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ドキドキ、新生活


 自問自答した。

 本当に、どうしてこんなことなったんだ。

 さっぱり分からない。自問自答を繰り返す。

 稲葉志郎はれっきとした男、二十代後半のあまり冴えない男だったはず。それなのに、どうしてこんな可愛らしい外見に。

 夢を見ているのだろうか? そう考えた。

 最近の彼の生活はかなりハードだった。生活費を稼ぐためのアルバイトに追われ、その合間に今後の仕事の足掛かりにとエキストラの仕事し、さらに空いている時間には劇団の稽古。

 自分でも知らず知らずのうちに疲れがたまりいつの間にか夢の世界へと旅立っていたのだろうか。

 いや、そんなはずはない。

 こんなことになる前のことを必死の思い出そうとしている稲葉志郎の脳内で一つの記憶がよみがえる。

 最終の山手線に乗っていたこと。その電車が(あき)葉原(ばはら)駅に停まったこと。

 その時は眠気なんか全然なかったはず。それどころか目は冴えていた。

 さらに記憶を掘り起こす。

 流星群が降るとニュースで言っていたからもしかして見られるかも。けど、ネオンで邪魔されて駄目だろうなと思いつつも少しだけ期待を込めて車窓から外を見ていたら何か光るものが落ちてくるのが見えた。

 それも二つ。

 そこで記憶が途絶えた。

 後は目の前の光景と、自分の身体の変化。

 右手で左腕を触ってみた。夢とは思えない感触、以前のものとは全く違い折れてしまいそうな可憐な細い腕。それにすべすべとした肌。同い年の彼女のとは全然違う瑞々しさ、それから弾力。

 触れる箇所が増えていく。

 太もも、脚、お腹、顔、髪の毛。

 どこもかしこも触れた感触があるし、触られた感触がある。

 これは夢ではないのかもしれない。

「本当にどうして、こうなったんだ」

 再度呟いた。

 その声も以前のもとは全く別物。可憐な、鈴のような少女の声。

 目の前の異様な光景のことなどかまわずに稲葉志郎は自らの身体におきた変化について頭を悩ませ続けた。

 何かしらの原因があったはず。

 飛んでいる記憶の中に、この異様な変化の原因が絶対にあるはずだ、そう考えて再び記憶のサルベージを。

 ……思い出せない。

 というか、頭の中で変な音が、思考を、記憶を思い出さそうとする作業を邪魔した。

 それでも続ける。これしか方法はないと、愚直な考えで。

 が、頭の中の音はどんどんと騒がしくなっていく。

 まるでノイズだった。

 ノイズが脳内、所かまわず鳴り響く。

 実際には聞こえない音についに耐えかねて稲葉志郎は耳を抑えて蹲った。

 脳内の音。耳を抑えて遮断して無駄だった。

 さらに音は大きくなっていく。

「……うるさい」

 苦痛が声になって漏れ出る。

 その言葉に応えるかのようにノイズが小さくなっていく。しかし、稲葉志郎の脳内から音が完全に消えたわけではない。

 依然鳴り続けている音は意味のあるものへと変化していくように感じられた。

〈……ワタシノ……声ガキコエル……カ?〉

 初めて意味のある音が頭の中でした。それでも雑音の中でかろうじて聞こえるような声。

「……聞こえる」

 稲葉志郎は呟くように言った。幻聴に返事をするのもどうかとは思うが声に出してしまう。

〈ヨウヤクツナガッタ。ダガ、マダアッテイナイ〉

 先程よりも鮮明に、そして大きく聞こえた。

「……誰だ? どこから俺に話している?」  

 興奮したのか声が大きくなる。

〈ヒダリテのくろのぐらふをミロ。それがワタシだ。声の主ダ〉

 左手のクロノグラフを見る。この姿、華奢な腕には似つかわしくない不釣り合いの大きく厳めしい時計。

 志郎が十年以上前に一目惚れして購入したものだった。

「噓を言うな。この時計は十年近くつけているけど、喋る機能なんて付いていない」

〈ドウカ冷静ニナッテ聞イテホシイ〉

 落ち着き宥めるような声。その声は低音の良い声だった。

 稲葉志郎が自分で出せないけど憧れている声だった。

「……これが落ち着いていられるか」

 自らの身体の変化もそうだが、目の前の現状。

 ついさっきまでは自分のことで精一杯であったが、目の当りにしている光景をいつまでも無視しているわけにもいかない。

〈ソレニツイテコレカラ説明スルガソノ前二〉

 一瞬の閃光。

 光が完全に消えた後、壊れたショーウインドーに映ったのは黒髪の少女。

 ほんの一瞬前まではたしかに金髪の髪だったはずなのに。変化したのはそれだけではなかった。華奢な身体の大部分を覆っていたはずの衣装がすべて消え去り、細く幼い手足にこれまたスッキリとした腰回り、小さな可憐な臀部に、微かに隆起した微かな胸。

 つまり、全裸になっていた。

 普通の少女なら、それでなくても女性ならば、こんな状況に陥れば羞恥にまみれ悲鳴の一つでも上げながら自らの身体を隠すことに躍起になっていただろう。

 しかし、稲葉志郎は男であった。

 そんな感情に至らない。

 それよりも先ほど少しだけ沈静化していた興奮がまた強く、大きくなっていく。

「何なんだよ、これは」

 潜めていたはずの声がまた大きくなった。

〈モウシワケナイ。アノ形状ヲ維持スルダケノ力ハ今ノワタシニハナイ。寒サヲ解消シタイノデアレバ臨時的デアルガソノ辺リニ散乱シテイル服ヲ適当二選ンデ着用シテクレ〉

 背に腹は代えられぬ状況だった。頭の中の声に文句を言いたいが、それよりも先に服を着なければ。このままでは確実に寒さで参ってしまう。最悪凍ってしまう。

 散乱している服、といっても場所柄的に普通のではなくコスプレ用なのだが、その内の一着を無造作に手にした。

 音をたてて破れた。引き裂いてしまった。

 自分では全くそんなつもりなんかなかったのに、予想以上に力を入れてしまっていたらしい。

 破れた服を諦めて別の衣装に。

 また、破いてしまう。

 もう一度、同じ結果に。何度繰り返しても上手くいかない。力が入り過ぎるのか破いてしまう。

 着ることを諦めた。それ以前に見える範囲内の服は全部引き裂かれたものになっていた、無残な布切れと化していた。

 ボロ布と化したかつてのコスプレ衣装をマントのように身体に覆う。

 小さな身体が幸いしてか全身を覆うことに成功。寒さを完全に防ぐことはできないが、これでもずいぶんと和らいだ。

 興奮状態であった頭も幾分か冷静に。

〈先程ノ質問のコタエダガ、……君をその身体にしたのはワタシだ〉

 話す言葉が徐々に流ちょうになっていく。

「……何?」

 が、そんなことよりも突然の告白に怒りがこみ上げてくる。どんな理由で勝手に人の身体を改造したのか。

〈状況が状況でしかたがなかった。それに君の願望を叶えたつもりなのだが〉

「どういうことだ。……馬鹿な俺でも理解できるように説明しろ」

〈了解した。一年前の月の柱を憶えているか?〉

 月の柱。世界中の話題になった現象だった。突如月の裏側に何かが衝突して巻き上げられた粉塵が巨大な柱を形成した。月日の流れと共に柱は薄く消えてしまったが、その時に巻き起こった塵は宇宙空間を漂い、今回の流星群のもとになっていた。

「ああ」

〈あれはワタシが原因だ。詳しい説明はできないが、ワタシは多くの珍しい生命データを宇宙中で採取して運ぶ仕事をしていた。しかし事故が起きてしまった。ワタシの乗っていた宇宙船は月と呼称される衛星に落下してしまった。その際今まで採取したデータも飛散してしまった。しばらくの間は宙を漂っていたのだが地球の重力に引っ張られて落ちてしまった。ワタシもそれらを回収するためにこの地に降りた。ワタシも本来の姿は同じデータにしかすぎない、回収するには人の手を借りなければいけない。そこで君を選んだ〉

「どうして……俺なんだ?」

 どうして自分なのか。選ばれた基準が分からずに質問をする。

〈それは偶然だ。追いかけているターゲットの近くに君がいた〉

 普段はくじ運が悪いのにこんな時だけ大当たりを引いてしまう。なにも厄介ごとに巻き込まれなくても。貧乏くじに当たったような気分に志郎はなった。

「それで、俺がこんな身体になった理由は?」

 くじ運の悪さを今更嘆いてもしかたがない。知りたいのは少女の身体になった理由だった。

〈データをすんなりと回収できればよかったのだが不幸にも戦闘状態へと陥ってしまった。意識の無い君の肉体を使用するのはいささか悪いとは思ったが、他に手段は無かった……〉

 目の前の惨状の原因が氷解した。

「もしかして、あれはその戦闘のせいなのか?」

 言葉を途中で遮って質問した。

〈ああ、そうだ。激しい戦いだった。慣れない身体で苦戦した〉

「……被害者は、犠牲者は出たのか?」

〈被害は皆無であった、そんな噓をついて君を安心させることはワタシにはできない。詳しい被害状況はまだ把握してはいないが、おそらくそれ相応の数には上るだろう〉

 目の前が真っ暗になっていくような感覚に襲われた。

 あの光景を、意識がなかったとは引き起こしていたとは。

〈君がそんなに気に病む必要は無い。この惨事の原因は全てワタシに起因するものだ。君は責任を感じることはない〉

 頭の中の声は志郎をこれ以上落ち込ませないためか、慰めのためか、それとも本心からそう思っているのか責任の所在は全て自分にあると言った。

 けれど、それで救われるような性格ではなかった。意識は無かったとはいえ、この肉体があの惨劇に加担をしている。責任が有るのではないかと考えてしまう。

〈話を元に戻そう。君の身体がそうなってしまったのは、君自身がそう望んだからだ。だから私は君を望む姿へと再構成した。それはワタシにとっても幸いした。大きな身体を構築するよりも小さな身体のほうが労力とコストが少なくすむ〉

 思い出した。たしかあの時流れ星に遊び心で妄想を願いごとした。

 上手くいかない現実。秋葉原駅のアニメの看板を見ながら、こんな可愛らしい容姿ならばもっと簡単に仕事が取れる、人生を謳歌できるんじゃないかと。

 けっして本心ではない。一時の気の迷いだ。

「……俺はこの姿のままなのか?」

〈申し訳ない。今のままでは君を元の姿に戻すことは不可能だ。しかし全てのデータを回収し、母船に帰ることができれば復元するのは難しいことではないはず〉

「……戻れる可能性があるんだな。それとあんな危険なものはまだあるのか?」

〈ああ。だから君には今後も協力を継続してもらいたい〉

「協力すれば本当に元に戻れるのか?」

〈約束しよう〉

「……分かった。手伝うよ」

〈ありがとう。それでは今後の行動について話し合おう。今のままの状況では君の身体を正常な状態で維持することは不可能だ。どこか安定して生活できる拠点を探そう〉

 麗しいけど、幼い外見。おそらくティーンエイジに満たない肉体。こんな年の人間が一人で誰にも怪しまれずに生活なんかできるはずもない。

 しかし、この姿で当分生きていかなくてはならない。

 頭の中で生活の術を算段する。幸い一人暮らしが長かったから大抵のことはできるが、問題はお金だ。

 稼ぐための手段を思いつく。

 違法ではあるが、このかりそめの肉体を男に提供すればそれなりの金を得ることができるだろう。

 しかし、志郎の中で葛藤が生じた。

 それは身体を売るという道徳的なことではなく、男を自らの中に受け入れることができるのか。

 以前、舞台で同性愛者の役を演じたことがあったが最後までその性癖を理解することができずに、さらに言えば嫌悪感が強くなった。この方法以外には何も思いつかないから、これで行くべきはずなのに覚悟が決まらない。

〈どうした? 何を悩んでいる?〉

 決意できない。

「……その前に行きたい場所がある。そこに行ってから考えるのは駄目か?」

 こんな姿になってしまった。昔の知人の前には顔を出すことは叶わないが、一目だけ会いたい人物がいた。それは最愛の人だった。

〈いいだろう。君の希望に従おう。それはそうとワザワザ声に出さなくとも君の思考はワタシに伝わるぞ〉

「そうなのか?」

〈ああ、説明しておこう。ワタシを構成する大部分は君のクロノグラフの中にある。君が理解できるように説明するならばワタシは高性能で小型のコンピューターと考えてもらっていい。もっとも今の人類にワタシの内部は解明できない。脳内で声がするのは微弱な電波を君に送信しているからだ。そしてワタシは君の脳内の微弱な思考を感じ取ることができる〉

 完璧には理解はできなかったが、なんとなく分かった。

「いいんだよ。頭の中だけで会話していたらおかしくなってしまう。それに口は動かさないと固まってしまう。活舌かつぜつの悪い役者なんて存在意義が無くなるんだから」

〈そうか、好きにすればいい。ワタシは君に合わせよう〉

「それはそうとお前のことを何て呼べばいいんだ? 何か名前くらいあるんだろ?」

〈呼称はあるがこの惑星の住人では発音は不可能だ。好きに呼べばいい。キュウベエでもルナでもケロちゃんでもドロッセルマイヤー、何でもかまわないぞ〉

 沈思黙考。

「……モゲタン」

 かつて上演したファンタジー色の濃い舞台で演じたキャラクターの名前を思い出した。

〈了解した。ワタシは今からモゲタンだ〉

「それじゃ、これからよろしくな」

 志郎はそう言うと、自らの望む場所へと移動を開始した。


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