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ちょこっとばなし


 成瀬稲穂は悩んでいた。

 それは迫りくる二月十四日、バレンタインデーのチョコについて。

 元男であった身としてはチョコを渡すという行為に些か戸惑いが生じてしまう、とかいうことではなかった。そもそもチョコを選んで渡すという行為はとうの昔に、伊庭美月であった頃にもうすでに経験済みであった。

 では、一体何について悩んでいるのか?

 もちろんチョコについてではあるのだが、どのチョコを贈るということではなく、これを贈ってもいいものなのだろうかということについて。

 一昨年おととしはチョコをプレゼントするどころか伊庭美月という肉体が消滅しており、そんなことをするのは不可能であった。去年は、成瀬稲穂として人間社会に復帰したものの、起業や受験といったことで大忙しで、バレンタインというイベントにかまけている時間的余裕がなかった。

 そして今年、それなりに忙しいものの、それでも手間暇をかけてチョコを手作りし親しい人達に贈ろうとしていたのだが、年下の友人、知恵、文、靖子、JKこと女子高生三人組が、稲穂のチョコのお酒が呑みたいとリクエストを。

 これは以前、まだ美月であった頃に桂へのバレンタインデーのチョコとして贈ったものだった。

 昨年夏、誰憚ることなく飲酒が可能な年齢に達した麻実が、稲穂に甘いチョコカクテルが呑みたいというリクエストをし、そのことを聞きつけた三人娘も一緒に体験したい、大人の味を経験したいと言い出したからであった。

 別に作る分には問題ない、材料を数人分増やすだけでとくに手間もかからない。

 なら、何故稲穂は悩んでいたのかというと、それは三人が高校生、まだ未成年だから。

 法律上、飲酒は禁止されている年齢。

 十年前ならいざ知らず、昨今はこの手の事にはうるさい社会になっていた。

 稲穂個人の考えとしては、杓子定規に法を守るのではなく解禁前から少しずつ慣らしておくのが良い、と。個人の体験だが、幼い頃に大人が呑むビールにちょっと憧れて手を出し苦さに辟易し、大人はどうしてこんなものを吞むのかと疑問に思い、それが少し成長し中学に上がる頃に祭りでやや強引に吞まされて、多少酷い目には合ったものの、それでアルコールに対する耐性と、自身の強さというものをなんとなくだが把握して、成人前に上京し、それが芝居の世界でほんの少しだが役に立った。そして未成年時に一度も飲酒を行ったことがない人間が解禁と同時に、自身の力量も分からずに痛飲して酷い目に遇っている姿を目撃していた。

 そうならないためにも経験しておくのは悪いことではないはず。

 アルコールを受け付けないとまではいかなくとも、あまり耐性のない、つまりお酒に弱い体質であっても、対処できるだけの術もある。

 ならば、悩む必要はない。彼女達も望んでいるのであるから振舞えばいい。

 大人の見ている前で、取り返しのつく失敗をするのも成長につながる大きな経験、もしかしたら財産になるかもしれない。

 そう考えるのだが、稲穂はまだ決断できない。

 先にも述べた通り、昔とは違う。

 今の世の中コンプライアンスというものが非常に幅を利かせるような社会。

 何もない人間ならばまだしも、起業している身、彼女たちの口から漏れ出るようなことはまずないと思うが、それでも壁に耳あり障子に目あり、何処から露呈するか分からない。最悪週刊誌に撮られてしまい、あることないこと悪意に満ち満ちた記事を書かれて、会社の業績に悪影響を及ぼすかもしれない。

 これは飛躍した考え、妄想であったが、絶対にないとは言い切れない。

 さて、どうしたものかと頭を悩ます稲穂に突如ある考えが浮かんできた。


「……というわけでご希望のチョコカクテルは出すことはできないんだ」

 バレンタインデー当日ではなく、その二日前の十二日の午後、学校終わりの三人を自宅に招き、稲穂はチョコカクテルを振舞えない理由を懇切丁寧に説明。

「まあ、そんな気はしとったけどな」

「そうだよね、学校帰りだからこれは無いなって知恵と話していたんだよね」

「二人とは学校が違うけど、連絡を稲穂さんから貰った時にそんな気がしていました」

 知恵と文は同じ高校に、靖子はかつて桂が教鞭をとっていた私立高校に進学していた。

「たしかに今のご時世高校生の飲酒には厳しいもんな」

「それも学校帰りだと絶対にヤバいよね」

「二人の学校はどうかしらないけど、ウチの高校だとバレたら停学、最悪退学になってしまうかもしれない」

「そうならないように今回はご要望にお応えできません。でも、三人が成人したらその時はちゃんと振舞うから」

「でもさ、稲穂さんも未成年なんじゃ」

「そうやな。やのに飲酒したん?」

 稲穂の仮の年齢はまだ二十歳前。法的には飲酒は御法度。

 なのに、カクテルを作るということはこっそりと味わっていると思い知恵が言う。

 たしかに知恵の言う通り、練習で作ったカクテルを呑んだ。

「建前上は呑んでいないことになっているからね、一応」

「なんかそれズルくない」

「大人はズルいんだよ」

「って、稲穂さんまだ大人ちゃうやん」

「でも、大人だよね」

「うん、そう思う」

「ありがと。まあ、それはともかくご希望の品は出せないけど、代わりに大人のチョコというか、王様の、神のチョコを三人に贈ろうかと思ってね」

「大人のチョコって何だろ?」

「王様ってなんかすごない」

「神様というワードもすごいよね」

「けど、何だろ?」

「あれちゃうか、ポリエステルとか言いうのがふんだんに入ってるのと」

「それを言うならポリフェノールでしょ」

 ちなみにポリエステルとはペットボトルの材料である。

「カカオ含有率の高い、ビターなちょっと苦いチョコかも」

「それは飲んでからお楽しみ」

「飲み物なんですか?」

「うん、そう。ちょっと待っててね、準備をするから」


 しばらくしてから三人の前に出されたのはエスプレッソ用の小さなカップ。

 これは今回のために百円ショップで購入したもの。

「ホットチョコ、ていうかエスプレッソ?」

「でも中身なんか違うよ。泡立っているし」

「それよりもチョコっていう感じが全然しないわね」

「まあ、ともかく飲んでみて」

「それじゃ……」

 とは言うが、三人共になかなかカップへと口を近付けられない。

 というのも、甘い香りではなく、苦そうな匂いがしていたからである。

「これ大丈夫なんか?」

「なんか危険そうな匂いがするよね」

「二人とも失礼よ。稲穂さんがそんなもの出すわけないじゃない」

「そんならまずはアンタが飲んでや。そんでその様子を見てからウチらも飲むから」

「……いいわよ。……じゃあ、飲むからね……」

 そう言って靖子は小さなカップを呷る。

「熱っ……というかすごく苦い」

 口中に熱さが一気に押し寄せ、その後に苦さが蔓延した。

「まさか一気に飲むとは思わなかった。はい、これ。これを食べながらゆっくりと飲んでもらうつもりだったのに」

 そう言いながら稲穂が三人の前へと出したのは金平糖。

「ひどいですよ、こんなに苦いなら先に言ってください」

 と、靖子はちょっと非難の声を。

「稲穂さんにしては珍しい悪戯やな」

「そうだね」

「いや、悪戯なんかじゃないから。最初に言ったよね、王様の、神のチョコって」

「そういえば言っとったような気が」

「ああ、たしかに」

「そんなこと言ってました」

「チョコは古代のアステカで王様の薬として重宝されていたのが原型なんだ。あっ、液体だから原型という表現はちょっとおかしいかな。まあいいや、それで神の飲み物とされていて貴重な一品。中学の折島先生がコロンブス交換のことを教えてくれたけど、その中の一つとしてアメリカ大陸からヨーロッパへと渡っていって……」

「ちょっと待った。稲穂さんが何で折島先生のこと知ってんの?」

「そうだ、どうして?」

「けど、稲穂さんなら知っていても不思議でないような気が」

「……えっと、それは……麻実さんに前に聞いたから」

 本当はその時同じ教室で机を並べて聞いていたのだが、そのことは秘密である。また三人の記憶もモゲタンの力で封印してもらっているから、余計なことを言って思い出してしまったら大変なことになるから、ここはいつもの言い訳の理由を使用して、

「麻実さんから聞いたんだ、なるほど」

 これには三人共に納得してくれたのだが、

「それは分かったけど、これはちょっと納得できへんな」

「そうだよね、いくら本場というかオリジナルの味といってもさ」

「ああ、オリジナルとはちょっと違うよ。当時の味はよく分かっていないから。ヨーロッパに渡った頃の文献を参考にして作ってみたんだ」

「でも、ちょっと残念です。確かに大人の味と言われたらそうかもしれませんけど、もっと甘いチョコを想像していたのに」

「うん、そういうと思っていた」

「だったらさ、普通のチョコ用意しておいてよ」

「これは、これから期末試験に臨む三人の力になるように作ってみたんだ。薬って言ったよね、滋養強壮の効果があるみたいだから、これで期末を乗り切ってもらおうかと」

「滋養強壮ってなんかエッチな感じだよね」

「そやな。稲穂さんもしかしてウチらにいかがわしいことしようとか考えてへんやろな」

「でも、稲穂さんなら構わない」

「そんなこと考えてないから。それにエッチな意味じゃないからね」

「うん、分かってるって。ちょっとした冗談だから」

「けど、元気にはなりそうな感じやな」

「うん、三日徹夜で勉強できそうなくらいだった」

「……そうか。ほな、せっかくの心遣いや。ありがたく頂くか」

「……そうだね」

 まだ飲んでいない知恵と文。二人は少し冷めたカップを一気に呷り、それから口の中の苦さを消し去るために金平糖を放り込んだ。

「三人とも飲んだね。じゃあ、今からさ今度の土曜日に会社で出すチョコフォンデュを試作するから、口直しに食べていく?」

 この稲穂の言葉を聞いた瞬間、苦い顔をしていた三人の表情が一瞬で甘くなった。


次話はチョコの話のアダルトバージョンの予定。

でも、R-18ではありません。

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