仲良し? 3+2人組 3
人間しなくてはいけないことを目の前にすると、それから逃避したくなる。この場合は試験勉強から目を遠ざけたかった。
それは知恵、文、美人も同じだった。
放課後家に真っ直ぐに帰らずに教室に残って発声の練習をする。美人の声は以前よりもよく出るようになった。そして響くようになった。けど、それだけでは駄目。大きな声を出すだけならば誰でも簡単にできる。けどそれは固くて怖い声だった。美月が今まで教わったこと、そして教えようとしているのは柔らかく響く優しい声だった。
「どうや、前よりも声は出てるんちゃうか」
知恵の問いに美月は肯く。それを見て美人の顔が喜びでほころんだ。
「でもさ、練習では声が出るようになったけど、肝心の人前ではまだ小さいよね」
文の言葉は事実だった。四人でいる時は声が出る。最近一緒になるようになった靖子がいると声は少し小さくなる。そして他のクラスメイトの前だともっと小さくなっていった。
「そうやな、こないだの国語の時間もボロボロやったやん」
国語の時間に朗読があった。美人は教師に指名され立つ。その段階ですでに緊張で震えていた。声も小さくて切れ切れだった。お世辞にも上手いとは言えない、酷いできだった。
「……うん」
その時の状況を美人は思い出し、恥ずかしそうに大きな身体を小さくした。
「何か良い方法ないの? 緊張しないおまじないとか」
文が言う。そんな便利なものは無い。それに緊張というのは悪いことばかりではない。程よい緊張がなければ良い演技をするのはまた不可能だ。
美月は考えた。美人のように練習では上手くいっても本番では上がってしまいグダグダになる役者を今まで何人も見てきた。乗り越えるためには手段はある。それは本人が多くの経験を積むこと。多くの恥をかいて学ぶこと、それと人前に慣れることだった。
「練習しかないかな」
アドバイスにもならないような当たり前のことしか言えなかった。
「そっか、やっぱ基本は大事なんやな」
「うん。……ガンバル」
技術は教えることができるが、緊張に打ち勝つには自分で殻を破らなければいけない。それを突破すれば良い演者になれるはず。なんとなくだが、美月はそんな気がしていた。
「こら、お前ら早く帰って試験勉強しろ」
放課後の教室で騒いでいたのを担任に咎められる。教室から追い出だされる。
「はーい」
「ほな帰って嫌な試験勉強でもするか」
各々鞄を持って教室から出ようとする。美月の頭の中に警告音が響いた。
〈近くにいるぞ〉
(ああ)
「どないしたんや。急に怖い顔して」
「……何でもない。ちょっとトイレ。待たせると悪いから先に行ってて」
そう言って駆け出そうとした次の瞬間、頭の中の警告音はまた消えてしまった。
(……またか)
〈ああ、まただ。たしかに感知はした。前回と同じようにすぐに反応は消えた〉
(どういうことだ?)
〈ワタシにはまだ判断できるだけの材料が無い。ただ、誤作動でないことだけはたしかだ〉
(そうか)
一歩足をトイレに向けて踏み出したものの反応が消えてしまったのではもう行く必要も無い。
「どうしたの? 行かないの?」
「止まった」
「なんや、勇み足かいな」
美月の言葉の意味を、事情を知らない知恵は尿意が治まったと勘違いした。
「……でも一応行っといたほうがいいんじゃ」
「いい、帰ろ」
四人で昇降口へと向った。
それから数日の間に何度も頭の中で警告音は鳴った。しかし、いずれもすぐに消えた。
美月の通う中学校は中間試験に突入した。試験勉強の甲斐があったのか、それとも桂の家での指導の賜物か、はたまた二度目の経験からか、思いのほか簡単に問題が解けていく。
残す教科は後一つになった。これさえ終わればしばらくの間は勉強とはオサラバできる。
試験開始から半分を過ぎた頃に頭の中で警告音が鳴り響いた。いつものことだ。すぐに消えると美月は思っていた。モゲタンも度重なる発信の消失で慎重になっていた。急かすような発言をしなかった。
案の定、すぐに警告音は消える。しかし、わずかな時間をおいて再び鳴り出した。
また消える。鳴る。消える。鳴る。断続して続いた。そして音は強く、大きくなっていった。美月の頭の中で響いていた。
〈この反応は、コチラに近付いてくるぞ〉
(また消えるんじゃないのか)
〈ワカラナイ。しかし近くにいるのは事実だ。それは間違いない〉
(やっぱり行かなくちゃいけないのか)
〈お願いしたい。もしかしたら君が杞憂するように無駄に終わるかもしれないが、頼む〉
試験の終了までは残り二十分。それに美月はまだ全ての解答欄を埋めてはいなかった。
〈早くしろ。このままでは回収の千載一遇のチャンスを逃してしまうかもしれない〉
なかなか席を立とうとしない美月にモゲタンが回収の催促をする。
回収をすれば、それだけ早く元の男の姿に戻ることが可能になる。美月はモゲタンの言葉に従うことにした。しかし、すぐには席を立たなかった。空欄を適当に埋めて、それから腹部の強烈な傷みを想像する。左手で腹部を押さえ、弱々しく右手で挙手をする。
「……あの、……先生」
「ああ、行ってきなさい。一人で大丈夫か?」
席を立つ理由を告げる前に監督の先生は美月の事情を察してくれた。重たい足取りで教室から抜け出す。そのままトイレへと向う。トイレ内に入ったところで腹痛の演技を終了する。個室には入らずに窓から校舎外へと飛び出した。
「こっちで間違いないのか?」
〈ああ、大丈夫だ。それに今回は信号がそのまま消失していない。強く発し続けている〉
「分かった。それより変身しないか? セーラー服のまま移動するのは拙いだろう」
試験を抜け出してきている。気をつけて屋根伝いに移動していたが誰かに目撃される可能性もある。人目につくことはなるべく避けたかった。
〈了解した。では変身するぞ〉
モゲタンの言葉と同時に美月の姿は変貌した。
クラッシックバレエのチュチュのようなふわふわとした淡いピンク、桜の色のようなスカート。白いタイツに少しだけ大人びたようなヒール。可愛らしいパフスリーブに大きく空いた胸元。そして長い金色の髪。
魔法の使えない魔法少女。言うなれば、魔法少女もどきに。
〈反応が強い。警戒しろ。この近くにいるぞ〉
マンションの屋上に美月が着地するとモゲタンの声が飛ぶ。視界にはデータが融合したような物体は存在しなかった。
「いないぞ、どこにいる」
下から住民の騒ぐ声が聞こえた。そこに視線を移すがいない。人々はみな空を指差し、何か話していた。
「上か?」
美月は空を見上げた。青空とわずかばかりの雲。それから上空を漂う謎の物体。三枚の皿を三角形に連ねたような形をしていた。
「今度のはUFOかよ」
〈その言葉は正しくない。あれは未確認の飛行物体ではない。ワタシはあれの正体をキチンと認識している。言うなれば、あれは確認飛行物体だ〉
美月の間違いをモゲタンが正しく訂正する。確認されれば、それは未確認ではなくなる。
突如美月の身体は腹部に大きな衝撃を感じた。そのまま屋上に設置されている貯水タンクに叩きつけられた。一瞬の出来事になにが起きたのか分からなかった。
目の前にはいつの間にか確認飛行物体がいた。腹部に受けた衝撃の正体は相手からの攻撃。かなりの距離があったはずなのにいつの間に移動したのか。美月もモゲタンも気付かないほどの速さであった。
不意打ちを喰らったが戦闘不能になったわけではない。美月は反撃に出た。それを撃退するかのように確認飛行物体の底部から何本もの触手のようなものが生える、美月に向って伸びた。突進をしながら避ける。その内の何本かが身体をかすめていくが大きなダメージは負わない。接近する。力を込めて前蹴りを放った。
美月の右脚は空気を切り裂いただけだった。そこには何も無かった。
ついさっきまでそこにいたはずの物体は、その姿をどこかへと消していた。
無防備な背中に痛みを感じた。今さっきまで目の前にいた存在が背後に廻りこみ触手を放っていた。背中に何本もの触手が突き刺さった。
〈空間転移。このデータの持っている能力だ〉
解説をされなくても、それくらいの理解はできる。けど、肝心の対処法が分からない。
コチラから攻撃をしかけても瞬間移動で避けられてしまう。そして反撃に喰らってしまう。
嬲られるように攻撃された。動けないままだった。美月は両手を交差させ前で構えた。その後ろの顔を隠すようにする。そして腰を少し落とした。前身を守るので手一杯だった。
〈背後はワタシが守ろう。前回の戦闘で手に入れたデータの能力を活用しよう〉
守るものが何も無く、むき出しだった背中を数枚の円盤状の盾が覆った。
けれど、今美月にできることは耐えることだけだった。
〈このままでどうしようもない。一度退散して対策を立ててから出直すか?〉
モゲタンの提案に美月は応じなかった。この場から逃げることは可能なのかもしれない。しかし、人の多い場所に放置しておけばまた多くの犠牲者を出すかもしれない。だから、この場で、そして人が上ってこないうちに事態を対処しなければいけない。
耐えながらも美月の頭の中は冷静だった。芝居を始めた頃に言われたことを思い出す。常に客観的に自分の芝居を冷静に観られる、もう一人の自分を作れ。それを今実行していた。身体は相手の攻撃にさらされ防御に精一杯ではあったが、心は冷静に観察をしていた。
強い衝撃が何度も身体を襲う。崩れ落ちそうになるが耐えた。何本かの触手が防御の網を掻い潜り美月の薄い腹部を貫いた。
〈このままでは君の身体がもたないぞ〉
「……大丈夫だ。アイツを捉えられる」
宣言をすると構えていた両手を解き美月は確認飛行物体に突進した。空間移動で避けられる。これは計算の範囲だった。そのまま止まらずに屋上入り口の壁に背中をつける。周囲を見渡す。
頭上の空間が歪んだ。そこに向けて美月は全力で跳び上がり渾身の後ろ回し蹴りを放った。
ある種の法則性を発見していた。消える瞬間には空間が歪む。それならば出現する時も同じと考えた。
正解だった。
歪んだ空間から出現した確認飛行物体は美月の一撃で破壊された。
「おお、戻ってきた。大丈夫やった美月ちゃん?」
「ビックリしましたわ、本当に」
教室内ではいつもの四人が待っていた。出る時は演技の腹痛であったが帰るときは本当の腹痛になっていた。
「美月ちゃん血が出てる。持ってる? 無いなら貸すよ」
「……えっ?」
美月は自分の身体を見た。スカートの下から一筋の血が流れていた。引っかかれた傷の修復がまだ追いついていない。切れた箇所から出血をしているのだろう。
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃありません」
本人の意見を無視して心配の声が上がる。
「もしかして美月ちゃん、まだだったの?」
「……まだ?」
言っていることが理解できない。
「ああ、美月ちゃんの身体ちっこいからな。もしかしたらまだやったかもしれんな」
ようやく理解した。全員美月の身体に初潮が訪れたと勘違いしているのだ。腹部を押さえて下半身から血が出ている。誤解されてもしかたがない状況。
(聞いていなかったけど、この身体は成長するのか? 生理になったりするのか?)
〈成長はする。君の身体はまだ成長段階だから、これからも大きくなるだろう。それと生理だが、これは君の身体には訪れない。本来ならば生殖器官の子宮がある場所には他のものが存在している。ただし、その他の器官は通常の人類と変わらないから、君が望むのであればセックスは可能だ。快楽を得ることもできる。しかし、妊娠は不可能だ〉
(しないよ、そんなこと)
生理ではない、その誤解は解けないままであった。
そして、その日の晩御飯は知恵から内密の報告をうけた桂がこっそりと仕事帰りに買ってきた赤飯だった。
それから生理用品のレクチャーをみっちりと受けた。
そんなもの必要なんかないのに。