水中戦
美月が水の中での戦いを選択したのには理由が。
それは狐型のデータの動きを抑えるため。
空中での決戦は、自由に空を飛ぶことができる狐型のデータ、それに対する美月は空を飛べない、必然的に不利な戦いを強いられてしまった。
その不利な点も水の中に入ってしまえば帳消しになってしまうのでは、と。
そんな確証はまるでないのだが、このまま不利な戦いをずっと行っていても結局はジリ貧になってしまうはず。
美月は賭けを。
海中ならば、水の抵抗できっと狐型のデータの動きも悪くなるはず。
そうなれば空中ではほとんど当たらずに空を切っていた攻撃も当たるはず。
そう考えての行動であった。
思惑は当った。狐型のデータの動きは遅くなった。緩慢な、鈍い動きというにはほど遠い、まだまだ速い動きではあるのだが、それでも空の上とは雲泥の差。
美月も水中では同じように水の抵抗を受けるのだが、そのことが苦にならない程度には自由に動ける。水の中でも、空の上と同じように円盤状の盾を思い切り蹴飛ばして推進し、狐型のデータに攻撃を仕掛ける。
これまで当たらなかった攻撃が、少しずつではあるが当たるように。
しかし、決定打には至らない。
そうこうしているうちに、誤算が生じる。
海中には酸素がない。
生き物である限り活動するためには空気が必要。
美月の息が続かなくなってしまった。
先に海面に浮上したのは、美月の手を振りほどいた狐型のデータであった。
続いて美月も海面へ。
空っぽの肺を新鮮な空気で満たす、と同時に美月は右手を目一杯上へと伸ばす。空へと上がろうとする狐型のデータの垂れさがっている尻尾の一つを掴むことに成功する。
また上空に舞い上がられたのでは、不利な戦いを強いられてしまう。
しかし、海中に再び引きずり込むことに成功しても、また息が途中できれてしまう、酸素が足りなくなってしまう、呼吸が不可能な状態になったら、元の木阿弥に。
空と海中の堂々巡りを延々と繰り返してしまうことは簡単に予測できてしまう。
そんな美月の脳内に、一つのアイデアが。
〈それを実行することは可能だ〉
美月の思考を即座に理解したモゲタンが脳内で答える。そして続けざまに作戦を提案する。
「可能なのか、それ?」
捕まえた尻尾を絶対に放さないように力を込めながら早口で。
〈ああ、十分に可能だ。それに現状では海中でのキミの攻撃はあのデータに有効打を与えることはできない。別の力を利用するのも一つの手だ。さらにはこういう手もあるぞ〉
「……いけるか?」
〈能力的には問題ないはずだ。データの能力は分からないが、コチラは十分に耐えられるはずだ〉
「なら、お前を信じる」
〈だが、少し時間が必要だ。その間、データを放さないように注力してくれ〉
「了解」
短いやり取りの間に、美月の身体は完全に海面から脱してしまう。狐型のデータは美月に尻尾を掴まれているのも構わずに上昇を。
そして空へと上がり続けると同時に美月を振り払おうと躍起になる。掴まれていない複数の尻尾で叩き落とそうとしたり、蹴りを食らわせたり。
それらの攻撃を美月は必死で耐えた。
実際の時間はほんの数秒ほどではあったが、耐え続けている美月にはこれが永遠に続くのではと思ってしまうほど長い時間に感じられた。
幾度となく諦めてしまいそうになるが、その度に力をこめる。
決して放さない。
強い気持ちで耐え、そして握り続けた。
〈準備完了だ〉
そんな美月の脳内に待望の報せが、待ち望んだモゲタンの声が。
美月は狐型のデータを掴んだまま、空間を跳躍した。
美月が狐型のデータを連れて跳んだのは海中、それもさっきよりも深い位置、深海と呼ばれるような場所。
小笠原諸島から日本列島にかけて、大きな海溝が走っている。その最大の深度はおおよそ10000メートル。
水には圧力が存在する。水深が深くなればなると、その圧力、水圧は大きくなっていく。流石に海溝の一番底にまでは到達していないが、美月は狐型のデータをかなりの深さにまで引きずり込むことに成功した。
自らの力で倒せないのであれば、物理法則で破壊しようと。
だが、その水圧は美月も受けることに。
そうならないための秘策が。
空中での時間稼ぎはそのためであった。
まずモゲタンは円盤状の盾を変形させ、美月の小さな身体に添わせるように何層にも展開する。これによって水圧から美月を守るため。
そして、それだけではなくもう一つ。
これまた円盤状の盾を幾層にも重ね合わせて簡易の酸素ボンベを。いくら身体を水圧から守ることができたとしても、酸素がなければ意味のないものになってしまう。最悪の場合、脳に大きなダメージを受けてしまう可能性だってある。
そうならないためにも空気が必要であった。
光の届かない、暗い世界だった。
そんな世界でも、音だけは美月に届いた。
それは嫌な音。
何かが割れるような、軋むような、あるいは壊れる音であった。
音の正体は美月の身体に変形させて張り巡らせておいた円盤状の盾。
それが水圧に押しつぶされて壊れる音。
もうすでに何枚も壊れてしまった、割れてしまった、破損してしまった。
しかし、美月は動じなかった。
こうなることは予め予想済みである。
だが、あまり気分の良いものではなかったのもまた事実。
そんな音を聞き、感じながら美月は狐型のデータの尻尾を強く握りしめていた。
そして狐型のデータは、美月とモゲタンの作戦通りに身体の至る箇所が水圧によって欠損を。これ以上のダメージを受ける前に素早く浮上をしようとしていた。
そうはなるものかと、美月は抵抗を。より大きな水圧をかけるために、さらに潜ろうと。
互いの力が釣り合ってしまう。
結果、動かないままでその場、その深度に。
持久戦の様相に。
美月は力を込めながら、耐え続けた。
もしこの場に観測する者がいたとしたら、全く動きのない地味な戦いに映っていたであろう。しかし、当人達、少なくとも美月にはハードな、緊張状態が永続しているような時間であった。
暗い空間で均衡が続く。
そんな状況下で美月が動いた。
これは酸素が尽きた、あるいは水圧対策のために張り巡らせておいた防御が限界に近付いていた、もしくはこの緊張状態に精神が耐え切れなくなり根負けをした、または力尽きかけていた。
そのいずれも違った。
美月が動いたのは、予め立てていた作戦のため。
このまま深海で、狐型のデータを水圧によって圧壊させることができればそれに越したことはない。だがしかし、それでも破壊できない可能性は十分にある。
それを見越して、美月とモゲタンは事前に次の策を練っていた。
それを実行するために美月は動いたのだ。
美月は、狐型のデータの尻尾を掴んだまま、再度空間を跳躍した。




