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secret base その3


「なるほど、稲穂は元売れない役者の男性で、そして桂と長年付き合っていた恋人だったんだな」

「……重大な秘密をせっかく打ち明けたのに、そこなの」

 実里の言葉を受けて、桂が少々呆れたような声色で。

 最初の実里の言葉、感想は語り始めてすぐに出た言葉ではなかった。

 あの三月の日、流星群が夜空に走った夜、稲葉志郎という青年は伊庭美月という少女の姿に変貌し、そしてモゲタンというパートナーを得たというところから桂が実里に語りだした。当の張本人である稲穂ではなく何故桂が代わって話したのかというと、本人が話すとどうにも饒舌になってしまうか、もしくはその反対に過不足になってしまうことを懸念して、一番身近にいて、なおかつ国語教師であったことから物事を簡潔に説明する術を一応は持ち合わせていたからだった。桂の語りに、時折麻実が茶々を入れ、そして細かな補足を稲穂が。

 これまでのこと全てを語ることは不可能である。メタ的な発言になるが、凡そ百万文字に近いこの小説、それを一字一句余すことなく話すとなると約三十時間、これは一分間に約四百文字読んだとして、機械ならともかく普通の人間にまあできることではない。

 だからこそ、桂が要約をして。それでも一時間近く桂はこれまで秘密にしていたこと話した。

 それなのに開口一番で出た実里の言葉は先のもの。冒頭の感想。

 だから、これまでの説明は一体何だったのかと少しガッカリとして、呆れてしまい「そこなの」という言葉がつい飛び出てしまった。

「いやいや、重要なことだろこれは」

「そうかなー」

 軽い口調で麻実が。

「そうだぞ。私は最初自分の感情にちょっと戸惑っていたんだ。稲穂のことが好きということを自覚し始めた頃に。これまでの人生では全然気が付かなかったが、そういう気があったのか、と。だから、……そういう行為をしても全然……られなかった、気持ち良いとは思えなかったのか、と」

 ……の部分は実里の声が聞き取りにくいくらいに小さくなったから。その理由は自分が性の奔放というわけではないが、これまでの人生で多くの男に抱かれてきたことを好きな人には知られたくないという乙女心の発露、というか消えたのだから効果が作用したせいである。

「そうなの? 実里ってそういうのなさそうな感じなのに」

「そうよね、実里って私と顔を合わせた頃にはもうその気持ちを全然隠そうとはしていなかったじゃない」

「ああ、それはな。吹っ切れたというか、開き直った。リーさんを見ていても全然そんな気持ちにはならなかったし、時折キャンパスで女生徒のことを観察したが、好きになるというような感情は湧いてこなかった。だから、稲穂だから好きになったんだと」

「実里、一つ訂正しておくけど生徒は中高の人間に、大学は学生よ」

 桂が訂正を。よく間違われること。ついでにいうと小学生は児童である。

「でもさ、それってそんなに重要かな?」

 麻実が脱線した話を戻す。

「うーん、言われてみればそうかもしれない……いや、これでずっとあった疑問が解けたんだから重要なことには間違いない。……ああ、そうだ」

 最後の部分で実里は大きな声を。

「何?」

「桂が偶に稲穂の名前を間違っていたこと。かつては稲葉という苗字だったからだからか。ああでも待てよ……桂と稲穂は昔から恋人同士だったんだよな」

「うん」

「そうよ」

「だったら、どうして名字で間違えるんだ?」

「ああ、それは桂はわ……俺のことを名前で呼ぶのが恥ずかしいと言って、ずっと稲葉くんと呼んでいたから」

 稲穂の姿になってからはなるだけ、私、を使用してきたが、今回正体を明かしたことにより俺を解禁。

「だから今の名前はその時の癖が出そうになってもすぐに修正できるように稲穂って付けたのよね」

「それじゃ、伊庭美月という名前は?」

「それは稲葉くんが自分で付けたから真相は私は知らない」

「あたしは知ってる」

 ちょっとだけ自慢げに。

 麻実はちょっとした手違いで稲穂こと美月のある時期までの記憶をそっくりそのまま受け取っていた。

「麻実ちゃんだけが知っているのはズルいわよね、せっかくだから教えてよ」

「私も聞きたい」

「話が大きく逸れてしまうけどいいの?」

「別にいいんじゃない。会話に脱線はつきものだし。というかすでにもう何回もしてるし」

「じゃあ話すけど。伊庭という苗字は、桂に名前を聞かれたときに思わず稲葉って言いそうになってそれを取り繕うために咄嗟に好きだった小説の主人公の苗字、伊庭を。それから名前はあの時月明かりがすっと入ってきたからその場で思いついたんだ」

「小説って?」

「ああ、それは池波の。タイトルは『幕末遊撃隊』。伊庭八こと伊庭八郎秀穎(ひでさと)という実在の人物を主人公にしたもの。とある台詞がかっこよかったんだよな」

 池波とは池波正太郎のこと。作家として有名であるが、元々は新国劇の劇作家。

「えっ、そんな小説初耳」

「いや、だって桂はさ時代物や歴史小説はあまり好きじゃないだろ」

「稲葉くんが好きなものなら絶対に読んだのに」

「ごめんごめん。まあ、絶版にはなっていないはずだからまだ書店で買えるはず」

 ネットの買い物が主流にはなっていたが成瀬家の人間、桂と稲穂は、書籍に関しては実店舗で購入、無いときには都内の大型書店をはしご、それでも見つからない時には近所のよく利用する書店で注文をしていた。

「しかし、私は歴史には疎いがその人物は小説の主人公になるくらい有名なのか? 私は名前を全然聞いたことないが」

「有名じゃないよ。この小説で初めて知ったし」

「ああ、でもるろ剣に出てくるよ」

 と、麻実が。

 るろ剣とは、かつて週刊少年ジャンプで連載されており、アニメにもなった「るろうに剣心」。この作中で登場キャラの欲しい錦絵の人物として一コマだけ出ている。

 その後しばし脱線が続き、やがて軌道を修正。

「それで実里はシロが元男であること以外は全然気にならなかったの?」

「ああ、全く気にならない……というのは嘘になるな。世間の事柄に疎い私でもデーモンと呼ばれてる存在のことは知っているくらいだ。その中の一人、一番有名なあの魔法少女の姿をしたのが稲穂だったというのには驚いたがな」

「それだけなの?」

「他に何かあるのか?」

「破壊者とか、人類の敵とか」

「聞いていて、あの時デーモンと呼ばれていた存在が世界中に一斉に出現し、戦いをし、そして宇宙へと行ったことを思い出したが、その真相が月の中にいる存在と受精するためで、その目的が達成していたら地球が崩壊してしまい、人類は滅亡してしまう可能性があったのだろ。それを稲穂、当時の美月が懸命に食い止めた。今も普通に問題なく生活ができるのだから非難なんかすることはない、むしろ感謝すべきことだろ。なんでそんなこと思うんだ?」

「いや……一応は気を付けたつもりだったけど、いろいろと物を壊したりしたから」

 データ捕獲時の戦闘で周囲の建築物を破壊した件数は多数に及ぶし、人的な被害を出してしまったこともあった。

「それはまあ不可抗力でしょ」

 桂がフォローを。

「けどな、俺があの時もっと警戒していればあんなことにはならなかった……美人(みと)ちゃんも名古屋に引っ越すこともなかったし」

 伊庭美月になってできた友人の人生に影響があった。

「それは考えようなんじゃないかな。向こうに行ってあの人の弟子になれたんだし」

 災い転じて福となす、ではないが世の中何がきっかけで好転するか分からない。

「それもそうか。俺が指導するよりも紙芝居のお兄さんのほうが適任だよな。向こうで格段に上手くなっているし、舞台度胸もついたし」

「そうそう。って、また話がちょっとズレちゃったわね」

「そんなこともあったのか。知らない稲穂のことを知れて良かった、聞けて良かったぞ」

「それはコッチこそ。もしかしたらこの秘密を知ったら糾弾されてしまうかもってちょっと考えていたんだよね」

「うん、どういうことだ?」

「ああ、それはね、被害が出てしまっていることや、一人だけ無事だったことに実里が憤慨してしまうんじゃないかと少しだけ危惧していたのよ」

 稲穂ではなく桂が答える。 

「そんなことしないぞ。さっきも言ったように、稲穂は世界を救ってくれたんだ、感謝こそすれ怒るようなことはしないぞ」

「だから良かったってシロは言ったのよ。世の中には勝手なことを言って怒り出すような人間もいるからね」

「そんな人間は……うん、確かにいるな」

「でしょ。事情も全然分からないのにさ。頭の中で勝手なストーリーを作ってそれを真実だと思い込んでしまうような人」

 少々愚痴めいたものが。

「まあまあ、それは後にして。それで実里、どう? 稲穂ちゃん、というか稲葉くんの秘密を知ってしまったけど平気? 記憶を消さなくても大丈夫?」

「消す必要はないぞ。大丈夫だ、稲穂の秘密は絶対に口外しない、約束する、墓まで持っていく、いや来世でも厳守する」

「そこまで守り通す必要はないと思うけど」

「でも、ありがとう」

「いやいや、礼を言うのはコッチのほうだ。大事なことを打ち明けてくれたんだからな。しかし、稲穂がすごいのにはあんな秘密、モゲタンだったか、すごいのがいたんだな。今後よろしくな」

 稲穂のほうを見るが、実里の視線はその顔でなく両耳、つまりモゲタンに向けられていた。

「モゲタンも実里さんによろしくって」

「そういえば実里はさ、モゲタンはチートだからズルいとか思わないの?」

「どういうことだ麻実?」

「だってさ、人類以上の力と知識を持っているじゃん。そんな力があれば実里の研究ももっと進むんじゃないの」

「ああ、そうかもしれないな。でもな、私は好きで研究をしているんだ。自分の力で成し遂げたいと思っているんだ」

「ふううーん」

「本当それ?」

 ちょっと意地悪そうに桂が。

「うーん、まあ教えてもらえるのならちょっと聞いてみたいような気もするがな。ああ、でも今私が知りたいのはさっき桂が話してくれたこととちょっと違うんだが」

「へえー、何ですか?」

「答えられることなら、答えるわよ」

 最大の秘密を暴露したのだ、この際他のことで話せることなら少々明かしてもいいと稲穂も桂も考えていた。

「なら、訊くが……」

 この実里の質問が出た瞬間、他の三人が青ざめ、それから赤くなり、そして一斉に固まってしまった。


次話は少し遅くなりますけど、今年中には投稿予定。

少々お堅い話。

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