疑惑
実里がこんな疑問を持つのも、ある意味当然かもしれなかった。
ピンチを救われてこと自体は大変にうれしいことであるし、喜ばしいことなのだが、まだ薬の影響でしっかりと働いていない脳ミソでも実里には何かおかしい、ちょっとどころか普通に人間とだいぶ違うという疑念を時折感じていたがそれがより一層強くなることに。
駅で車と電車に別れた。
そして電車移動の間に襲撃された。
それなのに、こんなにも早く救助に来てくれるなんて。
ボーっとしたような状態ではあったが時間感覚までおかしくなってしまったわけではない。
あれから数時間も経過してはいないはず、それなのにすぐに駆け付けてくれた。
そういえばと、今更ながらにいつもピンチの時にはすぐに駆け付けてくれると思い、その時はうれしさで少々舞い上がってしまっていて特に疑問にも思わなかったが、今にして思えば来るのが些か、いやかなり早すぎるような気が。
そしてこんな疑問を抱くようになった大きな要因は、やや朦朧とはしていたものの、自分の目の前、というか上にいた男が稲穂の飛び蹴りでほぼ真横へと移動というか飛んで行ったのを目の当たりにしたから。
普通以上のことならば、稲穂ならば当たり前のようにできてもおかしくないような気がするけど、冷静に考えればこれは普通の人間には、いや訓練した人間にも到底できないような、まさに人間離れした動き。
これらのことが実里のまだちゃんと動いていない脳内を駆け巡り、そしてさっきの疑問の音になって出てしまった。
この問いに稲穂は窮してしまう。
自身の正体を説明するのはやや複雑で少々難しいが、それでも不可能なわけではない。自分の言葉で上手く話すことができなくともモゲタンという頼もしい存在がいる。人類を遥かに超越した能力を有するモゲタンにすれば事情を簡潔に、かつ短時間で伝えるというか、脳内に伝達することも可能。
なのに、稲穂が躊躇っているのはそれは自分とモゲタンの正体は極一部の、本当に極少人数しから知らないことだからである。
それを実里に正直に告白してもいいのだろうか。
付き合いこそまだ短いが、今では家族同然といってもあまり言いすぎではないくらいに濃密な関係性に。
しかしながら親しき仲にもなんとやらで、開け広げに全てを赤裸々に告白する必要はないはず。
それにこのことを知ることで、別の件で巻き込んでしまう危険性もある。
ならば、ここははぐらかす一手である。
そう稲穂は理解しているのだが、上手くはぐらかす言葉が出てこない。
つまり、黙って、固まってしまう。
そんな困っている稲穂の様子を察したのか、実里が静かに口を開き、
「話せないのなら、別にいい。……今は話してくれなくても。まあ、稲穂がどんな人間であれ、私を危機一髪から救ってくれたのは間違いのない事実だ」
「……うん」
「ところで、私のあの研究のどこにここまでする必要があるんだ?」
自身の研究が評価されるのは正直に言ってうれしいことだが、やや困惑してしまうのもまた事実で、あの研究にこんな誘拐じみたことをする必要性があるのか疑問に思い、実里は言う。
そして言った後に、
「ああ、そういえば彼は、……Rさんだったか、彼は大丈夫、無事なのか?」
やや朦朧とした意識下でしっかりと覚えているわけではないのだが、護衛をしてくれていたRがナイフで切りつけられている光景を目にしていた。
「大丈夫。無事ではなかったけど応急処置はしてきた。今はホテルで休んでいるから」
「……そうか」
安堵の息を漏らしながら実里は。
「それで実里さんが狙われた理由なんだけど」
「知っているのか、稲穂」
「うん。あの不気味な男を問いただした」
本当は違うのだが、どのように情報を収集したのかを正直に言うと、話が元へと戻ってしまうのでここはちょっとした嘘を。
「実里さんのことを強引に拉致しようとしたのは……」
ナノマシン経由で仕入れた情報を、メタ的な発言になるが前々回の内容を、稲穂はモゲタンの助けを借りながら説明。
少々長い説明の間も、あの男は依然気をガラス片の散らばった床の上で依然気絶したままだった。
一通り説明を終え、それを黙って聞いていた実里はゆっくりと口を開き、
「そうか、そういう事情で私のことをあんな強引な手段で連れ去ろうとしたのか……」
自身のこと、それも現在進行形の事態なのに少し他人事のような感じで実里は言う。
「うん、そうらしい」
「しかし、だとしたら困ったな……」
困ったと言いながらも、その表情に危機感のようなものはまるで感じられなかった。
「うん?」
現状でも十分困るような事態なのに、それなのに実里は何ついて特段困っているのかという見当がつかず稲穂は訊く。
「うーん……ああ、この先も私はたぶん狙われ続けるのだろうなと思って」
内容自体は重いはずなのに、軽い口調で実里は。
「まあ、気の毒ですがそうなるでしょうね」
万が一にでも向こうで教授が向こうで研究を成功させてくれたのならば、この先狙われる心配は排除されるのかもしれないが、得た情報ではそれはかなり難しそうであった。
となれば、この先も実里が付け狙われる可能性はかなり高い。
「まさかメンツが理由だったとはな」
実里がポツリと言う。
「……メンツ……ああ、そうか」
かの国はメンツを重んじる傾向にある。それが人間の価値基準になることさえ。これが軽んじられてしまうことは屈辱の極みであり、それを回復するためにいかなる手段を講じても報復をすることさえも当然という具合に。
今回もまさにそれであった。
それに加えて、この失態が一族の没落へと繋がってしまうかもしれない。
絶対に実里の身柄を国へと連れ帰る、かのような強行に出た理由であった。
〈なるほど盲点だった。それについての考えはなかった。あの国の人間との接点が少なかったから学習していなかった〉
メンツという理由はモゲタンも思いつかなった。
「それにしても実里さん、そのことよく知っていたね」
馬鹿にしているわけではないが、稲穂は実里のことをある意味で研究バカ、とある一ジャンルにだけ精通しているタイプの人間だと思っていたから、この指摘に非常に驚愕。
「稲穂、今ちょっと失礼なこと思っただろ」
「……ううん」
内心を見透かされ慌てて取り繕う、否定する。
「まあ、稲穂が驚くのも無理のないことだ。私だってこんな知識を得るなんてちょっと前まで思ってもいなかった」
「ということは最近それを知ったんですか?」
「ああ、向こうに行くと決めてからリーさんに向こうの国についての簡単なレクチャーを受けてな。その中にあの国はメンツの国だから、そこを注意するよう言われていた」
「だったら事前に話してくれていれば。まあ、私も気が付かなかったから悪いけど。それでも最初からそのことを織り込んでいたら今回のような事態は回避できたかもしれないのに」
「ああ、すまない。今、思い出したんだ」
「それはまあ、しょうがないですね」
「しかし、これからもメンツのために私のことを絶対に拉致しようとしてくるだろうな」
「おそらく多分。でも、絶対に守りますから」
「稲穂が守ってくれることに関しては全く心配していない、むしろ反対にうれしいくらいだ。ちょっとしたお姫様気分みたいなものを味わえるからな」
絶対の信頼感があるからこその言葉。
「だが、何時でも何処でも稲穂が守ってくれるわけではないだろ」
稲穂には稲穂の生活がある。大学生という面もあるが、それ以上に民間警備会社の主力、海外での仕事もある。
「その時は今回のように……」
今回は、異能の力を持つ者が相手という想定を全くしていなかった。だからこそ、実里の身柄を拉致されそうになった。しかし、そういう相手だという情報をもって対策を練り臨めば、今回のような失態は絶対に侵さないはず。稲穂には警備部の人間に対してそれだけの信頼があった。
「いや、また私のせいで怪我をされるのは心苦しいからな」
「……うーん」
実里の言うことも稲穂には理解できた。
一般人である実里には今回の事態、特にRがナイフで切られるというのは、少々刺激が強いというか、下手するとPTSDに成りかねないようにこと。自分のせいで他者が傷を負ってしまう。そのことで苛まれてしまい、一生苦しんでしまう可能性も。
「そこで、ちょっと思いついたんだが」
「何?」
「もう一度私は拉致されて、向こうに連れ去られるというのはどうだ」
「はああああ?」
稲穂のよく通る声がラブホの部屋にこだました。
今年も八月一日に投稿。
凡ミスの修正。
あともう少しだけ続きます。




