ストーカー? 事件の顛末 後編
かくして二人だけでの会話が。
開始されるはずであったのだが、二人は沈黙を、ちょっと気まずいような空気が。
この空気は離れた位置にいる稲穂にも察知できた。おかしな雰囲気を撹拌するために急ぎ舞い戻り、二人の会話の懸け橋になるべきだろうかと稲穂は思案。しかし、自分が入ることで実里は闊達にはなるだろうが、須藤君は依然沈黙を続けてしまうのでは。それは望むことではない。
どうしようかと一人思い悩んでいる稲穂の耳に声が聞こえた。
「……それで……須藤君は私にプロポーズをしに来たのだな?」
沈黙を破ったのは実里であった。
「……ええ、そうです。……それで……受けてもらえるのでしょうか?」
沈黙の間ずっと下を向いていた須藤君は、実里の声を聞き、勢いよく顔を上げ、そして早口で問う。
「申し訳ないが、その申し出を受けるわけにはいかないのだ」
そんな須藤君とは対照的にゆっくりとした口調で実里は断りの言葉を。
「どうしてですか? 久し振りに逢って、急なプロポーズだったからですか?」
依然早口のままで須藤君は訊く。
モニタリングしている稲穂も確かに急すぎるかなという感想が。
「……それは違うな」
しかし、実里が断ったのはそれが理由だからではないらしい。
「だったら、どうして? 交際期間が必要ならば、今から正式にお付き合いしましょう」
「いや、そういう理由じゃないんだがな」
「お願いします。……仕事を辞めろなんて言いません、家庭に入ってくれとも言いません、研究はそのまま続けてもらっても構いません。……だから、僕と一緒になってください」
二人の以前の関係がどうなのかは稲穂は知らない。しかしながら、この出された条件ならばそう悪くはないのでは、とモニタリングしている稲穂は思ってしまう。
「それは魅力的な提案だな」
「だったら……」
「……半年前の私なら、もしかしたらプロポーズを受けていた可能性があったかもしれないが、今は絶対に無理だ」
「どうしてですか?」
この問いに稲穂は同意であった。
「それは、稲穂に出会ったからだ」
自分と実里の結婚に何の因果関係があるのかと、稲穂は燻がる。
「……稲穂さんってさっきの女性ですよね?」
「ああ、そうだ。かっこよくて、かわいくて、その上素敵な子だ」
「その人が何で関係あるんですか?」
「稲穂は私を変えてしまった。もう、彼女無しでは人生を歩めないくらいに」
「はあああ?」
須藤君動揺に、稲穂も驚きのあまり思わず叫びそうになったのだが、そんなことをしたらコッソリとモニタリングしていることがバレてしまう可能性もあるので、声になって口から飛び出す瞬間に必死に体内へと押し戻した。
「何をそんなに驚くんだ?」
「えっ? でも、あの人……女の人でしょ」
「ああ、そうだ」
このやりとりに、稲穂は心の中で「すいません、元男です」と一人謝罪を。
「いつから先輩は同性愛者になったんですか?」
「別に趣旨変更したつもりはないぞ、稲穂だから好きなんだ」
「……そうですか……」
表情を見なくても声だけで十分に分かるくらいの落胆ぶりを。
「ああ、そうだ」
そんな落ち込んでいる須藤君のことなど我関せずといった感じで。
「……それで……二人は……あの……そういう関係なんでしょうか?」
誤解である。この誤解を解いておきたいが、そんなことしたら盗み聞きしていたことを知られてしまうことに。
「君の言う関係というのが、何を指しているのか分からないが良好だとは思う。いつも美味しいご飯を作ってくれて、私を満足させてくれるしな」
「……あの、もしかして……二人は一緒に暮らしているんですか?」
もしかしたら二人はそういう関係なのでは、実里の言葉からそんな気がし、須藤君は訊いてしまう。
「ああ、一つ屋根の下で生活しているぞ」
それはここ数日のこと。それも理由はこのストーカー? 騒ぎがあったから安全確保という名目で。そう言って誤解を招いているかもしれない言動を訂正したいのだが、いかんせん現在は盗み聞きという名のモニタリングの真っ最中で、訂正という行動を行ったら密かに二人の会話を聞いていた事を白状してしまうのと同じこと。
「……そうなんですね」
聞こえるか、聞こえないような、哀愁と悲嘆のこもった呟きを。
「それだけじゃなくて、稲穂は凄いぞ。お腹だけじゃなくて、身体も気持ち良くしてくれる」
その呟きが聞こえたのか、聞こえなかったのか、分からないが実里は言葉を続ける。
「……僕では満足してくれなかった先輩が……」
須藤君は、二人はもうすでに肉体的な、性的な関係を結んでおり、そして自分にはできなかった女性の気持ち良さを、悦楽を稲穂が実里に与えていると勘違い。
そう、勘違い。
先の実里の言葉は全くもって誤解であった。
稲穂が実里にしたのは、性的なことではなく、普通のマッサージ。実里は特に腰、中殿筋の辺りが凝っていた。
「……振られたんですね。……いや、そもそも舞台にも立っていなかったんですね。すいません、変なプロポーズなんかしたりして、ゴメンなさい。……帰ります……先輩、サヨウナラ」
本当に今にも消え入りそうな声と雰囲気であった。
「申し訳ない。けど、一ついいか。プロポーズされたこと事体は嫌ではなかった、悪い気はしなかった。さっきも言ったが、もし稲穂と出会っていなかったら、受けていたかもしれないくらいには嬉しかったぞ」
「お世辞でも、そう言ってもらって嬉しいです」
「ああ。それより忘れものだぞ」
そう言いながら実里はテーブルの上に置いたままの小箱と薔薇を指さした。
「いいです。今回のお詫びに先輩が貰ってください」
「いや、高価な物を流石に受け取れないぞ。私では駄目だったが、次の良い人のために大事に持っておくといい」
この手のものの使いまわしはどうかとは思うが、稲穂は当然のことながら突っ込まずにいた。
「……はい」
小箱と薔薇を手に、須藤君は背中を丸め、哀愁を漂わせながらカフェから出ていこうと。
「ああ、そうだ……」
そんな姿を憐れに思い、先程までの趣旨を翻したのか、実里が声を、
「あっ、はい」
淡い期待のようなものを感じたのか、須藤君は素早く振り向き、実里を見る。
そんな須藤君に実里は、
「君が持っていったあの白衣。好きに使っても構わないぞ、選別代わりのようなものだ」
期待はものの見事に粉砕された。
再び意気消沈した須藤君は、
「白衣って何のことですか?」
本当に見ているほうが気の毒になるくらいの落胆ぶりなのに、そんなことは無視してもいいようなくらいなのに、律儀に対応を。
「そうか……須藤君じゃなかったのか。……ということは、私の気のせいだったのか……。いや、しかし待てよ……確かにあの時、私は……」
ブツブツ呟きながら実里は考えごとを。
須藤君と実里の付き合いは、それこそ稲穂よりもずっと長い。こんな状態の考えごとモードに入ったら、周囲のことなど一切気にせずに 没入していることを熟知している。
だから、須藤君は何も言わずに。
そして、遠くに座る稲穂に、実里先輩のことをお願いします、と心の奥底で言い、それから深々と一礼して、踵を返し、力なく帰っていった。
そんな須藤君を追って、さっきのは全部誤解であると伝えるべきなのか、それともまだ考え中の実里の傍にいるべきなのか、どっちがいいのか判断がつかず、稲穂は席から動けなかった。
ストーカー? 事件も無事? 解決して実里は自分のアパートに戻ったかというとそうではなく、年末一杯、年越しを桂達と一緒に過ごした。
そして三が日は、泣く泣く実家へと帰り。これは稲穂達と一緒に過ごしたいのは山々だったのだが、流石に縁もゆかりもない三重への帰省に同行するわけにもいかず諦めたからであった。
四日からは桂と麻実の大掃除によって綺麗になった自分のマンションへと戻り、今年は研究の成果を上げ、稲穂を喜ばせると、祈願をし、研究に勤しむのであった。
そんな実里であったが、仕事始めから四日後の午前、
『桂……聞いてくれ。稲穂に顔向けできないようなことをしてしまった』
という電話が事務所で仕事中の桂に。
「いったい何があったの?」
ただ事ではない雰囲気を感じ桂が。
すぐに返事はなかった、ちょっと間無音が続き、やがて、
『……首になってしまった』




