ネタバラシ
前話の続き
ブザー音が鳴り響き、終了のアナウンスが流れると同時に、倒れていた黒スーツの男達は素早く、かつ機敏に立ち上がる。
続いて流れる、迫力のある英語を真剣な顔つきをしながら、といってもサングラスで表情はよく見えないのだが、直立不動で傾注。
そんな四人とは対照的に緩慢な動きをしたのが麻実であった。
なかなか桂の上からその身体を降ろさない。
「麻実ちゃん、早く。もうー限界だから」
下の桂から急かす、悲鳴のような声が。
「ちょっと待ってよ、そんなに急がせないで。桂の服が絡まって取れないの……あ、外れた」
桂が着ていた白の衣装は、裾が長くそれが麻実の服と絡まってしまっていたのだった。
だが、それがようやく外れた。
ずっと圧迫していた重さからようやく桂は解放された。
解放されたと同時に、桂はいつものちょっとどんくさい動きとは全然違う、まるで脱兎のごとく、長い裾を思い切りたくし上げて、少々はしたない、異性の目があるのもかまわずに、生足を披露し、ヒールのある靴であるのもお構いなしに、なりふり構わずに大股を広げながら一目散に走り出す。
目指す場所はトイレ。
走りながら桂は自身の選択が正しかったことを実感した。
これは今桂が着ている服のことであった。裾の長い白い服、見る人のよっては花嫁を連想するようなものであり、動くことに適していない衣装。これがどうして正しい選択なのかというと、この服の他に本当に花嫁に、というのはちょっと御幣があるが、それでも裾が広がっているドレスの着用をしようかと実は計画していた。こんな機会でもなければまず着ることがないような衣装。しかも訳アリ商品がワンコインで手に入り、自分で直すことが可能なもの。だが、桂は散々迷った結果、今の服を選択した。
それが功を奏すことに。ドレスではたくし上げて走ることなんてできないし、ましてや一人で用を足すことも難しい。
しかしながら同時に反省する点も。
それは履物であった。
走り難い、ヒールのある靴を履いていた。
裾の長い、足元の見えない衣装であったのだから別段スニーカーでもよかったのだが、敢えて桂はヒールを選択。
これは本当に大いに失敗であった。
急いでいるのに走れない、転びそうになる。
それでも桂は必死にトイレを目指した。
我慢の限界、決壊しそうになる寸前にトイレへと飛び込み、さっきよりも裾をたくし上げて、パンツを下ろし、便座の上の腰を降ろすことに成功。
さて、桂が排泄する様を、筒井康隆の短編『歩く時』のように事細か、それこそ内臓器官筋肉の動きについてまで描写しても仕方がないので、まあ中にはそれを望む稀有な読者の方もおられるかもしれないが、それを行った場合規約に抵触してしまう可能性も十分にあり得るかもしれないので、やはりここは書かないでおくことにし、用を足している間別のことを記しておきたいと思う。
それは、現状について。
前話で突然桂が裏切り、撃たれ、そしてそれを阻止しようとした麻実もまた凶弾に倒れてしまった。
この急転直下の事態がなぜ起きたのかについての説明をしておきたいと思う。
ここは山中にある廃ホテル。バブルの時代の遺物である。といっても厳密にいえばバブル期の建てられた建築物ではなく九十年代初頭に計画され、中頃に建造、そして営業を開始。だが浮かれた時代に立案された事業が上手くいくはずもなく新しい世紀を迎える前に廃業を。その後、数多の債権者を渡り歩き、現在は稲穂達の会社の所有物に。
しかも格安で、周囲の山も一緒に、手に入れた。
しかしながら何故、こんな物件を手に入れる必要があったのかというと、それは訓練のためであった。
軍事、警備関連の事業を行っている。これまでは在日米軍基地内の施設を間借りして訓練を行っていたのだが、そう頻繁に借りるわけもいかず、自前の施設を欲していたところ、丁度良くこの物件を発見し、そして内覧した結果、内装は荒れてはいるが建物自体はそんな悪くなってはおらず、使用に耐えうるとモゲタンが判断し、購入に至った。
だがしかし、訓練のための施設であるのに、どうして桂と麻実がいるのかという新たな疑問が浮上してくる。
共同経営者の一人とはいえ桂は荒事には携わってはいない。麻実に至っては内情を知ってはいるものの、一応部外者。
そんな両者がどうして訓練施設にいるのかというと、それは余興のようなものであった。
余興と書くとおふざけと誤解されてしまいそうだが、一切そんなことはなく訓練自体は至極真面目なものである。
普段の訓練内容は施設内に籠城している敵を殲滅、または人質の奪還というものであった。だが、同じことばかりを繰り返していたら真剣なものであってもそこに慣れが生じてしまう、飽きがきてしまう。そならないために、他のことを、今回の桂と麻実の参加であった。
要人警護。
これが今回の訓練の目的であり、桂を見えない狙撃手からも守るのが、ゲームの内容であった。
そしてそれとは別に、桂と麻実、二人だけで密かに細かい設定を。
訓練に参加しながらロールプレイを楽しんだのであった。
説明をしている間に、桂が用を足し終えて麻実の所へと戻ってきた。
黒スーツの男達はすでに何処かへと立ち去っていた。
戻ってくるやいなや、開口一番に、
「酷いよ麻実ちゃん、あんな風に倒れるなんていう予定なかったじゃない」
と、文句を。
「ゴメンゴメン。でもさ、桂がアドリブ入れたからさ。なんか悪女っぽい台詞を言ったからあたしも何かしないとって思ってさ」
「だからって私の上に倒れこまなくても」
「悪女に対抗できるのは悲劇のヒロインかなって」
「でもさ、それだったら最初の予定通りでも十分悲劇的に見えるんじゃ」
「それもちょっと考えたよ。桂の近くで倒れて、手を伸ばして息絶えるとか」
「何でそっちを選択しなかったのよ」
「いやー、暗くてさ、足元がよく見えなかったんだよね。それで気付いたら桂の倒れている近くまで来ちゃってて、だったら上の倒れちゃえって咄嗟に思ったんだ」
「まあ、確かに暗くて足下見え難かったけど」
「でもさ、結構悲劇的なシーンに見えたでしょ」
「見えないから分かんないよ」
「後で確認しようよ」
訓練内容はいくつものカメラで撮影されていた。
「それよりも大変だったんだから」
「だからゴメンって。でもさ、桂にもちょっと責任があるんじゃないの」
「どうして?」
「桂さ、始まる前に、水分めちゃくちゃ摂ってたじゃん」
「だって……こういうの初めての経験だからちょっと緊張して」
「じゃあ、自己責任じゃん」
「確かに飲み過ぎだったかもしれないけど、それをいったら麻実ちゃんだって私と同じくらい飲んでいたじゃない。麻実ちゃんは大丈夫なの?」
「まあね、あたしは桂と違ってまだ若いから。緩くなっていないから」
「私だってまだ緩くなんかないんだから。緊急事態に陥ったのは麻実ちゃんのせいで」
「ゴメンって。でもさ、間に合ったんだから別にいいよね」
「まあね」
「ところでさ、結構気持ち良かったよね。シロってずっとこんな感じで芝居してたのかな?」
「さあ、それはちょっと分からないな。昔、役作りが上手くいかずに悩んでいる姿もみたことあるし。けど、上手くいった時は凄く快感って言ってたような」
「そうか。ねえ、悪女っぽい台詞言った時気持ち良かった?」
「実は結構ね」
「じゃあ、今度はあたしもやってようかな」
といった具合に、女二人で盛り上がっているところに稲穂が姿を現した。
「二人ともまだその恰好なの? 着替えてきたら」
胸が赤く染まった二人の服を見ながら稲穂が言う。
「赤くしたのはシロでしょ」
「そうよ、稲葉くんが撃ったんでしょ」
先程の狙撃役は稲穂であった。
その稲穂に、少々理不尽ながら、二人の非難の声があがった。




