続きの続き
「あ、忘れるとこだった。昨日、紙芝居のお兄さんから久し振りに電話があったんだ」
F1中継が終わった頃に電話がかかってきた。
「そういえばあったわね、忘れてたけど」
「へー」
「もしかして美人になんかあったとか?」
美人はかつてのクラスメイト、現在は名古屋へと引っ越し、紙芝居のお兄さんのところで役者としての、表現者としての修行に励んでいる。
「それは大丈夫、元気だって。まあ、それはちょっと置いておいて、みんなに伝言を、というかお願いを頼まれていたんだ」
「あの人がウチらに?」
「何だろ?」
「俺の代わりに、小林可夢偉を応援してくれって」
「あの、それってどういう意味なんです?」
「自分で応援すればいいじゃん」
「そやそや。住んどんの三重なんやから鈴鹿近いやん。自分で応援に行けばええのに」
「それが大手を振って応援できない、聞くも涙語るも涙な事情があるのよ。シロの横で一緒に聞いていて思わず同情してしまったわ」
「どんな理由が?」
「シロ、話してあげて」
麻実に促されて美月は昨日の電話の内容をみんなに。
「応援すると選手やチームはだいたい成績が悪くなったりするんだって。とくにモータースポーツ関連では」
美月は、昨日電話口で聞いた説明を語る。
ただし、当時彼は小林可夢偉の快挙に祝杯を挙げており、少々酔った状態で、同じ話を二度三度としたり、話の前後が逆になったり、突然飛んでしまったり、であったから、それをそのまま伝えてしまったら混乱をきたすことは必至なので、簡略化し、そして分かりやすくまとめて。
要約すると以下の通りに。
・人生初のF1体験は、フジテレビで中継された鈴鹿グランプリ。スタート直後の1コーナーでセナとプロストが接触しリタイア。幼い彼の目には明らかにセナがぶつけに行ったように映ったのだが、擁護するような実況に憤慨し、フェラーリファンになることを心に誓うのだが、このレースからおおよそ4年近く跳ね馬は勝利から見放されてしまう。
・フェラーリを応援していた時のエース、J・アレジ。次代のヒーロー、将来のワールドチャンピオンになると期待していたのに、結果は一勝止まりに。
・94年の片山右京の走りに感銘を受け、応援するようになるが、翌年以降ノーポイント。
・片山右京と一緒にヤマハエンジンも応援。これは他にもヤマハのプロジェクトリーダーの木村隆昭氏が四日市工業の出身であることも理由。ヤマハエンジンはアロウズと組んだ年、念願の初優勝まであと少しというところにまで迫ったのだが、ギアボックスのトラブルで二位に。それでも快挙なのだが、残念なことにその年かぎりでF1を撤退。
・トヨタF1を応援することになるのだが、結局一勝も挙げることなく撤退を。
・スーパーアグリの撤退、それに伴い佐藤琢磨のF1シートの喪失。
ここまではF1の話。
他にもバイクでは、
・WGPでのW・レイニーの半身不随の事故。
・原田哲也が逆転で250ccクラスのチャンピオンを決めた、若井とともに走った、最終戦の放送を見逃してしまったこと。
・加藤大二郎の鈴鹿での悲劇。
・ノリックの交通事故死。
他にも枚挙に暇がない。
もちろん、視聴していたレース全てが、残念な結果、無念なリザルト、悲劇であったわけではない。
応援していたドライバーやチーム、全てが不幸な目にあったわけではない。
美月には話してはいないのだが、勝利を、栄冠を目の当りにしたことも何度か。
現に、ジョーダンチームの頃から応援していたフィジケラは通算五勝を挙げ、ここ最近のイタリア人ドライバーとしては最上といっても過言ではないような成績を。
それにデビュー二戦目以降ずっと注目していたスペイン人ドライバー、アロンソは二年連続でワールドチャンピオンの栄冠に輝いている。
だけど、この時の紙芝居のお兄さんの脳内では、マイナスのイメージ、ネガティブな思考が働いており、自分が応援すると負けてしまう、不幸な事故が起きてしまうという、ある種妄想に近いものに囚われてしまっていた。
まあ、その原因はアルコールであるのだが。
それはともかく、美月の話を聞き、女子中学生達は、同情したり哀れんだりし、そして、
「昨日のレース観ていたら、全然そんな感じはしなかったけど、よく考えてみるとモータースポーツって危険なのよね」
「そうだね。せっかく応援しようとした人が、大きな事故にあうのは嫌だから、あたし達で代わりに応援しようか」
「そやな。ほな、紙芝居のお兄さんの分も、ウチらで応援したろか」
と、代わりに応援することを誓ったのであった。
日曜日。
隣国で開催されるグランプリは地上波で生放送を。
美月は正座でテレビの前に待機し、それはまあ大げさなのだが、そして視聴した。
だが先週の鈴鹿のレースとはうって変わり、小林可夢偉は精彩の欠いたレースを。
予選に失敗し、起死回生を狙ったスタートでは、上手くジャンプアップを決めシングルポジションに順位を上げたものの、その後接触を。
それが原因なのか定かではないが、十数週走ったところで車はピットに、そのままガレージの中へと消えていった。
リタイアというリザルトに。
期待していたのに残念な結果に終わってしまい、美月は酷く落胆し、その後何もやる気がなくなり、いつもは腕によりをかけて作る日曜日の夕食も落ち込みが激しいあまりに味付けに失敗し、同居している桂と一緒に食べている麻実を酷く悲しませてしまうという有様に、ということはなかった。見た目は女子中学生だけど中身は色々と経験を積んできた三十路前の男、得てして物事が期待通りに進まないということを十分に熟知している。こういうことが起きるのもレースであると割り切っている。今回は残念だったが次のレースに期待しよう、と割り切った考えを。
だが、そんな美月であったが一つ気になることが脳裏をかすめた。
それを確かめるべく夜に電話を。
かけた相手は、紙芝居のお兄さん。
まさかとは思うが、紙芝居のお兄さんが今日の放送をリアルタイムで視聴していたために小林可夢偉がリタイアしてしまったのでは。そんなことがふと脳裏をよぎって確認のための電話であった。
電話したものの、美月はおそらく観てはいないだろうと想像していた。
というのも、本日は日曜日、つまりショッピングセンターで紙芝居を上演する日。上演時間と放送開始時間は被ってはいないのだが、美人を送るための帰路の途についているはず。
携帯電話の向こう側に冗談めかした口調で美月は訊いてみる。
すると、
『……ごめん……観ちゃった……』
という言葉が。
詳しく聞くと、本来ならば美人を送るために車を走らせている時間なのだが、ショッピングセンター内に設置されているテレビでF1を流すということを聞きつけ、スタートだけ観ていくことに。
「本当に止めてください」
美月は思わず呟いてしまう。
呟いた後で、しまったと思ってしまう。相手は年上、こんな小娘みたいな外見の者にこんなことを言われたら気を悪くしてしまわないだろうか。それに……。
〈今のは言い過ぎだぞ。件のレーサーのリタイアは、彼が視聴していない時だ。それに科学的な根拠は一切ないぞ〉
左腕のクロノグラフモゲタンに窘められる。
一度発した言葉をなかったことにはできない。けれど、その発言についての謝罪はできる。
美月は謝ろうとした。だがそれよりも先に、
『本当にごめん』
美月の言葉に気を悪くした様子は微塵も見せずに、というか聞かせずに、紙芝居のお兄さんは心底申し訳なさそうに言った。
「いえ、こちらこそ言い過ぎてしまいすみませんでした」
慌てて、謝罪を返す。
しばしの間、電話越しの謝罪合戦が。
それが落ち着いた後、美人のことについて話したり、演技について話したりして、そして最後に、
「それじゃあ、お正月に」
美月としては来年の正月は三重への帰省はしないで受験勉強に励もうかとも考えていたのだが、その考えは取りやめに。
成瀬家の人にも会いたいが、それ以上にこの人、紙芝居のお兄さんと直接色んなことを話し、学び、吸収したいと思った。
『ああ、楽しみにしているよ』
「はい、それじゃあ」
正月に会う約束をして、電話を切った。
千歳屋アナの実況は最高でした。




