ハラハラ、二人の関係 2
モゲタンのサポートを切ると、美月は身体の使い方に苦慮した。
力がありすぎるために終始神経を働かせておかなければ周囲の器物を破壊してしまう。細心の注意を払って行動した。
しかし、それもすぐに終わった。時間の経過と共に身体が鉛のようになった。以前より重たくなっていくように感じた。
成長で身体が大きくなったわけではない。身体が言うことをきかなかった。
自由自在に動いていた身体がまるで見えない糸に縛られているかのように思うように動かせなくなっていた。
力加減で苦労していたのに、今度は逆に力が入らずに困っている。
買い物も美月の分担だった。以前はどんな遠い店でも、どんなに重い荷物でも苦労することは一つも無かった。それが今では近所の店に行くのにも重労働だった。
けれど、考えてみればこれが普通の女子中学生である。これまでの生活が尋常ではなかったのだ。
普通に生きていくと決めた。少女として二度目の人生を送ると一人心の中で密かに誓っていた。
朝の目覚めも辛かった。すぐに起きられたのに、なかなか身体が目覚めない。その結果、寝坊をしてしまう。桂の弁当を作ることができなかった。
それを申し訳なく思い、素直に謝る。
「いいわよ、そんなの気にしなくても。美月ちゃんは退院したけど身体がまだ本調子じゃないだけだから。それに昔に戻っただけだから」
反対に気を使ってもらう。それがまた気になってしまった
美月は珍しく学校の階段で躓いて転んだ。それも派手に。
以前のように軽やかな身体ではなかったが日常の生活に支障をきたすまでではなかった。転ぶということはこれまで一度も経験したことの無いことだった。
「大丈夫か?」
「……うん、平気」
一緒にいた知恵が心配の声をかけてくれる。転んだだけで別段どこかをぶつけてわけではない。その証拠に身体は痛みを訴えてはいなかった。
「パンツ見えてるよ。早く起きてスカートを直しなよ」
文の指摘を受け、起き上り盛大に捲れあがったスカートを直す。少女の身になってしばらくになるが未だに、この女子の羞恥心というのが理解できずにいた。パンツを見られても恥ずかしいという感情がまったくなかった。
「……血が出てる」
美人の指摘に美月は視線を自分の脚へと向けた。言葉の通りに右の膝小僧から一筋の赤い血が流れ落ちていた。
「保健室行くか?」
知恵の言葉に美月は首を振った。出血といってもたいした量ではない。大げさにすることもない。血は出ているが痛みがその存在を訴えてくることはなかった。
「いいよ。これくらいなら」
「……これ」
ポケットからティシュを取り出して美人が渡してくれる。
「ありがとう」
それを受け取り血が出ている箇所に当てる。すぐに出血は収まった。
「けど、ほんま珍しいな。美月ちゃんがこんなんでこけるなんて」
「本当だよね。運動神経抜群なのに」
文は相槌を打つ。
「まあ、でも病み上がりやし。今の美月ちゃんは病弱の美少女やからな」
そうかもしれないと思った。退院をしてから、いや、モゲタンを外してから身体の調子が以前に比べるとおかしかった。
この軽いはず少女の身体が、いつも重たく感じられた。
転んだのは学校での一度だけではなかった。
みんなの見ていない所でその後も何度も躓いた。頭と身体のバランスが崩れているような感じがした。上手く動けなかった。
桂が仕事で遅くなると言っていたので一人で食事をとり、一人で入浴する。
「……なんだ、これ?」
脱衣所の鏡に映った小さな裸身を見て言った。昨日まではなんともなかった身体のあらゆる箇所が黒く変色をしていた。
大きく変色していたのは、左腕、腹部、右の太もも。触ってみるが傷みはまったく無かった。
自分の身体に何が起きているのか、美月は必死に考えた。そんな疑問にはすぐに答えてくれる相手がいたが、今はいない。自らの意思で接触を絶った。
三箇所の大きく変色している部分には共通点があった。それは全て戦闘時に大きなダメージを受けた箇所だった。腹部は確認飛行物体との時、左腕は少年の剣に切断され、太ももは同じく突き刺されたものだった。
いずれの怪我もすでに治ったものだと思っていた。傷跡なんか無かったはず、問題もなく生活できていたのに。それがなぜ、今頃になって変調をきたしたのか。
〈驚かすつもりはない。必要が無かったから今まで説明はしてこなかったが君の身体はワタシの管理下にあることで生存している。ワタシの手の届かない範囲に行けば君は生存運動を停止するだろう〉
モゲタンの言葉が美月の脳裏に蘇った。
接触を絶ったことで身体が維持できずに悲鳴を上げているのだろう。入院をしている時もモゲタンをつけていない状態では治りも遅かった。そして、今はモゲタンのサポートを完全に拒絶している。
大事なことをすっかりと失念していた。忘れていた。
もしかしたら、そう遠くない未来にこの伊庭美月という少女の身体は崩壊してしまう。
あくまで自分一人で考えたことだ。正解かどうかは分からない。けど、その推論で間違いでは無いだろう。確証のようなものが美月にはあった。
崩壊の先に待っているのは、死だった。
死というものを今までに人生で考えたことがなかったわけではない。けど、いざ目の前にすると恐怖が全身を駆巡るように感じた。気付かぬうちに少し震えていた。
「ただいまー。あー疲れた。美月ちゃんお風呂に入っているの?」
玄関の開く音。桂が帰宅する。メイクを落とすためと美月がいるかを確認するために脱衣所へと入ってくる。
「……あ、おかえり」
「どうしたの? なにかあったの? 震えてるよ?」
「……別になんにもないよ。それじゃ、僕お風呂に入るから」
美月は慌てて浴室の扉を開き、中へと入った。見られるわけにはいかなかった。幸い桂は変化には気付いていなかった。このまま隠しておかなければ、心配をかけてしまう。
「せっかくだから私も一緒に入ろうかな」
声と共に微かな衣擦れの音がする。桂が服を脱ぐ音だった。
「入っちゃ駄目っ」
思わず叫んでしまった。一緒に入浴すれば変色した身体を、異常な状態を確実に見られてしまう。
「そう、残念ね。せっかく久しぶりに一緒に入ろうと思ったのに。でも、まあ、色々と恥ずかしくなる年頃だもんね」
美月の拒否を思春期の羞恥として捉えてた。教育者としての考えでもあり、実体験に基づいたものでもあった。どちらにしても美月にはありがたかった。
眠れなかった。目を瞑ると闇の中に引きずり込まれそうな気がした。怖かった。横で寝息を立てている桂の顔を見る。悪夢を見ているのだろうか、苦悶の表情をしていた。その顔にそっと手を伸ばす。少しだけ穏やかになる。
元気な状態に戻る方法は一つだけあった。それは再びモゲタンを身に着けて身体の管理を任せること。そうすればなんの憂いもなく生活をできるだろう。
しかし、二度と着けたくはなかった。そう決意した。手伝うのやぶさかではないが、同じ人間同士で争うのは嫌だった。男の姿には戻りたい。けれど、誰かを不幸にしてまで幸せになろうとは思わなかった。
一睡もできないままに朝を向えた。
これは罰なのかもしれない。あの時、他にも犠牲になった人は多くいたのに一人生き残ってしまった。それならば素直に受け入れよう。
それから今後のことも考えた。死が訪れるまでの時間に自分になにができるだろうか?
結論はでなかった。
左腕の変色を隠すために美月は長袖のシャツを着た。スカートの丈もいつもより少し長くして太ももを完全に隠す。腹部は中にTシャツ着て隠した。
体育の時間はプールだった。授業を受ける為には水着に着替えなくてはいけない。
「なんや、美月ちゃんは欠席?」
「うん。……アレだから」
以前誤解されたことがこの時には役立った。欠席の理由を取り立てて考える必要は無い。女子には定番に理由がある。生理を言い訳にして水泳の授業を休む。
「まあ、私と一緒ですわね。こんな時も一緒なんて私達は気が合いますわ」
同じく欠席で制服姿の靖子が言い、抱きついてくる。症状が重いほうなのか、声とは反対に顔色が少し悪かった。
「休むんやったら、もう少し大人しくしとれ」
「元気な状態でしたら、このまま押し倒していますわ。でも、美月ちゃんの水着姿をこの目でバッチリ見れないのは少し残念ですけど」
靖子は目が悪くてコンタクトを使用している。授業に参加するとなると安全上のために外さなければいけない。けれど見学者なら外す必要はなく、よく見える状態で美月の水着姿を観察できる。それができなくて残念がっていた。
「離れや。見てるコッチが暑くなってくるわ。美月ちゃんも嫌やったら、嫌とハッキリ言わんとあかんで。じゃないとこのアホは分からへんで」
「ちょっと、冷たいじゃないの」
濡れている知恵が二人を引き離そうとする。水滴が顔にかかる。
「いいよ。そんなに嫌じゃないから」
暑いのは確かだが、抱きつかれるのにはもう慣れていた。不快感も無いし。
「まあ、それじゃこれから保健室に行って、二人だけに甘い時間を過ごしましょう」
美月の手を引っ張り走り出そうとした。
「暴走すんな」
知恵の鋭い突っ込みが靖子の頭頂部に直撃した。
いつもの光景にプールサイドに笑いが起こった。




