プロローグ 2
星の降る夜、最終外回りの山手線で異変が起きた。
何かがぶつかった衝撃が車内をおそい激しく揺れた。揺れはすぐには治まらず、走行中だった電車は脱線した。
ここまでならば大きな事故ではあるが、只の脱線事故で終わっていた。
しかし事態はそこから異常な方向へと発展していく。
脱線した電車が動き出す。
その動きは電車のそれではなかった。
軌道の上を走行する電車が線路から外れ走行する。いや、それは走行ではなかった。這いずり回るという表現のほうが当てはまっていた。
あたかも鋼鉄でできた蛇の様相。
この蛇は周囲のものを貪欲に吞み込んでいく。
かつてはその上を走っていた線路を、コンクリートの壁を、さらには沿うように走行していた別路線の電車を。
大きな車体がどんどんと肥大していく、巨大な形、異様な姿に。それにつれて様相も、動きも変化していく。
まるで鎌首を持ち上げるかのように、かつて電車であった部分を宙にもたげる。
それは一つではなかった。
もたげた首の数は全部で八本。
まるで八岐大蛇のよう。
現代の顕現した八岐大蛇は路線の上だけで収まらない。かつて高架であった場所から降り、その巨体を中央通りへ。
広い道路のはずなのに狭く見えた。それだけ巨体であった。
八岐大蛇は両サイドのビル群をなぎ倒しながら北上していく。
これまで常に動き続けていた、まるで貪欲な食欲を満たすために周囲のものを食べ続けて巨大化の一途をたどっていた八岐大蛇に変化が。
そこはかつて山手線の車両だった場所。
小さく、それでいて明るく発光した瞬間、内側から爆発した。
爆発した場所に小さな穴が開いた。その穴は巨大な八岐大蛇からすれば本当に取るに足らないようなわずかな傷だった。
が、動きが止まった。
動きの止まった八岐大蛇から、というよりも穴から何かが飛び出した。
それは人の形をしていた。
しかし、只の人の形ではない。ある種異様な、いや土地柄を考えればある意味似つかわしいと言っていいのかもしれない。
魔法少女のような出で立ち。というよりも、そのものだった。
数年前に放送されたにもかかわらず未だに根強い人気をほこり、この夏に新作の制作が発表され、秋葉原の街に大きな宣伝用のポスターが張られていたアニメの魔法少女。
だが、それは二次元の存在。けして三次元ではない。それなのに突如現れた。
クラッシックバレエのチュチュのような幾層にも重なったふわふわとした淡いピンク、桜の色のようなスカート。そこから伸びる細く長い脚は白いタイツで覆われ、足には少女が履くには少しだけ大人びたようなヒール。可愛らしいパフスリーブに大きく空いた胸元。そして長い金色の髪。
実在しないのに、まるで本物というような存在感を放っていた。
只一点異なるのは常に手にしているステッキを手にしていないことだった。
八岐大蛇の腹から飛び出した魔法少女、というか魔法少女もどきは人間とは思えぬ速度で走る。距離をとる。
そのまま一目散に逃げるかと思いきや、急速に反転し巨大で異様な怪物と対峙する。巨象と蟻のようであった。
魔法少女もどきは道路に散乱した瓦礫、かつての建築物の一部であったものを両手で抱え持ち上げる。
先ほどの速度もそうであったが、この力も常人には絶対に不可能なこと。
人間離れした行動は続く。持ち上げたコンクリートの塊を八岐大蛇めがけて投げつけた。
コンクリートの塊は放物線を描くのではなく、ほぼ水平に飛んでいく。
鈍い音が響いた。と同時に八岐大蛇の首の一つ、かつての電車の車両がひしゃげて破壊される。
これで首の数は七つに。
魔法少女もどきは今度は道路上に停止していた無人のタクシーを持ち上げ軽々と、先ほどよりも速い速度で投げつける。
命中。さっきと異なるのは当たった直後タクシー内に積まれていたガソリンに引火し爆発を起こしたことだった。
炎が首を包み込む。炎上する。
首の数は六つ。
六つの首が魔法少女もどきを見据えた。
八岐大蛇の首のうち二つが魔法少女もどきに襲い掛かる。頭上からまるで矢のように一直線に。
当たるか当たらないか、ギリギリの瞬間に宙に舞い避ける。二つの首のうち一つはアスファルトの路上にめり込み、もう一つは道路に衝突した衝撃で折れ曲がった。
舞い上がった魔法少女もどきが再び地面に接地しようとした瞬間、八岐大蛇の首の一つが地を素早く這い小さな身体を捉える。
捉えたがその速度は衰えない。いや、増した。
そのままの勢いでビルに衝突する。魔法少女もどきを押しつぶす。
ビルが崩れ落ちる。衝突した首も自壊した。
邪魔者がいなくなったとばかりに八岐大蛇はまた食事を再開する。
それはまるでさっきまでの戦闘の傷を癒すための行為のようだった。周囲の物が八岐大蛇に中に吞み込まれていくと同時に損傷した首が再生していく。
再び八本の首が宙をたゆたい、前進を開始する。
衝突によって倒壊した、あの魔法少女もどきの埋まっているビルの一部が盛り上がる。
と、同時に魔法少女もどきが飛び出す。
まるでダメージなど受けた様子もなく八岐大蛇へ向けて突進していく。
瞬く間にその巨体に取り付き、首を二つ破壊した。
小さな身体にも関わらず大きな力を秘めていた。強大な相手にもかかわらず、それを歯牙にもかけないような強さだった。
八岐大蛇が弱いわけではない。現に人類の生み出した構造物をいとも簡単に破壊するだけの力を有していた。
が、力の差は歴然であった。さらにまた一つ首を破壊される。
しかし八岐大蛇も簡単には負けはしなかった。
力こそ劣るが、再生を繰り返していた。
イタチごっこだった。
破壊が勝るのか、それとも再生の速度が勝利するのか。
均衡した状態が動いた。なんと八岐大蛇が瓦礫ではなく、魔法少女もどきの小さな身体を吞み込む。自らの体内へと、その圧倒的な力を吸収しようというのか。
静寂が空間を支配した。しばらく後に遠くから微かに緊急車両の音が聞こえた。
八岐大蛇の巨体が突然瓦解し始めた。異様な姿はあっという間に崩壊していく。
崩れ落ちたかつての瓦礫の山の中に動くものが。
魔法少女もどきだった。
人の姿をしているのに、人とは思えないような跳躍でその場から消え去る。
そこへ消防、救急、そして警察車両が到着した
「どうして、こうなった」
壊れたショーウインドーに映る魔法少女もどきの姿を見て、稲葉志郎は小さく呟いた。