仲良し? 3+2人組 7
混濁した意識の中で誰かに呼ばれ続けているような気がした。それに応えるために起きなくては。そうは思っても目が開かない、身体が重い、起きられない。泥のような眠りについていた。また、呼ぶ声がする。起きなくては。起きられない。声は消える。また意識が遠くなる。沈むような感覚がずっと続いていた。時折、耳に音が飛び込む。それは声ではなかった。電子音のような音。また耳元で声がした。懐かしい声だった。重たかった瞼が動く。開いた。視界がぼやけている。自分がどこにいるのか、まったく分からない。身体は依然重たいままだった。指の一本も動かせない。大きな声が右の耳元で再び聞こえた。足音が聞こえる。目を動かす。ぼやけていた視界がハッキリ見えるようになる。顔が見えた。知っている顔だった。また心配をかけてしまった。
目覚めてすぐにしたのは後悔と反省だった。
「……ごめん、桂」
蚊の鳴くような小さな美月の声が口からもれた。
「えっ? 今、何て言ったの? 謝ったの?」
その問いに答えることはできなかった。
美月は再び眠りについた。
次に目を覚ました時は美月の頭は正常に作動していた。
「……良かった。……美月ちゃん、やっと起きてくれた」
ベッドの横には桂が座っていた。その顔は泣いていたから、それとも徹夜で看病をしていたのか、真っ赤に腫れあがっていた。
「……ごめん」
心配をかけないように心がけていたのに、また大きな心配をかけてしまった。
「いいよ、もう。こうしてまた起きてくれたんだから」
その声は涙と安堵がない交ぜになっていた。どれくらい心配をかけたのか物語っていた。
「どれくらい寝てた?」
「えっと三日ぐらいかな」
桂の回答に美月は驚いた。そんなに長い間眠っていた実感がなかった。自分の身体を両手で撫でる。切られたはずの左手は正常に動く。
「どこにも異常は無いってお医者さんは言ってたから。その細かい傷も自然回復するから心配いらないって。そうだよね、嫁入り前の大事な身体傷だらけになったら困るわよね」
意識があった頃はもっと酷い状態だった。ここまで回復しているのはモゲタンのおかげだろう。美月はその礼を言おうとした。しかし反応が無かった。
左腕を上げて見る。そこにはあるべきはずの物の姿が無かった。
「桂……さん、モ……僕のクロノグラフは?」
「心配しなくても大丈夫だから。大事な時計は、ほら、そこに置いてあるから」
台の上に置かれていた。手を伸ばして取ろうとするが、取れない。届かない。
「ちょっと待っててね」
桂が立ち上がり時計を取る。そして美月の左腕に巻いてくれた。
〈すまない。この施設に君が運び込まれてからワタシは君と隔離をされてしまった。本来ならば君の回復をもっと迅速に行うべきであったが、それは叶わなかった。しかし生命の危機には及ばないという判断はあった。だから君が自力で意識を回復するのを待った。以前君に言われたことを思い出したからだ。無闇に人の記憶を書き換えるな。それに従っての行動だった〉
(いいよ、別に。助かったんだし)
〈こうして再び君と接触できた。これからは君の回復を全力でもってサポートしよう。回復に全力を注ごう〉
(ああ、頼むよ)
効果はすぐにあらわれた。重たくて、まだ動かし難かった身体が軽くなった。ベッドから出ようとしたが止められる。
「まだ無理しちゃ駄目よ」
「もう平気だから」
制止を聞かずにベッドから降りる。そして自由に歩き回った。
「若いって凄いね。すぐに回復するんだ」
桂が暢気な感想を漏らす。
二日後、美月は退院した。
退院はしたものの美月の生活はすぐには元に戻らなかった。やや過保護気味の対応で桂は美月に自宅での療養を申し付けていた。しかし退屈で暇だった。することが無かった。
テレビは見飽きた。本を読むのも面倒臭かった。
普段はまったく触らないパソコンのスイッチを入れる。桂からは使用の許可は出ていた。
ネット上を適当に巡回する。ふと、調べたいことを思いつく。
〈止めておけ。君が傷付くことになるぞ〉
モゲタンが美月の意図を知り忠告を発するが無視をした。モニター上にニュースが映し出される。あの後何が現場で起きたのか記載されたいた。
美月が逃げた後も少年はあの場にいた。そしてとり逃した腹いせに暴れまわった。数こそは少ないものの犠牲者が出ていた。
頭の中がグルグルと空転しているような気がした。あの時もっと正しい判断をしていれば、こんな結果にはならなかっただろう。
これは全て自分の責任だ。
〈君が責任を負う必要はない。今は余計なことを考えずに傷を治すのが先決だ〉
この声は美月の心には届かなかった。自らを責め続けていた。しかし、いくら後悔しても過去を改変なんてできない。犠牲になった人達に心の中で詫びた。
誰にも届かない懺悔を妨げるようにインターフォンが鳴った。玄関に向った。
「いやー難儀やったな。それにしても無事で退院できて良かったわ。病院運ばれた聞いたときは心臓が止まるかと思ったで」
遠慮をして病院には見舞いに来なかった知恵、文、美人、そしてクラスの代表として靖子が訪れた。
「ホントホント。あたしも驚いたもんね」
「そうですわね、私は病院に駆けつけてお世話をするつもりでしたのに。それなのにここにいる融通の利かない馬鹿な人に止められてしまって」
「馬鹿とは何や、馬鹿とは。どうせ言うならアホにせい」
「そんなの知りませんわ」
いつものやりとりが美月を少しホッとさせた。
「……ップ、ウフ」
思わず噴出してしまった。その途端傷が少し痛んだ。
「やっと笑ったな」
「それよりも大丈夫ですの。今笑いながら苦しんでいましたのに」
部屋の中には五人いたが一人会話に参加していないものがいた。それは美人だった。
普段から大人しく自分から前に出る性格ではないが、今日は一段と落ち込んだ暗い顔をしていた。
「……どうしたの?」
いやな予感がして美月は美人に話しかけた。
「ああ、美人のオトンなえらい目におうたんや。美月ちゃんが入院した日にごっつい事件起きたやろ。それにな、巻き込まれてしまったんや」
「それで大丈夫だったの?」
ついさっき見たニュース。嫌な予感が頭の中を支配しようとしていた。
「……うん。身体は無事だったんだけど、お店が全壊したの」
以前話していたことを思いだす。あの近辺の店に勤めていることを。
しかし、美人の落ち込みの理由はそれではなかった。
「それだけちゃうやろ。報告しやんといかんのは」
「まだなにかあるの?」
聞くが美人はなかなか理由を話そうとはしなかった。
「ええい、じれったいな。ほんならウチの口から美月ちゃんに話そか?」
「こういうのは本人から話したほうが」「あたしもそう思うよ」
自ら語ろうとしない美人にジレンマを感じ知恵が言おうとするのを靖子が止め、その意見に文が同意した。
「待つから。話したくなったら話してよ」
この言葉に美人は肯いた。五人の間に沈黙が流れた。みな美人の言葉を待った。
「……あのね、……転校することになったの。前からお父さん他のお店の人から誘われていたみたいで、この機会だからそこに移るって」
「どこに?」
そこまで話すと美人は泣き出してしまった。答えが返ってこない。代わりに知恵が言う。
「名古屋なんやて」
「すぐに転校するの?」
美月の問いかけに美人首を振って答えた。涙で喋れなかった。
「一学期の間はコッチにおるそうや」
「そうなんだ」
両手で涙を拭い、真っ直ぐに美月を見つめて美人が言う。
「……あのね、お願いがあるの。コッチにいる間にもっとお芝居のことを教えてほしいの」
「……うん」
「それで向うに行っても一生懸命に練習して。それから声優になるために帰ってくるから」
泣きはらした真っ赤な目をしながらも美人は美月に自らの希望を伝えた。
「……うん」
その返答は年の離れた友人のためでもあり。また、この原因を作り出してしまった自分の贖罪のための返事でもあった。
「なあ、あの少年はまた俺を襲うと思うか?」
病人の部屋に長居はしない。気を利かせてくれた四人の幼い友人達が去った後の部屋で美月はモゲタンに話しかけた。
〈ああ、おそらく。今までの二度の接触は不幸にも戦闘になってしまった。以前も言ったと思うがあの少年は力に対する執着が強すぎる。本来であればこういう事態は起こりえない。効率性を重視するためには数が必要だ。おそらくバグみたいなものだろう。ワタシは広範囲で効率よく回収するためにコピーを繰り返した。これは完全に能力をコピーできるわけではない。どこかしらの部分が劣化する〉
「彼のは、その、どこかが劣化し壊れていたのというのか」
〈おそらくそうだろう。あの場面でもデータにではなく君に執着した。本来の目的を忘れるほどにだ。それは大事な機能の一部が正常に作動していない証拠だ〉
彼の機能の一部が壊れていたとしても戦闘をするのは避けたかった。同じような力を持つ者同士。本気で戦闘をすればどれほどの被害が出るのか想像もつかない。
それは避けたかった。そして同じ人間同士で戦うのも嫌だった。
「彼に見つからない方法みたいのはないのか?」
〈それは無理だ。彼の感知能力がどの程度かは判断できないが、近付けば見つかるのは必然。おそらく、今回の戦闘で周辺地域を探索するのではないかと推察される。この場所が見つかるのも、もしかしたら時間の問題かもしれない〉
このままでは桂を、周囲の人間を巻き込むのは時間の問題かもしれない。
「こちらの活動を停止したら。あの少年には見つからないよな」
〈ああ、おそらくは〉
元の稲葉志郎の身体に戻って成瀬桂の前に再び現れる。そのために協力をしていた。でも誰かの不幸の上に成り立ってまでも、それを実現したいとは思わなかった。
伊庭美月という少女の身体で桂の傍に居て、彼女が幸せになるのを見守るのも悪くない。
それに年の離れた友人達もできた。全てを忘れて二度目の人生を楽しむ。戻れないことへの対価としては悪くないように思えた。
「……悪い。これ以上お前を手伝えないや」
美月は小さく左手にはめたモゲタンに言った。それは自分自身にも。またこの場にいない桂にも言うように。
他人を不幸にしてまでも元に戻ることは、きっと桂も望まない気がした。
〈ワタシは君に強要するこはできない。ワタシが活動するには君の協力が不可欠だからだ。その君が拒否をするのならば、それに従おう。ワタシは、あの少年に見つからないように、この機能を停止しよう。それが君の願いであるならば〉
「……すまない」
モゲタンであるクロノグラフを左手からそっと外した。キッチンに置いてある空き缶の中に入れる。その上からガムテープを何重にも巻き付けた。
美月はモゲタンを封印をした。