分からない? 尻尾? 居ました、何時の間にかごぢらの尻尾の上にいました。コチラとの距離が近くなった分、よく見えます、その姿がよく分かるようになりました。……何か仮面のようなものを被っていてその顔を分かりませんが、女性のようですが、ここからではまだ確実に判断はできません。え、何ですか? もっと近付くことは可能かどうかですか? どうする? 行ける? 危険? でも、あと少し近付いてみる? 了解。それではもう少しヘリを近付けてみたいと思います。今ごぢらの背後へと少しずつ近付いております。ああ、見えました、今ハッキリと確認できました、やや遠目ではありますが長身の女性のようです。何か水着のようなものを着用しています、一体彼女は何者なのでしょうか? 人とは思えないような動きでごぢらの進行を、原発に近付くごぢらを、その小さな身体で防いでいます。その様子をもう少し近くで観察したいと思います。また消えました、また私たちの目の前から突然いなくなりました。何処に行ったの……か……ああ、今ごぢらが首を動かしました、私達の乗っているヘリを見ています。コッチへとごぢらが近付いてきました。危険です、高度を上げて、距離をとってください、ここから一旦離れたいと思います、安全を確保して撮影をしたいと思います。ああ、ごぢらの手が大きく動きました。どうやら私達のヘリに対して攻撃を仕掛けてきたように感じますが、ここの位置までは届かないでしょう。ごぢらの尻尾が強く海面を叩きました。大きな水柱が……水の塊がヘリにコッチに向かってきます……、急いで逃げてーうわああああああああああ……えっ? なに? お尻……』
ごぢらの起こした水柱のうち一部が大きな水の塊となり報道ヘリへと襲い掛かった。ヘリのパイロットはそれから逃れようと必死に操作するが回避は到底間に合いそうになく、水とはいえ巨大な質量であることは一目瞭然で、これがヘリにぶつかればひとたまりもない、海へと墜落してしまうであろうことはリポーターも同乗しているディレクターも、当然操縦かんを握るパイロットも、スタジオの演者も、それこそモニターの向こう側の視聴者も皆一様に想像でき、これから起きるであろう惨劇に背筋を凍らせていた中、カメラマンは一人己の職務を最後までまっとうしようとカメラを回し続けていた。
そんな中、予測された悲劇は起こらず、代わりにモニターに大写しされる、綺麗な魅惑的な桃のようなお尻のアップ。
お尻の主はもちろん稲穂である。
途中、再度カロリーを補給するために一時現場から空間跳躍で退き、充填した後ごぢらへと再接近したのだが、そこでヘリに迫る推定水量100トン以上の塊を目撃、空間跳躍を連続してヘリの前へと。同時に円盤状の盾を幾重にもヘリの前面に展開し、誰もが予想した未来を回避した。
その為に稲穂の大半が露出しているお尻がしばし大写しにされた。
が、その後画面は砂嵐になり、やがてカラーバーになった。
これは切迫した緊急事態だというのに、視聴者からの「昼間から卑猥だ」というクレームを受け、そんなものは無視しても構わないのに、いつもの事なかれ主義の精神をいかんなく発揮させた局の上層部の指示で、稲穂のお尻をテレビには映さないようにするための処理というか時間稼ぎであった。
数秒後、スタジオ中継になり、司会のアナウンサーが「現在電波が混乱しておりますが、中継ヘリの無事は確認できております。安全な場所まで避難しております。安全が確保でき次第リポートを再開してもらいます」と説明を。
それから数分後現場からの映像が再び日本中、世界中に流れる。
しかしながらそれはLIVEというテロップが出ているものの実は数秒遅れの映像であった。
生放送ではない理由は前述したように、いかがわし、卑猥なものを、つまり稲穂のお尻をなるべくお茶の間に映さないようにするための細工であった。ヘリを後方へと、安全空域へと避難させ、遠距離での望遠撮影へと移行したのだが、それでも意図していないもの、何度も言うが稲穂のお尻がまた電波にのって流れてしまうことを考慮し、もしそうなった場合は速やかにボカシ処理を施すためにわざとタイムラグのある映像を。
幸か不幸か、懸念したような事態は起きなかった。
カメラマンもその指示を受けており、なるべくファインダーから謎の女性、つまり稲穂を外すように撮影しろという社命を厳格に守った。
『先程の女性が未だごぢらと対峙しております。一体彼女は何者なのでしょうか?』
と、リポーターは言うが、その横のカメラはさっき明示したように一向に稲穂へと向けてズームしない。なんならわざと稲穂をカメラから外すように撮影。
これに業を煮やしたのは一部の視聴者。
「ええい、ごぢらはいい。さっきの女を。もっと女を映さんか」
某アニメのお父さんのようにモニターを掴みながら、あるいは揺らしながら、繰り言のように文句を。
だが、これが聞き届けられるわけもなく。テレビは相変わらずごぢら中心の映像を。
「もっとお尻を、さっきのお尻をもっと映さないか、さっきよりも鮮明に」
魂の絶叫のような声を発するが、その声はむなしく響くだけであった。
『あれから数分経過しましたが、海上ではまだあの謎の女性とごぢらの攻防が繰り広げられております。やや女性のほうが押しているような印象でしょうか。ごぢらと原発の距離が遠退いているような気がします。あの小さい身体のどこにごぢらの巨体を押し返すような力があるのでしょうか。全く持って不思議です、現実に目の前で起きていることのですが、アニメや漫画を観ているような錯覚を持ってしまいます。ああ、今ごぢらを踏み台のようにして高く空へと舞い上がりました』
これまでずっとごぢらを映していたカメラが被写体を変更、つまり稲穂の動きを追う。
しかしその速度がカメラマンの予想よりもかなり速く追いかけきれない。
「何やってんだよー」
悪態をつく視聴者が多数。
『どこまで上がったのでしょうか? 下りてくるような気配が全然ありません。……ああ、えっと……ごぢらの様子は。えっ? 下りてきた? ああ、光ってるの? ものすごいスピードで落下しているようです。例えるならば光の矢のようです。ごぢらを目指して真直ぐに落ちてきます。この勢いでごぢらの進行を止めることができるのでしょうか? あの巨体を貫くことができるのでしょうか? 原発に接近させないためにもここで是非とも食い止めてもらいたい。……当たりました、命中しました……。しかしごぢらの大きな身体を貫くには至っていません。あれだけの速度で当たったというのにごぢらは微動だにしていません。あの謎の女性の姿も見当たりません。ごぢらを止めることは不可能なのでしょうか。このままごぢらによって原発が破壊されてしまうのでしょうか。……ああー、今ごぢらの身体に異変が起きています。身体が崩れ落ちています。まるでナウシカの巨神兵のようにボロボロというかドロドロになって崩れていきます。ああ、ごぢらの姿が完全に駿河湾から消えてしまいました。海上にはごぢらであった肉片のようなものが漂っているように見えますが、そんなに多くはありません。ごぢらは消失したのでしょうか? 原発は守られたみたいです。……しかし、あのごぢらを倒したと思われる女性は一体何者何者なのでしょうか? そして何処に行って……ああ、いました。ごぢらの肉片の上にいました。消えた……目の前からあの女性は突如その姿を忽然とくらませてしまいました』
次話は、今回の話の裏側。




