指輪物語 宝の塔編
コメ兵に到着するまでに目的はすでに達せられた。
美人の右の小指には、先程稲穂が買ってくれ、そして嵌めてくれた可愛いデザインのピンキーリングが。
これは大須の商店街のお店で買い求めたものであった。
栄からの移動で、再び一行は大須の商店街へと足を踏み入れた。大須という場所はごった煮という表現がピッタリであった。電気街もあれば、オタク関連の店もあり、食でも多国籍の様相を見せ、裏路地に行けばサブカルの店もあり、水タバコが吸えたり、そしてもちろんファッションや雑貨関連の店も多く存在していた。
その中の一つ、ティーンエージャー向けの、比較的安価な商品が並ぶ店で購入を。
稲穂としては、せっかく贈るのだから、もう少し高価な店でも別に構わなかったのだが、美人がここでいい、と。
というのも、美人は若さゆえの無遠慮ではなく、配慮というものを一応心得ていたからからであった。誰に教わったのか全く憶えていないのだが、昔初めて師匠の紙芝居を観、その後昼食をご馳走になった時に、驕りだからといって無暗に高価な品を頼むのは品がない、相手にも良くない印象を与えてしまう、同じものを頼むのがベターである、営業の基本であると、その誰かに教わったような記憶が微かにあった。
目先の欲に囚われてしまうと、そのことがきっかけで関係性が悪くなってしまう。それまでは良好であったのだが、たった一つの愚行によってその関係性が破綻してしまうこともあり得る。
それから、芝居の世界は個人ではなく共同で作り上げていくもの、実力はあっても損得でばかり、身勝手に動いていたら仕事がない業界、人との繋がりでチャンスが訪れる、実際にそれで舞台に立つこともできた、と師匠にその後指導され、その話を美人は父にし、父もまた料理の世界もまた同じと教えてくれ、東京での職場がなくなり、名古屋で仕事を得ることができたのは、そういう繋がりの結果であり、大事しないといけないと美人に諭した。
以降、年長者との付き合いが多く、それを実践していたら受けもよく、現に今こうして年上の人達に可愛がってもらっている。
処世術であると揶揄するような人にも美人は出会ったが、特に気にはしかなかった。
そういう行いが、この繋がりをもたらしてくれている。この良縁といってもいいような関係をこの先もずっと継続していきたかった。今はまだ甘えているだけの身だが、いつか何かしらの形で、この人達、それから師匠に、何らかの形で恩返しをしたい、漠然ではあるがそんなことを美人は考えていた。
そして、まだ高校生という身で高価な商品を身に着けるというのは非常に怖かった。万が一の紛失ということもあるし、学校に着けていった際には目を付けられて取られてしまうかもしれないし、外した途端に盗られてしまうかもしれない。
だから、高価な品は。
だがそれ以上に、憧れの人である稲穂から貰えるものならば、それが何であっても嬉しいし、絶対に勇気をくれるはず、そんな想いのようなものが美人にはあった。
そして、買ってもらったピンキーリングは稲穂と一緒に選んだもの。これ以上望むのは罰当たりというもの。
自分の身の丈に合っている。これで大満足であった。
目的は達したが、一行はコメ兵ビルへと足を踏みいれた。
一階から攻略を開始。
といっても、何かを買うというわけではなく見るだけであったのだが。
欲しい商品がなかったわけではない、買うための財源が不足していたわけでもない。
なのに何も買わないのは、高校生である美人、学生である麻実はともかくとして、収入のある四人が購入に至らなかったのは、欲望の赴くままに衝動買いをするような人間ではなかったからである。稲穂は長年の貧乏生活、桂は時には無駄遣いをし余計なものを買ってしまうこともあるが世間的な観念でいえば節約家の部類に属し、文尚は買い物は慎重にかつ情報をしっかり収集して吟味し購入するタイプで、文尚の嫁は稲穂同様に劇団での経験で無駄な出資は控える生き方が身に付いてしまっていった。
だが、買わないまでも見ているだけでも十分楽しかった。
ブランドバッグを見、欲しいという気持ちは多少あるが、普段使いには向かないよね、それよりも姿勢のことを考えると背負いの鞄のほうが良い、だからまだ若い美人に肩掛けのバッグよりもリュックのほうが良いから、とか話し。
アクセサリー類でキャーキャー言いながら、桂が稲穂に可愛いネックレスを着けるように勧めるが、稲穂はそれ自体が可愛いことは認めるけど、自身がその類のものをあまり身に着けたくない理由を説明。その言葉に一応桂は納得しつつも、やはり稲穂の可愛い姿を見てみたいという欲望を素直に出し、そこに店員さんの熱心な言葉が加わり、根負けした稲穂が渋々つけるけど、結局は何も買わなかったりとか。
時計のコーナーでは、先程とは一転し稲穂の目が少し輝き、そこに文尚も一緒になって盛り上がる。
だが、一行が一番盛り上がったのは楽器コーナーであった。
といっても、楽器が弾けるものはこの一向には存在していない。
にもかかわらず、盛り上がったのは、そこで一つの楽器を発見したからであった。
それは中古のエレクトリック・アップライト・ベース。
これを見て文尚が一言、「いかりや長介を思い出すよな」、と。
いかりや長介、ザ・ドリフターズのリーダー。多くの人がコメディアン及び役者と認識しているが、元々はミュージシャン、ベーシスト。それを再発見したのは、いかりやの晩年に流されたビールのCM。そこで華麗にエレクトリック・アップライト・ベースを弾いていた。そのことを思い出し文尚は言葉を。
「そういえば、ありましたね」と、稲穂が追随を。稲葉志郎であった頃、高校生の時にそのCMを観た記憶があった。
「あったあった」と残りの四人の内、美人を除く三人も同意を。
美人はこの世に生は受けていたが、まだ幼すぎてそのCMの記憶がまったくなかった。
CMの話をきっかけにし、その後、湾岸の刑事ドラマの話になり、ドリフターズの話へと移行し大いに盛り上がる。
盛り上がりすぎて、全然知識のない美人を置いてきぼりに。一人蚊帳の外状態に。
五人だけで話を、主に成瀬家の面々。
途中、麻実が美人が話に入ってこれないことに気がつき、四人の進言を。その指摘に成瀬家一同は自分達の愚行を大いに反省し、素直に美人の謝罪を。
美人も「聞いているだけでも面白かったです」というまるで大人のような対応をみせ、一行は楽器売り場から離れた。
その後、しばし内部をうろつき、結局誰一人として物品を購入することなくコメ兵を出、家路と帰る麻実を皆が地下鉄の駅まで見送り、いい時間となっているので夕食を摂って帰ろうという算段に。
向かったのは台湾料理の店。
以前一度、そこで食事するという話があったのだが、その時は女性陣の猛烈な反対にあい却下になったのだが、今回は、桃園の誓い、というわけではないが、皆一様にニンニク臭くなることと、帰りに公共交通機関をしようしないこと、そして当時は中学生で辛さの耐性がまだ幼かった美人が幾分ではあるが成長したことにより、問題なく堪能できるから、という理由でここに決定した。
決定したが、入る前に美人から一つだけ注文、というかお願い、いや懇願をされた。
それは、
「絶対にイタリアンは食べませんから」
イタリアンというのは、この店の名物である台湾ラーメンのこと。辛さのグレードがあり、ノーマル、抑えめの辛さのアメリカン、激辛のイタリアン、そして最上級のアフリカン。
以前、七つ寺のスタジオに紙芝居の師匠と一緒に観劇に来た美人は、その後この店でご馳走になり、ちょっとした悪戯を仕掛けられた。それが台湾ラーメンのイタリアンを食べるというもの。これは美人がイタリアのクォーターだからだった。
真っ赤なスープで、見た目だけもう辛い、そして口に入れた瞬間痛かった。
その辛いけど、苦い思い出が。
ちなみに補足しておくと、残った台湾ラーメンイタリアンは、師匠が無理やり美人に食べさせるというような悪逆非道な行いをせず、涙目になりながらも自身で完食を。
美人の願いは叶えられ、テーブルの上には台湾ラーメンアメリカンと、定番の餃子に炒めのものに揚げ物料理、そしてソフトドリンクと成人組が呑む中ジョッキのタワーが。
台湾料理を堪能した一行は、まだ高校生である美人を遅くまで引き回すのは良しとせず、朝車を停めた駐車場へと足を進めた。




