ルナへ
ロケットを噴射し続け、美月の身体はやがて第一宇宙速度にまで加速し空になったタンクを切り離し、衛星軌道上、つまり宇宙の入口へと到達。
そこからまだ加速を続け、第二宇宙速度へと。
地球の重力を振り切り、月への航路へとついた。
地球と月の間は、おおよそ30万キロメートル。地球七周半。途方もない距離である。光の速さでも一秒半以上かかり、かつて人類を月へと送り込んだアポロロケットに至っては到着までには三日という時間を要した。
四十年以上前の科学力に比べ、現在の美月の力は桁違いである。だが、それでもすぐに、あっという間に月へと到達できるわけではない。
長い道のりに。
見えているのになかなか辿り着けない月を眺めながら美月はポツリと、
「こんだけ距離があればファミコン並みの性能でも全然問題ないよな」
と、小さく呟く。
これはアポロ宇宙船に搭載されたコンピューターのCPUが、ファミコン二台分くらいの性能しかなく、そんなものでよく行けたものだという話で、美月もその話を聞いたとき、同じような感想をいだいたが、こうして実際に宇宙に出て、月までの航路の中で、これだけ離れていたら今のような高性能のコンピューターじゃなくとも平気かもしれない、と思ったことを言葉にしたもの。
〈月までの飛行にはその程度の性能でも支障はあまりなかったらしいが、月への着陸時にはトラブルが生じたらしい〉
「へー、そうなのか」
美月はモゲタンの補足情報を聞きながら、自分には今こうやって無駄話をして暇をつぶす相手、相棒が存在しているが、他の月を目指しているデーモンはどんな心境でいるのであろうか? 暇とか退屈など感じずに目的を果たすためだけに、本能みたいなものに衝き動かされて邁進しているのか、それとも人であった頃のように寂しさを覚えながら何もない宇宙空間を飛行しているのだろうか、そんなことを考えてしまう。
そんな美月の小さな身体は、静止軌道上へと差し掛かろうとしていた。
静止軌道を越えた美月の脳内にデーモン接近を知らせる音が響く。
美月は他の月を目指すデーモン達から約一日遅れで出発した。先行を許すことになるのだが、これは致命的な遅れでなかった。
というのも、美月の背中には核融合を動力としたロケットがあった。強力な推進力で、先行するデーモン達よりも早く月に辿り着けるはずとモゲタンが計算していた。
しかし、その計算よりも早く追いつくことに。
予想よりも早い接近の理由を、すぐに美月は知った。
件のデーモンは、月への進路ではなく反転して美月を目指し飛行中。
これは月に行くことを諦めたのか、それとも先を行く他のデーモン達に追いつけないと悟り、ならば強い力を得ること、つまり美月を内に取り込もうと作戦変更をしたのか、いくつかの予想はできるが、その理由は分からず、だがさりとて美月との距離を確実に詰めているのは事実であった。
この思わぬ行動に美月は戸惑い、考え、そして迷った。
未来を守るためにこうして宇宙にまでやってきた。邪魔をする存在があればそれを除去し、そして月の内部にある卵子のようなものを破壊するつもりである。
だが、いざ目の前に、といってもまだ目視で捉えられないが、自分の進行を阻害する、または阻止するための術を奪おうとするデーモンが現れ、その予想外の出来事に、地球を出る時にはどんな相手でも邪魔するものは倒すと決意していたのだが、美月のその決心が揺らいでしまう。
対峙して、接近時に退治してしまうべきなのか、それとも交戦せずにやり過ごし、推進力を上げ、速度を増し、振り切ってしまおうか。
美月は迷い、判断がなかなかつかない。
その間にも相手との距離が縮まる。
〈来るぞ〉
逡巡中の美月の脳内にモゲタンの鋭い声が。
まだ決めきれていない思考を中断し、美月は進行方向を、つまり月の方角を見据えた。
ヘルメットのバイザーに内蔵してある望遠機能を使い、ようやくデーモンらしき物体を捉える。
まだ、距離はあるじゃないか、そうモゲタンに言おうとした瞬間、美月の視界に四散するデーモンの残光が映った。
驚いている美月めがけて、光線、光の矢が襲い掛かる。
瞬時に前方に円盤状の盾を幾層に重ね展開し、これを防ぐ。
何枚かの盾は壊されたが、美月の身体にはダメージはなし。攻撃を受けた衝撃によって速度がやや落ちる。
落ちた速度を戻す、再加速しようとした矢先に、文字通り、二の矢、三の矢が美月に襲い掛かった。
これも防ぐ。
防ぐこと事体は問題ではない、だが別の問題が美月の中で生じていた。
一射目を受けた時、まさかという予感が美月にあった。二射目、三射目を防ぎ、その予感は確信に変わった。
美月はこの光の矢を知っている。威力、射程距離共に、かつて京都で目の当りにしたのとは比べものにならない程強力だが、紛れもなくあの光の矢であった。
射線の向こうにいるのは、美月を狙い攻撃を仕掛けてきたのはズィアであった。
モゲタンも美月に同意を。
ネット上での知り合いでさえ、いざ敵対するという段になって、迷いが生じた、決断が鈍った。
それなのに、この先にはよく知った、かつて共闘した人物が待ち構えている。
「……よりによってなんでズィアさんなんだ」
恨み言のような、独り言を美月は吐き出す。
ズィアの居るヨーロッパには数多のデーモンが存在していた。その中で数体が勝ち残り、地球を離れ、月を目指していた。
〈彼は強い力の持ち主だ、勝ち残っていても別段不思議ではない〉
「それはそうかもしれないけどさ、フィクションでもないのにこんな展開、誰も望んでいないって」
美月はヘルメットの中でまたも恨み言を。
モゲタンが言うように、ズィアは強かった。だが、それだけの理由で今宇宙にいるわけではない。彼は、美月の応援のために東京に、日本に向かう準備をしていた。そしていざ飛行機に搭乗しようというまさにその時、世界中でデータが大量発生。飛行場付近に多くデータが一斉に姿を現した。近辺では対応できるデーモンは他にはいなかった、ズィアは飛行機に乗ることを諦め、破壊及び回収に向かう。その後は、他のデーモン同様に本来の目的に目覚める。ズィアは一人でデータと戦っていた。だからこそ、力を得るために多数のデーモンが集まって戦闘を繰り広げている場所へと移動。これこそが彼が残った最大な理由であった。もし目覚めた瞬間、周囲に他のデーモンが存在していたら、彼は他のデーモンによって倒され、力を奪われていたであろう。これは彼が弱いわけではない、だが近接の戦闘には向かない能力、長距離の攻撃に特化とまではいかなくとも、得意としていた。それゆえに、遅れて駆け付け、反応を感じたら長距離射撃によって破壊。こうして、彼は力を奪い、宇宙に、月を目指していた。
美月にとって、非常に不都合な事態になってしまった。
〈どうする?〉
「……って、言われてもな……」
先程揺らいだ決意は、ズィアを前にし、といっても遥か彼方、数万キロも離れているのだが、より一層弱くなっていく。
「なあ、もしかしたら俺と会うことで、話すことで正気に戻って共闘してくれる……なんていう都合の良いことは、ご都合主義的な展開にはならないよな」
〈前にワタシの仮説を話したと思うが、多くのデータを回収して、その力を得た者が再び理性を取り戻す可能性は低いであろう。キミが望むような展開はまず起きないと言っても間違いないだろう〉
「……そうか……なら、加速して振り切って、先に月の中に侵入して破壊するか」
〈それはあまり良い案ではない〉
「そうなのか?」
〈先延ばししたところで、ワタシ達の目的地と彼らの目的地は同じ。追いつかれ、他のデーモンと合流して、多数を相手に同時に戦うことになる。各個撃破するのが望ましい〉
「……それはそうかもしれないが」
〈キミが躊躇っているであれば、ポップの時のように私が彼を攻撃しよう。そうすれば君は決断する必要はない、迷うこともない、そして罪の意識に苛まれることもない〉
この申し出に美月はすぐに答えることができなかった。
〈接近までにはまだ時間はある。ゆっくり考えていいぞ〉
「……いや、いい……俺がする」
葛藤の中で出た決意を口に。
鈍ってしまったが、一度は決断したこと。かつて共闘し、同じ目的のために行動してきたデーモンを倒す。その為の罪を背負う覚悟はしたつもりだし、なによりもこの先存在することで地球に危機が継続されるかもしれない。桂をはじめとして、親しかった人達の、まだ見ぬ次世代の未来のために今こうして宇宙を飛行し、月を目指している。
だったら、少人数のことよりも多くの人の幸せを守らなくては。
美月の中で、再び覚悟を決めた。
ズィアが打ち抜いたデーモンの力を回収し、美月は月へと。
その美月にズィアは執拗に、それが義務かのように、光の矢を美月めがけて放ち続ける。
全ての攻撃を美月は防いだ。
かつての美月であれば、攻撃力のある連射を喰らえば、防ぐことはできてもすぐにエネルギー、カロリーが枯渇し、攻撃を防ぎ手立てがなくなり、破れ、そして力を奪われてしまっていたであろう。
だが、今の美月にはその心配は無用。無尽蔵ともいえるような力を身に宿した。
美月の展開する円盤状の盾を打ち抜けない。ズィアの射撃の威力が弱いわけではない、現に数万キロという長距離にもかかわらず精確に狙いを定め美月の前を先行していたデーモンを一撃で屠りさった。これは強力な光の矢であった証左。それなのに貫くことが不可能。これによってズィアの勝ち筋は消えたも同然であった。
にもかかわらず、ズィアは逃げることなく依然美月めがけて射続けた。
防ぎながら徐々に、実際には猛スピードなのだが宇宙空間ゆえにゆっくりに感じる、詰めていく。
「……ごめん、ズィアさん」
美月はそう言いながら、背中のロットの噴射量を上げ、速度を増しズィアへと小さな身体ごと突っ込んだ。
ズィアを倒し、その後も月を目指すデーモン達を駆逐し、最後の一体を月周回軌道付近で捉え、減速することなく、さらに推進し加速して、捕まえ、そのまま静かな海と呼ばれるクレーターへと自分の身体ごと叩きつける。
かくして、美月は月へと上陸した。




