表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
249/333

スナイパー

 

 稲穂の今回の出張先はアメリカではなかった。

 といっても一時的にはアメリカの敷地に、しかし領土内ではないのだが、一時滞在していたのだが、これはまあ置いておいて、稲穂は今東南アジアの内陸部にいた。

 とある国境近くに。

 モンスーン気候の不快な湿度の中、稲穂は一人静かに潜んでいた。

 貸与されたアメリカ陸軍が正規採用しているM24を構えながら。

 今回の稲穂の仕事は狙撃であった。

 今潜んでいるのは広葉樹の森の中。その横を流れる川向こうにターゲットが。

 だが、今はまだその姿を見せていない。

 稲穂は、広葉樹の緑の葉に覆われた、外からは見えない枝の上に腰掛け、ギリースーツを纏い、ライフルを構えていた。

 普通ならば、このような状態で狙撃を行ったりしない。精密な射撃が要求される作業であるから、わずかな、微かな動きが、それこそ息一つで銃身が微かにブレ、数百メートル、数千メートル先の的を外すことになる。にもかかわらず、稲穂は射撃には適していない姿勢を。

 これには理由があった。

 狙撃手の仕事は、銃を構えてターゲットを撃つだけではない、それは重要なことだが任務の凡そ10%と言われている。では残りは何かというと、そこに見つからないように辿り着くこと、そして射撃後に見つからないように帰還すること。見つからないように潜入するという点において稲穂は打ってつけの存在であった。空間を跳躍し、足跡を全く残さずに移動することが可能。だが、隠れるという点においては知識は少々あるものの、ほぼ経験のないことであった。だからこそ、見つからないことを最優先。射撃するのは全然適していない葉に覆われて枝の上、人が踏み入れない場所からの狙撃を選択したのであった。

 そしてそんな状態であっても稲穂は精密な射撃をすることが可能であった。

 ターゲットが現れるまで、端的にいって稲穂は暇であった。

 といっても本当に暇であるわけではない。いつ顔を出すか分からないターゲットに対応するため、トリガーを引くために準備をしながら、身動ぎ一つせずに待機を。

 只ひたすら、待つだけ。

 それも数分ではない、数時間、あるいは数日。

 そんな状況下であり、なおかつ重たいライフルを構えて、大木の枝に身を隠しながら潜んでいるのだが、稲穂はそれほど苦痛ではなかった。

 元々常人を遥かに凌駕する運動能力と体力。

 それに加えて適切なサポートをしてくれる存在も。 

 その存在の力を借り、自身の身体の動きを制御、構えた姿勢のままで身体の大半を固定。トリガーにかけている指と眼球、生命活動に必要な内臓器官のみをフリー状態に。

 動かさないことで、安定と、余計な消費を抑えた。

 長期の待機に備えた。

 だが、それでもエネルギーの補給は必要であった。

 枯渇する前に補給を。

 それによって内臓器官は働き、そして排泄を促した。

 それには関してはすでに着用済みのオムツで対応。木から降りて用を足すようなことはなかった。

 肉体的に大変であったが、それ以上に精神的にも困難である。ひたすら待つだけであるのだから。

 だが、これも稲穂にはあまり苦痛ではなかった。

 モゲタンという頼もしい存在が常にいたからであった。両耳のピアスのモゲタンは、身体の制御だけではなく、暇をつぶす、脳内で話し相手に。

 それに加えて、モゲタンが事前に保存しておいてくれた、稲穂が好きそうな映像データや書籍のデータが大量に。

 これによって稲穂は待つことができた。

 感覚を切った身体で、雨数に耐えながら。


〈ターゲットが標的ポイントに来たぞ〉

 これまでずっと稲穂の話し相手を務めていたモゲタンが、別の役割、今回の役割へと変貌。

 観測手(スポッター)に。

 狙撃というのは一人でも行うことは可能であるが、より精確な、精密な射撃を行うためには補助する存在が不可欠であった。それが観測手である。射撃手の補助、観測して、情報を与える。これがすごく重要であった。狙撃というのは、数百メートル、数千メートル離れた目標を狙うこと。そして、放たれた弾丸が目標に到達するまでには多く現象が介在することに。重力、コリオリ力はもちろんのこと、湿気に風、風に至っては手前で吹いている風と対象付近の風は強さが違うのは当たり前であるし、時には逆方向に吹いていることさえある。それを正確に読み取り、射撃手に伝えるのが観測手の仕事。人によっては狙撃手よりも観測手のほうが重要でありと言い、それを裏付けるように経験を重ねた狙撃手が、観測手に着任することが多い。

 ターゲットまでの距離、気温、湿度、風等をモゲタンが精確に把握し稲穂に伝える。

 脳内でのモゲタンの指示を受けながら、稲穂は構えているM24を微調整。銃身の角度をミリ単位で動かす。

 息を止める。

 指先をトリガーに。

 人差し指をほんの少しだけ動かす。

 7.62ミリの弾丸が射出される。

 排泄されたから薬莢が、葉に当たり、微かな音を立てながら地面へと落下。

 稲穂は次弾を装填。

 放たれた弾丸がターゲットの足元をえぐった。

 続けた放たれた二射目。

 初段に驚き、身を伏せたターゲットの頭がほんの数秒前までにあった位置を正確に、ターゲットの頭頂部の残り少ない毛を衝撃波でむしり取りながら通過。

 二発目を放った後、稲穂はライフル、その他の持ち物を全てその場に置き捨てて、空間を転移した。


『One Shot,One Kill』という言葉がある。日本語に訳すと一撃必中。

 これは映画『山猫は眠らない』のモデルにもなったアメリカの伝説的スナイパー、カルロス・ハスコックのものである。

 狙撃において、二射目というのは非常に危険な行為であった。一射目をしたことによって、発射位置を特定、つまり射手のいる場所が分かってしまうというのはもちろんのこと、次弾を装填するまでの間に逆襲にあってしまう可能性、また初弾を発射したことにより銃身が熱を持ち照準に微妙な誤差が生じさせてしまう等。

 それゆえに一撃で仕留めることが肝要であった。

 だが、稲穂は外した。それも二発も。

 今回の作戦が人間離れした能力を持つ稲穂、人知を超えた存在であるモゲタンのサポート、これらを持ってしても非常に困難なものであったかというと、実はそうではない。

 潜んでいた場所に辿り着くことは、訓練を受けた人間でも非常に難しいものであったが、肝心の射撃、その難易度自体はあまり高くなかった。

 にもかかわらず、稲穂は標的に当てることができなかった。

 それも二発も。

 これは射撃に向いていない姿勢で発射した、簡単な仕事と慢心した心が生み出したミス、というわけではなかった。

 わざと外した、正確には当てなかったのである。

 今回の作戦は、暗殺、ではなく、警告、であった。


 この地域は芥子の花の栽培地であった。今世紀に入ってからは、芥子の栽培から手を引き、別の作物の耕作を行っているのだが、それでもまだ芥子を栽培する集落も多かった。

 芥子は麻薬、アヘン、モルヒネ、ヘロインの原料。近年では麻薬の類は解禁されている国も出始めたが、まだまだ世界一般的な常識として害悪な薬である。

 それゆえに非合法組織の資金源に。

 ここも、そういった場所であり、世界中にマーケットを持っている組織の栽培所であった。

 そこのボスを、稲穂が依頼を受けて狙撃で脅したのであった。

 暗殺ではなく、脅し。

 これには理由がいくつか存在した。

 まずは稲穂側のもの。常人を遥かに凌駕した能力を持つ稲穂ならば、このようなことをせずとも単身で乗り込み、組織を壊滅させ、畑の全ての芥子の花を消し去ることも十分に可能であった。だが、今回の依頼は射撃による脅し。それゆえにこの依頼を受けたのであった。力があったとしても、それを殺人という行為に使用することは躊躇いがあった。だが、今回の依頼が、脅し。だからこそ引き受け、共同経営者の桂も承認したのであった。

 次に依頼主の観点から。麻薬という代物は非常に厄介であり、それよって国力に影響が。それで即座に国が傾くというわけではない、全体的に見れば極わずかの問題でしかないのだが、それでも頭の痛い問題であることには変わりはなかった。だが、対処すべきことだからといって即座に壊滅させるための行動をすることはできない。世界はそんなに単純にはできていなかった。壊滅させることによって地政学的に、空白地帯が生じてしまう。その空白を自分達で埋めることが可能であるならばそれにこしたことはないのだが、実行するためには多くの人的、及び金銭的資金を投入する必要があった。だが、その余力はない。そして空白をそのままにしておくと近隣の超大国によって奪取されてしまう。これは非常によろしくないことである。ゆえに、脅しであった。支配は認めてやるが、あまり調子に乗るな、という。

 依頼主は稲穂に、脅しが終えた後は貸与した装備一式をその場に残してくるようにという注文を出していた。

 これは無言のメッセージであった。

 だから、稲穂は持ち物全てをその場に置いてそこから、身一つで空間転移したのであった。

 

似非地政学。

今回会話シーンなし。

次話は会話劇。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ