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邂逅


「来るな」

〈ああ、来るぞ〉

 稲穂は、両耳のピアス、モゲタンに話しかけた。

 現在都内、といっても二十三区を遠く離れた郊外の丘をロードバイクで走行中。

 風を切って走っている最中、身体に、肌に嫌な予感なようなものを感じ、一人では気のせいかもしれないと思い、稲穂は相棒に訊ね、モゲタンも同様なものを感じたという同意を。

「どうする? 良い場所はあるか?」

〈この先少し進んだ場所に公園がある。そこなら問題ないだろう〉

「了解……けど、持つかな」

 後半の言葉は小さく呟く。

 だがどのような音量であろうと、いや口に出さずともモゲタンには確実に伝わる。

〈大丈夫なはずだ、絶対という確証はできないが、今よりも約5%ほど速度を上げれば、キミが想像したような悪い展開にはならないだろう〉

「分かった」

 言葉と同時にギアとケイデンスを同時に上げる。

 5%どころではない倍以上の速度で走ることも稲穂なら可能であったのだが、そんな出力を出した場合い、車体が、いやタイヤがもたなかった。

 逸る気持ちを抑え、安全な走行を。

 これからの未来をまるで暗示するかのよう空一面を覆いつくしていく黒雲の下を、稲穂はロードバイクで疾走した。


 公園に着いた頃にはまだ大丈夫であった。

 だが、モゲタンが指示した場所は公園の奥にあった。

 そこへと辿り着く前に、稲穂の身体にずっと感じていた心配、懸念が具現化して襲い掛かってきた。

 稲光と共に激しく、強く落ちてくる雨。

 いわゆるゲリラ豪雨というものであった。

 この予兆を稲穂とモゲタンは感じ取り、雨宿りをする場所として公園の四阿(あずまや)を目指したのだが、四阿は園内の奥にあり、辿り着く寸前に降られてしまったというわけだ。

 だが、突然の豪雨であっても、稲穂の常人離れした能力ならば全く問題はなかった。雨で視界が少々、いやかなり悪くなっても問題なし、濡れたとしてもモゲタンの力を借り体内の熱を一時的に上げ乾かすことも可能であり、着ている服も乾きやすい素材のサイクルウェアである。それに着替えが、TPOに合わせた服が、これから先向かう場所に相応しい服が背負っている防水リュックに入っている。

 なのに、何故雨宿りという選択をしたのか?

 それは愛車、ロードバイクのためであった。

 雨は天敵、濡れただけで即走行不能になってしまうというような(やわ)な物ではないのだが、豪雨の中の走行ともなれば重要な回転部品内のグリスが流れ落ちてしまい故障の原因になり得る。しかしそれも、適切なメンテナンスを行えば防ぐことが可能。

 なのに、何故こうまでもして濡れることを嫌がったのか?

 間に合わせの安物、そして近々乗り換え予定であるのだが、それでも愛着があり、あまり汚したくないような心境が働いたからであった。

 ともかく、少し濡れた程度で四阿へと。

 広い四阿には先客の姿が。

 稲穂は最初、自分と同じように突然の豪雨から逃れる、避難する、雨宿りをするためにこの四阿に先客は来ていると思った。だがしかし、先客の服は全然濡れていなかった。だとしたら、降り出す前からここにいたのだろうか、自分と違って運が良いなと思いつつ、強い雨で周囲の景色が見えないので偶然同じ屋根の下にいる人物を観察。

 件の人物は、あまり手入れの行き届いていない髪の長い二十代後半の細身の女性であった。

 少し様子がおかしかった。俯き加減の顔に、少し青ざめた顔いろ。

 右手でお尻の辺りを何か気にしながらモゾモゾしていた。

 全く知らない他人であるがこの状況下で心配になり、稲穂は、

「大丈夫ですか?」と、件の人物に声をかける。

 稲穂の言葉の彼女は少し驚いたような表情をし、しばらく声の主を、つまり稲穂の顔を、目を細めながら凝視し、やがておもむろに、

「……女の子……だよね?」

 この言葉に稲穂は即座に返答できなかった。

 というのも、見た目は女子だが、中身は男。初対面の、しかも偶然同じ屋根の下で難を逃れた人に自身の正体を看破されてしまったという驚きが。

〈そうではないぞ、今のキミの格好を見て彼女は判断に迷ってしまったのだ〉

 脳内にモゲタンの声が。

 モゲタンの声を聞き、稲穂は今の自分の格好、サイクルウェアの上下にヘルメット、さらにはアイウェア。そこに短い髪に同居の二人とは異なる緩やかな双丘、それに長身。これでは細身の男性と見間違えられても別段おかしくはない。

「はい……一応は……」

 曖昧な返事を。

「すまないが、アレを持っていないかな?」

 彼女の言うアレが稲穂には分からなかった。アレとは何か、推理をしようと脳をフル回転。

 そうしている間に、

「ここしばらくアレが来なかったから油断していた」

 また、アレという単語が。だが、今回のは前回のとは意味合いが異なる。それはなんとなくだけど稲穂は分かった。

 そして次の瞬間、アレが何であるのか理解した。

 最初のアレとは生理用品のことであり、次のアレは月のもののこと。

「……持っていますけど」

「こんな場所で、初めての人に言うのはアレだけど、一つ貰えませんか」

「ええ、構いませんよ」

 背負っている防水リュックを降ろし、中からかつら謹製のポーチ(謎の袋)を取り出し、手渡す。

 前話で稲穂は生理が来ることを拒んだ。そんな彼女であるのに、どうして持っているのかという疑問を持たれる方もいるであろうから説明を。一つは、本来の使い方とは異なるためである、止血用の道具として、大量の出血があった場合の救命道具として。そしてもう一つ、それはカモフラージュのためであった。怪しまれないように、正体が世間に露見しないための小道具であった。

 当初稲穂は別にそんな必要はないと考えていた。がしかし、桂が、大学生活で仲良くなった子がもしかしたら持ち合わせがないということも十分にあり得るから、そんな万が一の緊急事態に備えてなるだけ持ち歩けと言い聞かせていた。

 この桂の判断は正しかった。予感が見事に的中した。

 仲良くなった大学の友人ではなかった、初対面の人物ではあったが、役立つことに。

 ポーチを受け取った女性は、中を確認し、取り出し、そして勢いよく自身のパンツとパンツを一緒に膝元まで下げる。

 白い柔肌と無毛の局部が視界に飛び込んできた。

 その行為に稲穂は驚愕しながら咄嗟に目を背け、同時に身体を反転させながら、

「何しているんですか?」

 初対面の人に思わず声を荒げてしまった。

 自分ので見慣れているし、桂や麻実のも目の当りにしている。なのに、驚き思わず大きな声が出てしまったのは、それが第四の人物のもの、もとい第三者の人物のものであったからだった。元男の身として、近しい存在以外にはなるだけ見ないように稲穂はずっと、それこそ美月であった頃から心掛けてきた。万が一にも正体が露見した場合、見られた相手が気分を害して、心に傷を負ってしまわないように配慮していた。

 訓練された稲穂の声。たいていの人間ならば、その音量にビックリしたりするのだが、彼女は全然気にした様子もなく、

「何って。こうしないと着けられないから」

 確かにそうかもしれないけど、初対面の人間の面前で恥も外聞も臆面なくパンツを下げた初対面の女性にまだ稲穂は戸惑いつつ、

「そうかもしれませんけど、一声かけてくれれば」

 そうすれば事前に目を瞑るなりして対処できたのに。稲穂の網膜にはしっかりと無毛の恥丘が映った。

「別段見られても問題ないでしょ。女同士なんだから。それのもし君が男だったとしても別に減るようなものでないし」

「……そうかもしれませんが……」

 言いながら稲穂は自身のセンサー能力を向上させた。接近してくる人物がいないことを確認。

「上手くできないなー……久し振りだからかなー」

 背中越しに悪戦苦闘しているのが稲穂にも伝わってきた。

「……あの……手伝いましょうか?」

 余計なことかもしれないけど声を。

「よろしく」

 あっさりと了承を。

 振り向くと事態は悪化していた。

 件の女性はパンツを完全に脱ぎ捨て、下半身剥き出し、おまけに少量の血を流した状態に。

 見てはいけない。稲穂は瞑りながら、さっき渡したポーチを返してもらい再び身体を反転。

 中に入っている生理用品とショーツを取り出す。

 これも桂が入れておいたものであった。

 以前、勘違いで桂から生理用品、ナプキンの使い方のレクチャー受けたことがあった。だが、それは必要ないことであったため、それ以降一度も活用したことなかった。なのに、まさかそれがこんな状況で有用になるとは。

 ショーツにナプキンを装着しながら稲穂は、どうして必要ない自分がこんなにも容易に装着することが可能なのに、普段から着けているはずの彼女が手間取っていたのか脳内で一人推理。

 その推理が漏れ出たわけではないのだが、稲穂の背中に、

「……眼鏡を研究室に置いてきたから……」

 という細い、弱い声が。

 合点がいった。目を細め凝視していたこと、手間取っていたこと、つまり視力が悪すぎてよく見えない結果だったのだ。

「そうですか。でも、眼鏡なしでよく外歩けましたね?」

 かつて稲葉志郎であった頃眼鏡及びコンタクトを使用して生活をしていた。見えない状態で外を出歩くなんて怖くてできなかった。

「見えないけど、全然見えないわけじゃないし、なんとなくぼんやり見えてるから、後時たま焦点があってハッキリ見えることもあるし、それに向うから人が来てもが勝手に避けてくれるから」

「……そうですか……はい、できました」

 背中を向けたままでショーツを手渡す。衣擦れの小さな音が艶めかしく聞こえた。

「ありがとう、助かった。お金払うね……あれっ……お財布がない、忘れてきた……ああ、携帯もない」

 履きなおしたパンツ、纏っている白衣のポケットまさぐりながら彼女は言う。

「いいですよ別に」

「いやしかし、それじゃ大人しては……」

「本当にいいですから。ああ、雨あがったな。それじゃぼ……私は行きますから気をつけて帰って下さい」

 濡れないようにしておいたロードバイクを手にし、早口に言いながら、稲穂は四阿から一足先に出た。

 というのも、なんとなくバツが悪かったからであった。

 それに約束の時間も迫っていたからだった。


 余裕を持って出たつもりであったが、突然のアクシデントでアポイントメントを、約束していた時間ギリギリに目的地に到着。

 稲穂が着いた場所は郊外の大学施設。

 といってもここは稲穂の通う大学ではなかった。彼女が通うのは文系の大学で、ここは理科系の大学。

 ならば、どうしてそんな施設に赴いたのかというと、それはビジネスのためであった。

 稲穂と協力者によって立ち上げた事業の柱は三つ。一つはPMCのような民間軍事関連の会社、稲穂の力及び米軍関係者の能力をいかんなく発揮できる事業。二つ目は投資、これはモゲタンの力を。そして三つめは新素材の研究及び開発及び販売。

 そのための理科系の大学へと。

 所謂事業仕分けという政策のよって昨今の理科系の大学の予算は削られていた。採算の取れないような研究は、主に基礎研究は財政的に大きな痛手を、それはひいては学術的な損失になり得る。そんな研究に投資で得た利益の一部を援助、共同開発を。利害関係はなしで、将来的にリターンはなさそうでも面白そうな研究の手助けを。

 だが、モニターの上だけの研究概要では分からないことも多い、実際に会い、話を聞かないと、そしてその上で判断しないと。投資で少々資金に余裕があるといっても無限ではないのだから。


 何軒もの大学、いくつも面白そうな研究室を稲穂とモゲタンは訪れた。

 そんな中で、とある化学系の研究室で稲穂は好色そうな教授にジロジロと身体中を舐めまわすように見られながら面談。

 出資する側のはずなのに稲穂は軽く扱われ、今までにない対応に、少し訝しがったのだが、ほどなくその理由が判明。

「ああ、それは僕の研究じゃないんだよ。助手のものなんだ。おーい、秦くんを呼んでくれないか」

 別の人の研究だったからであり、この教授はさほどその研究に興味が無いからであった。

 程なくして呼ばれた人物が稲穂の前に。

 その人物を目にした瞬間、稲穂は、

「ああー」

 と、大きな驚きの声を上げてしまった。

 それはてっきり来るのは男性であると思い込んでいたのだが、女性であり、なおかつあの時の白衣の彼女、今回はちゃんと眼鏡をかけている状態、であったからだった。

 件の女性は、眼鏡のレンズの奥でしばし目を凝らし、稲穂を凝視し、やがて小さ口を開き、

「ああ、ナプキンをくれた子だ。あの時は助かったよー。それで私の何の用かな? もしかしたら代金の回収に来たのかな? でも、そうだとしたらどうやって私のことを知ったんだろう? あの時お互いに名乗らなかったよね?」

「確かに名乗っていませんけど。あ、それとお代の回収に来たわけでもありませんから。今日ここに、貴方を訊ねた理由は……」

 稲穂は自分がここに来た理由を説明。

 しばし雑談を、あの時真相を聞き、その後本題へと。

 秦と呼ばれた彼女の話は少々独特な言い回しをし、さらに説明があまり上手くなく、有体にいえば下手であったが、稲穂はその話に真剣に耳を傾け、モゲタンの知恵を借り、専門的な内容はほとんど理解できなかったが、それでもおおよそ概要はつかめた。

 要約すると、彼女は幼い頃からの夢、ずっと冷めないお弁当箱を作りたい。これ自体は既存の技術で製作は可能なのだがいかんせんコストがかかりすぎる、だから低価格な素材を開発したい。そこで分子構造を変えたかなり保温性の高い膜、薄い紙のようなものができないか研究中。それ自体は非常に脆く破れやすいものなのだが、硬いもので挟めば効果はそのままで実用にも耐えるはず、と。

 絶対にものになるという確証はない、今にも他の研究者が同じようなコンセプトで新素材を開発し発表するかも知れない。けど、稲穂はこの研究内容を面白いと感じた。

 そして事務所の戻り、桂や他のスタッフと協議。

 一人で勝手には決められない、あくまで会社なのだから。

 後日、秦実里みのりと再び面談。しかし今回は一対一のではなく、技術スタッフと一応経理を預かっている桂も一緒に。

 そこで桂が少々渋る、というのも物になるかどうか分からないことと秦実里との会話が微妙にかみ合わずにこの人大丈夫なのだろうかと心配したことが要因なのだが、これはまあ文系と理系の話がかみ合わないというようなもので、最終的は共同研究が決定したのだった。

 その後秦実里は成瀬家へと。これは研究の没頭するあまりに女子としてそれはどうかと桂が心配して呼び、その後とある事件がきっかけで一緒に生活するようなことになるのだが、それはまた別の話である。


嘘化学です。

次話は四月一日。

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