おでんはおかず
前フリの前フリ
俗に、おでんはご飯のおかずにはならないという。
これはネット上でよく見る意見であり、それに類するものとして、刺身、クリームシチューというものもよく挙げられるが、おでんはその筆頭とまでは言わないが、それでも上位三位くらいにまでにランクインするような品である。
かくゆう稲穂、もとい稲葉志郎もかつてはその意見の賛同者であった。
彼の実家では、おでんが食卓に並ぶことはほとんどなく、芝居をするために上京してきてから先輩に居酒屋でご馳走になったのがほぼ初体験といっても過言ではなく、それ故に、おでんはおかず、ではなく彼の中では酒の肴というカテゴリーに属する食べ物であった。
それとは反対に、桂の実家、成瀬家では冬の定番のおかずとしてよくテーブルの上に並んでいた。
このことで二人は口論、とまでは流石にいかないが、若い頃に何度かちょっとした論争を。
実家の味を再現し、桂が志郎に振舞えばこの論争はあっという間に収束を迎えたのかもしれないが、生憎と桂は料理が苦手でそんなことはできずに、二人の意見はこのままずっと平行線を辿るはずであったのだが大きな転機が二人に訪れた。
それは稲葉志郎という肉体が崩壊して、伊庭美月という少女になったこと。美月は、桂の従妹という設定になっていた。そこにちょっとしたトラブルが起きて、美月は桂の実家へと行くことに。そこで桂の母から成瀬家のレシピが記されたノートを譲り受けることに。そのノートにはおでんも記載されていた。
が、それで美月がすぐにこれまでの意見を翻したわけではなかった。ノートを受け取ったのは夏であり、おでんは季節外れ、温かいものが美味しい季節になっても自分が吞める年齢ではなかったのでとくに作るつもりはなかった。
そんな美月の頑な考えを一変させる出来事が。それはお正月の帰省で出たおでん。お鍋一杯のおでんは非常においしそうであったのだが、女子中学生と肉体では飲酒をすることは叶わずに、さりとて好意で出された食事に手を付けないというのはあまりに失礼すぎるので、合わないと思いつつもご飯と一緒に食すことに。この時の一口目で美月はこれまでの信仰をかなぐり捨てて敬虔なるおでんはご飯のおかず信徒へと変貌。
それくらい成瀬家のおでんはおかずになっていたのであった。
東京に戻ってから、ノートの参考におでんを作る。
美月同様に、おでんはおかずにならない派であった麻実、これは彼女が長年の病院暮らしで培われたもの、もあっさりと転向を。
二人の意見を変更させるほど特別なレシピのおでんであったのかというと、実をいえばそうではない、取り立てて普通のおでんであった。
なのに、どうしてこの二人がこうも簡単に軍門に下ったのかというと、それはちょっと濃い目の味付けであったからだった。
美月、というか志郎と、それから麻実が食べてきたおでんよりも格段に濃い味であった。志郎が昔先輩に御馳走になったおでんは、関東炊きと呼ばれる関西風の昆布だしの薄口のもの。そして麻実が食べていたのは病院食ゆえの塩分控えめのこれまた薄味。
これでは、おかず否定派になっても仕方のないことであった。
さて、成瀬家のおでんだが、高級利尻昆布で出汁をとり、そこに酒と味醂を合わせ調合し、定番ともいえる大根はしっかりと面を落とし、練り物も老舗の伝統の品を買い揃え、さらには鍋もおでん用の四角い専用の物を使用しているわけではない。味付けが少し濃い目の普通のおでんである。出汁も市販の、それも決まったメーカーがあるわけでもなし、そこに適当な大きさにカットした昆布を。白滝も近所スーパーで買ってきたものだし、練り物はお勤め品を、大根は先に圧力なべにかけて柔らかくしておくくらいで特別なことは何もしていない。伝統的な具材の他にウィンナーだって入れてしまう。
そんな一般家庭の普通のおでんであるが、一つだけ大きな特徴があった。
それは、牛すじ。
牛すじがたっぷりと入ったおでんであった。
そして、成瀬家母のレシピノートにはこの牛すじの下拵えについて記載されていた。肉屋で買ってきた牛すじをそのまま鍋に投入したのでは食べられるには食べられるのだが、人によっては臭みや固さが気になってしまう。だからこそ下拵えが肝要であった。葱とショウガと一緒に軽く下茹でをし、その後大根同様に圧力鍋で。
稲穂、もとい美月が最初に試みた時牛すじの下拵えで失敗をしてしまった。臭みはもとより余計な油、脂肪を取り除こうとして、ノートに書いてあった時間よりも長めに圧力釜にかけてしまう。
これに桂は激怒、というのは流石に大袈裟だが、それでもちょっとしたお怒りを。
「こんなスカスカなのはおでんの牛すじじゃない」、と。
桂は実家のおでん、とくに牛すじをこよなく愛していた。これさえあれば他には何もいらない、一番の好物とまでは流石にいかないけど、それでも好きな食べ物の一つであることにはかわりなかった。
だが、コンビニで手軽に買えるようなおでんの牛すじは好きではなかった。
その理由は、先にも述べたようにスカスカであったから。
彼女にとってのおでんの牛すじはゼラチン質であり、そしてコラーゲンがたっぷりなものである。これらが抜け落ちてしまったものは好みから大きく逸脱したもの、論外であった。
コラーゲンこそが牛すじにおいて最も大切なことであった。桂にとって味はもとより、この牛すじに含まれているコラーゲンを体内に取り込むことこそが最も重要なことだった。
上京する前まで、つまり高校時代までの桂はメイクはおろか、スキンケアもあまりしてこなかった。なのに、周囲に友人達からは「肌キレイ」「お餅みたい」と高評価であった、だが、進学を機に上京、一人暮らしを始めると密かに自慢していた肌の調子があまり芳しくなくなっていく。その原因を桂はコラーゲン不足と推察、そこから論理が少々飛躍しておでんの牛すじを食べていないから、と。コンビニでおでんの牛すじを買って食べたが肌の調子は戻らず。そこで桂は実家のプルプルな牛すじでないと駄目という結論を。
それ故に、美月の初めてのおでんにちょっとした小言を、まあ言いながらもしっかりと食べたのだが。
二度目以降はその点を留意し作り、これには桂も満足。
ついでにいうと麻実も絶賛であった。絶賛の理由は、桂同様に牛すじで「これ食べたから肌の調子がめっちゃ良い」というものであった。
その後も、ミニロールキャベツを入れたり、東海地方の人間にあまり馴染みのないちくわぶを入れてみたりと、試行錯誤をしながら楽しんだ。
そんなおでんは、美月が稲穂になってからも冬の食卓を彩った。
最近では実里が例のごとくご飯を食べに来た時に振舞い、
「コンビニとは違って、実にご飯に合う」
白米好きを公言し、それを周囲にも認められている実里の墨付きをもらう。
そしてさらに、
「ご飯にも合うけど、お酒にも合いそうだ。今度作る時には前もって教えてくれ、その時には日本酒持参で来るから」、と。
これはここ成瀬家には料理酒はあるものの、日本酒は置いていない。桂はウィスキー、ハイボール派であり、最近呑み始めた麻実はソフトアルコールが好みであった。したがって、一升瓶は現在の所存在していなかった。
二日前にその実里から電話があった。稲穂達に相談したことがある、と。
電話を受けた稲穂は「じゃあその時、おでんにしようか」と提案。
これに実里はさっきまであったちょっと深刻な口調はすっかりとなりを潜め、
「すごく楽しみだ」
と、電話を切った。
ということで、約束の日に稲穂はおでんの準備を。麻実は練り物の買い出し、そして桂は稲穂の助手兼、味見役。
約束の時間よりも大分と早く、十二月の太陽が完全に沈みきる前に、実里は成瀬家の玄関のドアを日本酒の紙パックをお供に潜ったのであった。
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