いきることわり
二月下旬にアニメ系のまとめサイトを観て思い付いた話。
これは一年前のこと、桂がちょっとした冒険を繰り広げ、不思議な石を持ち帰り、そこから稲穂が出現してから数日後の話。
成瀬家のリビングでは、桂と麻実がグッタリと倒れこんで、寝込んでいた。
稲穂が出現してからまだ数日、尋常ではない速度で成長するが子育ての範疇ではあることには間違いなく、慣れぬことゆえに心身とも疲れ切ってしまい疲弊して、このような有様になってしまった。というわけではなく、別の理由が二人をこうさせて、このような状態にしているのだった。
けど、夏の終わり故の夏バテで倒れてしまったわけでもなかった。
それは、女性特有の月の一度、といっても二十八日周期だから二回来ることもあるのだが、訪れるアレであった。
とくに麻実の症状は重かった。
美月に食生活全てを任せっぱなしにしていた時にはそれほどでもなかったのだが、いなくなり桂との料理が不得意な二人での生活になってからは、食生活に偏りがあり、そのための栄養が不十分、とくに鉄分不足になっており、毎回重度の腹痛と腰痛、それから貧血が。
桂は、それほど重たいわけではないのだが、時折、急に、油断していると血量が多くなり、麻実同様にダウンを。今回は麻実ほどではないがそれでも酷い状態に。
しかしながら何故同時にきてしまったのか? それには理由が。
一緒に生活している間に周期が似通って、同期したからであった。
所謂、寄宿舎効果。
二人ともに動けないような状態で、これまでの生活であればピンチともいえるような状況であったが、二人には頼もしい存在が。
それは稲穂。
まだまだ成長期の身体であり、上手くコントロールできないのだが、それでも甲斐甲斐しくお世話を、介抱を。
「半年前は二人ともそんなに酷い症状じゃなかったよな。俺がいない間に何かあったのか?」
介抱しながら稲穂がポツリと。
その声は現在介抱中の二人に向けてのものではなく、自らの中に存在する人類の科学力を遥かに凌駕するもの、モゲタンに向けてのものであった。
〈麻実については簡単に説明がつく。彼女はもともと重たい症状が出ていた。キミが傍にいた時には、ワタシが彼女の体内に送ったナノマシンで緩和していたのだが、今はその制御が効いていない。その為にこのような有様になっている〉
「麻実さんのは分かった。けど桂がこんなになるのは珍しいような気が」
長い付き合いでもあるし、一緒にも暮らしてきたが、こんな姿になっているのを見たことがなかった。
〈それについてだが、これはワタシの推論だがおそらく彼女たちの食生活が要因ではないかと思われる〉
「……食生活?」
〈ああ、そうだ。キミが、伊庭美月がここで暮らして頃は食事を大切にしていた。味だけではなく健康という点でも〉
「まあ、その辺は一応な」
〈ところがだ、キミが再生してからの数日の食事はどうだ。コンビニ、レトルト、冷凍食品が大多数を占めていた。これらの食品が悪いわけでないが、そればかりを食しているのは。偏りがありすぎる、栄養という面では不足が生じてしまう。それに加えて連日の暑さで冷たいものを摂取し過ぎだ〉
「……ああ、たしかに」
昨日の昼食はコンビニの冷やし中華で、夜は素麺とできあいの天麩羅であった。
これでは身体が冷えてしまうのは無理もない。
〈それともう一点。ストレスというのもあるだろう〉
「……ストレスか」
尋常ではない速度で成長をし続けている人外の自分と一緒に暮らすことを受け入れてくれたが、内心では少し迷惑に感じているのでは、そんなことを稲穂は邪推してしまう。
〈キミが起因のストレスではないはずだ。少し語弊のある言い方をしてしまった。キミを探すことで起きた一連騒動が、桂自身には全然自覚はなくとも心身ともに影響を与え、それがいつもとは異なる状態になった要因だろう〉
モゲタンの仮説を聞き、稲穂は右手を横たわっている桂の上に。
「ありがとな、桂」
「……稲葉くんの手、あったかくて気持ちいい」
「そうか」
「うん……ああ、もうちょっと下を触って欲しいな」
「ここか?」
「あ、そこ。あったかい。ちょっと楽になった」
桂の腹部、丁度子宮の上辺りを優しく、圧し潰してしまわないように慎重に、手のひらで擦る。成人よりもやや高めの体温が桂に伝わる。
その伝わる温かさが、桂の腹部の痛みを緩和した。
「……桂ばっかりズルい……あたしのが酷い状態なのに……」
羨ましいというよりも、この身体の状況をなんとかしたい、そんな切実な声を麻実が上げる。
「ちょっと待ってね、麻実さんの方にも行くから」
「ええー、私はー」
「けどさ、麻実さんのが症状は重そうだし」
「でもさ……」
「シロ早く来てー」
二人で稲穂の取り合いに。
この取り合いは、横たわる二人の間に稲穂を配置することよって解決。
右手で桂を、左で麻実を、それぞれの二人が望む場所を温める。
稲穂は人間カイロとしての仕事に徹した。
約一時間程人間カイロと化していた稲穂であったが、いつまでもずっとこうしているわけにもいかなかった。
二人の栄養を摂らせないといけないし、自身も胃が空腹を告げていた。
「何か食べたいものある?」
寝ている二人に訊く。
が、桂は辛さから解放されたからなのか、返事の代わりに静かな寝息を。
うつ伏せになり、重たくなっている腰を温めてもらっている麻実は弱々しい声で、
「……温かいもの飲みたい」、と。
この言葉に稲穂はしばし思考を。即座に麻実が望む温かい飲み物が浮かばなかったからであった。
「ホットミルクでいい?」
しばし考えた後で浮かんできた飲み物を声に出す。ここに至るまでに稲穂の脳内で、白湯がいいかな、でも味がしないって言って嫌がるかも、だったらコーヒーは、ああそういえばあんまり好きじゃなかったな、砂糖とミルクをたっぷり入れれば大丈夫だけど、だったらホットミルク砂糖入りなんかどうだろう、冷蔵庫の中はほぼ空だったけど確か牛乳はあったはず、という遍歴を経ての言葉であった。
「いや、牛乳はヤバいから」
「あれ? 牛乳駄目だったっけ麻実さん」
「そんなことないけど。今お腹の調子も悪いから、牛乳なんか飲んだら絶対に大変なことになる自信があるから、トイレに立てこもるから」
この麻実の言葉に稲穂は納得した。
「じゃあ、何にする?」
「ホットココアが飲みたい」
これに稲穂は即座に応じることができなかった。
作ればいいだけ、なければ買って来ればいいだけのことなのに何故稲穂が躊躇ったかというと、それは嗜好の問題であった。伊庭美月であった頃から、いやその前の稲葉志郎であった頃からココアという飲み物が苦手であった。甘い、甘ったるい匂いを嗅いだだけで胸やけを、ヘタすれば気持ち悪くなってしまうくらいに。現在身体の制御が上手くいかない状態、力を上手くコントロールできないし、五感が敏感になっている。そんな状態でココアの匂いを嗅いでしまったら、臥せってしまう人間が増えることに、看病できる、介抱できる人間がいなくなってしまう。
そう稲穂は考えてしまう。
そんな稲穂にモゲタンが、
〈そんな心配は必要ない。キミの鋭敏になっている嗅覚はワタシがコントロールしている、現在はかなり抑えた状態で制御している。だから匂いに心配する必要はない〉
「そうか。じゃあ、麻実さんちょっと待ってね。手を離すけど平気?」
「……うん、だいぶ楽になったから。でも、すぐに戻って来てよね」
「了解」
リビングで寝ている二人から稲穂は離れキッチンの探索を。
目指す宝はココア。
探しながら稲穂はモゲタンに話しかける。
「なあ……今回の俺の身体には来るのか?」
現段階では二次性徴前だから当然ない。そして前回の身体はその機能が備わっていなかった。だが今回の身体はどうなのか? あと数日もすれば女性の身体になってしまう。
それをモゲタンに問う。
〈おそらく必要ないだろうから、今回もその機能はない。しかし、キミが強く望むのであれば正常に働かすことも可能だが。どうする?〉
モゲタンの説明を脳内で聞きながら、稲穂はチラリとまだ眠っている桂を見、そして、
「いや、いい」、と。
これは生理で苦しんでいる二人を見て、自分はあんな風に毎月なりたくないという忌避が働いたわけではなく、見た目は女という性であるが、心は男、子を成すための機能は必要ない、この身体に男は絶対に受け入れないという表れの言葉であった。
〈そうか。だが、気が変わったらいつでも言ってくれ。前回の反省を生かし、今回は変更することが可能だからな〉
「必要ないよ。それよりココア無いな。買ってこなくちゃいけないな」
ウエストの余ってしまう桂のジーンズを借り、これまたサイズが大きいシャツを着て、それから断りを入れて財布からお金を出して、稲穂は夜の街へと。
近所にスーパーへ、ココアとその他を買いに。
時間帯が時間帯であり、目立つ容姿と再生したからまだ一度も鋏を入れたことがなく伸ばしっ放しになっている長い髪、身体にあっていない服という姿に、もしかしたらネグレクトではないのかという心配をされ、警察に通報をし、そこから児童相談所に連絡がいくのだが、行政が動きだした頃には稲穂は成長しており空振りに。だが完全に意味のない無駄な行為ではなかった。動いたことが幸いし別の幼子を職員が保護することになるのだが、これは全然関係のない話である。
次話は三月下旬頃の予定。




