すれ違いの二人
「……いっちゃ、ヤダ」
モゲタンとの脳内での話し合いを終え、今後の方針を決定した美月は、それを伝えるべく桂を見て、真剣な表情になり、いざ言葉にしようとした矢先、先に桂の口が動いた。
桂の言葉を聞いた瞬間、アクセントがややおかしかったこともあり、どちらの意味で発言したのか美月は戸惑った。
これは単純に、先程までの麻実との電話の流れで、美月が月に行くことを予想し、そしてそれを行かせたくないという桂の懇願の言葉なのか。それともこの少女の姿になって、一緒に暮らすようになってから、稲葉志郎であった頃よりも、以心伝心、声に出さなくとも通じ合う、とまでは流石にいかないけど、それでも互いの考えがなんとなく理解できるような関係にまで深まっているから、美月の考えを桂が読み取り、そして決断の言葉を発するのを前もって阻止するためなのか。どちらとも判然としないが、それでもどちらの言葉であっても結局のところは同じ意味合い、月には行かせたくない、と判断し、何故桂はそういう考えに、そして言葉にしたのか、それを美月は問おうとし、口を開きかけたところでまた桂の言葉が。
「稲葉くん、月に行くつもり、止めに行くつもりなんでしょ」
決断した意思はまだ言葉にして伝えていないが、やはり桂には分かっていたようだった。
「ああ」
「行っちゃ、駄目」
不安そうな、今にも泣きだしそうな瞳で美月を見つめながら、悲痛な声を。
諸手を挙げて賛同とまではいかなくとも、それでも時分の決断に同意してくれ、そして快くとまではいかなくともそれでも送り出してくれるものだと美月は思っていた。
それがまさか、行くな、と真っ向から否定するとは。
「どうして?」
桂も麻実の電話を聞いていた。この後、どうなるのかも分かっているはず。麻実の説明では、その規模がどれほどのものか予想できないが、それでも今住んでいる地球という惑星に大きな影響が出る、最悪の場合消滅してしまうような可能性もある。それなのに、桂は美月がそれを阻止するための行動にでることを拒む。行くなと言う。その理由が分からずに美月は訊く。
「……もうこれ以上、稲葉くんが傷付くのは嫌、見たくないの」
美月の身を案じての言葉だった。
「いや、傷付くとは、怪我するとは限らないから。上手く対処できて無傷で事態を解決できるかもしれないし」
美月は言いながら、そうは上手く事は運ばないだろうと思いつつも、桂を安心させるための言葉を。
「けど……同じデーモン同士で戦うことになるんだよね」
「まあ、そうなるな。先に月に行って、卵子みたいなものを破壊できれば回避できるかもしれないけど」
この美月の発言の後に、脳内でモゲタンが、
〈現在のキミの力では月に先回りすることは不可能だ。すでに地球を離れているはずだ〉
麻実からの情報、それからニュース映像から、もうすでにある程度のデーモンが地球を離れ、月を目指し、宇宙空間を飛行中とモゲタンは予測。
(そうか、難しいか)
できれば、かつて同じ目的のために行動した仲間を攻撃したくない。
だが、しなければ今目の前で不安そうな顔をしている桂の未来、大勢の人の人生が終わるかもしれない。
そうならないための行動をする。もう一度決意を固める。
もうすでに二人のデーモンをこの手にかけた。この後、何人倒すのも同じである。
他人の力を、命を奪うことは罪であるという自覚はある。けれど、その罪を自分が背負うことで大勢の人が救われるのであれば。
もちろん絶対に勝てる、人類の未来を必ず守ることができるとは言い切れない。だが、この事態に対処できる存在は美月とモゲタンだけ。座して、行動せずに推移を見守り、後で後悔するようなハメを、悔やんでも悔やみきれないようなことはしたくない。
美月は自身の覚悟をより一層固める。
そんな美月の顔を見て桂は、
「怖い顔してた。本当は稲葉くんも嫌なんでしょ。稲葉くん一人が全てすることなんかないよ、他にも誰かする人がいるかもしれないし」
桂の言葉を聞き、美月は脳内でモゲタンに質問を。
(俺以外にもバグみたいな存在のデーモンはいると思うか?)
〈極めて低い、限りなくゼロに近いだろう。麻実でさえ、ああなったのだ〉
(……だよな)
脳内で会話を切り上げ、
「いないはず。……だから、俺が行かないと地球が破壊、人類が滅亡してしまうかもしれない」
現状の情報だけではどうなるのか予測できない。だから最悪を想定し、それに対処するための行動を。できることは全てする。
「でも、月が卵子なんでしょ。凄く大きなものになるはず」
「多分そうだろうな」
「だったら、それが誕生するまでには長い年月がきっとかかるはず。稲葉くんが今すぐ行く必要なんかないよ」
この桂の言葉は美月とモゲタンにとって慧眼であった。
人間の誕生にだって十月十日かかる。人よりも大きな生物はそれ以上に日数、年月、妊娠期間という時間が必要。ならば宇宙レベルの巨大な生命体なら、桂が言うように長い年月を経て、月という殻を壊して、誕生するというのが妥当であろう。
しかしながら美月とモゲタン、二人はすっかりとそのことを失念していた。受精、受胎、そしてすぐに誕生、それによって地球が壊滅的にという予想図を頭の中に描いていた。
「どれくらいかかると思う?」
脳内ではなく口頭で美月は質問を。
〈正直に言って予測不能だ。どれ程の大きさのものが誕生するか分からないからな。だが、桂の指摘は正しい。たしかに即座に地球の危機という可能性は低いかもしれない。月という衛星が誕生した当時から潜んでいた存在だ。長い年月、少なく見積もっても一年二年でということはあるまい。十年、百年単位でもまだ人類は大丈夫なのかもしれない〉
モゲタンの言葉を美月は桂にも伝える。
それ聞き桂は、
「だったらなおさら稲葉くんは行く必要ない」
意見を変えない。
桂の言葉を美月は理解できた。けれど、
「……けど、いつ産まれるか分からないけど、このことを知っているのは俺達だけ。そしてこれを今防げるのは俺だけのはずだから」
「でも、稲葉くんが傷付くことなんかないよ。後のことは、後の人に任せようよ……それにもしかしたら無事で終わるかもしれないし」
最後は楽観論で桂は結んだ。
たしかに杞憂で終わる可能性もある。拍子抜けの結果、地球には何の影響も及ばすに別の宇宙へと旅立つかもしれない。けど、それは限りなく低い予想。大きな被害、滅亡という可能性のほうが非常に高い。
そうならないために未然に防ぐ。美月が行動し、そして阻止すれば将来の憂いが消えてなくなる。
「……行かないと」
もう一度決意を言葉に。
「心配しながら待つのは嫌なの」
「桂?」
「心配しながらずっと待っているのは不安なの、もう嫌なの。さっきも私に余計な心配をかけないようにしたんでしょ、麻実ちゃんが言わなかったら稲葉くんがそんな危険な状態になっていたなんて知らなかった。稲葉くんは私が心配しないように優しい嘘をついてくれるけど、もうこれ以上耐えられない。もしかしたらまた稲葉くんが帰ってこないかもと思うと、考えると怖くなってくるの。だから、行くなんて言わないで。これからもずっとここで二人で一緒に暮らしていこうよ」
桂は想いを爆発させ、一気に心情を吐露する。
これは桂が利己的ゆえに出た言葉ではない。彼女にしても、麻実の話を聞きながら想像し、恐怖した。だが、それ以上に愛する人が傷付くこと、もしかしたら自分のもとに二度と帰ってこないかもしれないことのほうがもっと怖い。今回はなんとか帰って来てくれた、でも次もまた無事戻って来てくれる保証はどこにもない。
この言葉を聞きながら美月は、こんなにも心配をかけていたんだと、それからもし立場が反対ならば自分も同じかもしれないとは思いつつも、
「でも、行かないと。未来の地球のために」
決心を変更しない。
「未来って。私達には関係ないことじゃない」
「関係ないって」
「だって、稲葉くんは元の姿、もう男には戻れないんでしょ」
〈キミにはスマナイが現状のワタシの力では無理だ。そして予定していた方法も、麻実から知らされた情報で不可能になった〉
当初の予定では、全てのデータを回収し、月の裏側に不時着している宇宙船にモゲタンを戻し、そこで元の男の姿に戻る手筈になっていた。だが、そんな宇宙船は存在しない。戻るための術はないにも等しい。
「……戻れないって……けどさ、それでも未来はあるんだから」
「ないよ……だって稲葉くんの子供を産めないんだよ」
漠然とした未来であったが、いつの日か、好きな、愛する人の子供を産みたいという願望が桂の中にあった。その相手はもちろん、美月、稲葉志郎。けど、その望みは潰えてしまう、儚い夢になってしまった。そう思うと、この先の未来に希望なんか持てない、自分が死んでしまった後はもうどうなってもいいような、自暴自棄のような感情が桂の中でどっと溢れ出てしまい、出た言葉であった。
「……」
美月は何も答えられなかった。
「百年も二百年も先のことなんか、子供を残せない私達には全然かかわりのないことだから」
桂の言葉は続いた。
「……そんなことない」
「そうだよ」
「確かに俺と桂の間には子供はできないかもしれない。けど、俺は無理だけど、お前は別の人と作ることは可能だろ」
美月の身体は子供産む能力は付与されていない。性行為は可能であるが、遺伝子を後世に繋げることはできない、その機能はモゲタンによって構築されていない。
本音を言えば嫌だが、桂が子供を、子孫を望むのであれば、自分と別れて、別の相手と幸せな家庭をもつことを勧める、身を引く所存であった。
「嫌」
「それにさ、俺達の間には子供はできなくても、ほんのちょっと先に桂の甥か姪ができるかもしれないだろ」
「……それは……」
桂の兄、成瀬文尚は最近結婚前提のお付き合いが始まり、上手くいけば来年あたりには入籍を。そうしたら、もしかしたら近い将来に桂の甥か姪ができる可能性が。
「他にもさ、まだまだ先のことだけど、麻実さんや知恵ちゃん、文ちゃんに靖子ちゃん、それから美人ちゃん、彼女達だっていつか良い人に巡り合って、結ばれて子供ができるかもしれない。その子達の未来……百年先だったら孫……曾孫かな、が無事に、安心して暮らせるようにしないと」
「それはそうかもしれないけど。……でも、それくらい未来だったら対処できるくらいの科学力があるかもしれない」
ここで無理して対処する必要はない、後のことは後の人に任せてしまおう。少々無責任かもしれないけど、これが桂の意見であった。
(どう思う?)
〈難しいな。月の内部の異常を観測できる科学力を得ることはできるだろうが、百年先ではまだワタシの力にも及ばないだろう。これは自慢ではないが、ワタシの力は今の人類の力を遥かに凌駕している。そして相手はワタシというバグを生み出した存在。対処できる、無事事態を解決できる可能性は極めて低い〉
声には出さずに脳内でモゲタンに質問、返ってきた答えは未来に希望の持てないものであった。
この答えを美月は桂に伝えるつもりはなく、代わりに、
「行く。ほら、漢方でもあるだろ病を未然に防ぐという考えが。それと一緒で、こういうのは前もって対処しておくのが一番リスクが低いんだよ」
テレビかなにかで観たことを引き合いに出し、そして自らの意思は変わらないことを柔らかく宣言。
「……行って欲しくない」
だが、桂もまた自分の意見を変えない。
「行く」
「行っちゃ嫌」
異なる意見の応酬がしばし。
このままではやがてぶつかってしまう、二人ともにそう思いながらも、互いに意見を曲げることができずに、泥縄な、不毛な事態に発展しそうな矢先、美月のお腹が大きく鳴った。




