ワクワク、中学生活 7
「ねぇ、今日は学校でどんなことがあった?」
あの日以来、桂は美月の学校生活についてこれまで以上に気にかけてくれていた。それは少し過保護すぎるのではないか、そう当人である美月は感じるが心配してくれている気持ちも十分に理解している。余計なことを言って関係を変にこじらせてしまうほど見た目通りの子供ではないので、それを素直に受け取った。
「……別に。……とくに変わったことはないよ」
いつも通りに授業を受けて、いつも通りに三人組の楽しそうな会話に耳を傾け、それから放課後に少しだけ発声練習に付き合う。それが日常だった。平穏な日々。
〈おい、あのことは桂に報告しなくてもいいのか?〉
頭の中でモゲタンの声がする。
実を言うと何も無い一日だったわけではなかった。学生生活における重大なイベントを経験した。でも、そのことは黙っていたかった。否、早く忘れてしまいたいことだった。
一刻も早く記憶から除去したい事柄なのに、この発言で思い出してしまう。美月の表情が一瞬苦く歪んだ。それを桂は見逃さなかった。
「本当は何かあったんでしょ? ねぇ、話してよ」
無言を貫き通そうとしたが、桂はしつこく訊く。最後は根負けしてしまう。
「……告白された」
下校のために教室を三人と一緒に出たところを急に呼び止められた。話があるからと元いた教室に連れ戻される。他の三人はこれから起きることを察したのか、美月を残して先に下校した。クラスの男子だったがあまり記憶には無かった。知恵、文、美人、この三人以外のクラスメイトの顔と名前はあやふやだった。
教室には男子生徒と二人きり。話があると言ったのに中々切り出してこない。痺れを切らして帰ろうとした。その背中に「好きだ。付き合ってほしい」と中学生らしいストレートな告白を受けた。
「おー。それで受けるの? その彼と付き合うの?」
興味津々に桂が聞く。本人は奥手だったのに他人の恋愛話は大好きだった。
「断った」
事実を簡潔に述べる。「ゴメン、君とは付き合えない」と、断り男子生徒を教室に残して一人下校した。
見た目は可憐な少女かもしれないが中身は三十路前の男だ。
可愛い女の子と付き合いたい、恋愛したい、恋人同士になりたい。その心理は理解できるが当事者にはなりたくない。男同士で付き合うなんて考えただけでもゾッとするほどの寒気を背中に感じさせた。
「即答で断っちゃったの。もう少し考えてからにすればいいのに。でも告白かー。私は中高でそんな経験ないから、少し羨ましいな。まあ、美月ちゃんは可愛いものね。それでその男の子かっこいいの?」
世間の範疇でいえばイケメンに属するような端正な顔立ちはしていた。
背も高いほうだった。けど、それらの要因は全てが美月の気を惹くような要因にはなりえなかった。
「……多分」
曖昧な返しをする。
「そうなんだ。……あ、もしかして美月ちゃん他に好きな人いる?」
その人物は今、目の前に座っている。
笑顔をコチラに向けている。
「なぁ、なぁ、昨日はあれからどうなった? 河合とええ雰囲気にでもなった?」
朝、教室に入ると知恵が待ち構えていたかのように質問攻めを開始する。あの時、今からなにが起きるのか察していたから、その結果を聞こうとして楽しみに待っていた。
「あ、あたしも知りたい」
文が大きな声で参加して、美人も小さく手を上げた。
どうして女性という性別の生き物は他人の恋愛沙汰に興味があるのか?
元男である美月には理解できない心理だった。
「……別に。何にも無いよ」
素っ気なく答えた。告白をされ断ったのが、これが真相だったが公の前で話す必要性の無いこと。一言で振ってしまったが、あれから少し反省をした。相手は多感な思春期、もう少し優しく断ればよかったかもしれない。
「そんなことあらへんやろ。あれは絶対に今から告白するゆう雰囲気やったで」
「うん、そうそう」
「……私もそう思う」
三人は食い下がった。昨日の顛末を是が非でも美月から聞きだそうとしていた。
「そら、美月ちゃんはその手の経験が多そうやからなんでも無い言うかもしれへんけど。ウチらはあらへんもん。後学のために話聞きたいんや」
「そうだよ。あたしの家にはお姉ちゃんいるけど浮いた話の一つも聞かないし」
「ウチもそうや。オトンとオカンの出会いの場がコミケやなんて参考にもならへんしな」
「……家はお父さんとお母さん仲良いから。……娘の私から見てても恥ずかしい時がある」
「そら、美人のとこのオトンはラテンの血が入っているからな。もしかしたら美人も将来は恋愛に積極的になるかもな」
「ああ、そうだよね。なにかのマンガで読んだけど、子供の頃大人しいと、その時の反動で大人になってから乱れるんだって」
「……そんなー」
話が美月の件から大きく脱線し始めていた。
「声大きすぎるよ」
美月は盛り上がっている三人を諫めようとしたが効果はまるで無かった。
「ちょっと貴女達。少し声が大きすぎます。もう少し静かにして下さい」
席を立ち、近付いて注意をしたのはクラスの副委員長だった。黒縁のメガネにセミロングの髪を規則どおりに一つに束ねている。
「えっと、……ごめん」
騒ぎには参加をしていなかったが種を蒔いたのは自分だと認識していた美月が謝罪の言葉を口にする。
「そんなに目くじら立てて怒らんでもええやんか。いっつもこんな感じやろ」
盛り上がってはいたがとりわけ煩かったわけでもない。まだ授業は開始されていない。教室中は賑やかであった。
「それでも少し騒ぎすぎです」
「そうかな」
「そうよ、私の席にまで貴女達の話す内容が聞こえてきたのよ」
「なんや盗み聞きしとったんか?」
「嫌でも聞こえてくるのよ」
少しヒステリックに叫ぶ。その声で教室にいる生徒全員が女子四人に注目した。
「アンタの方が声大きいで、蓬莱靖子」
「それにしてもさ、どうして靖子ちゃんはあたし達の話が煩く思ったのかな? もしかして内容に興味があったとか?」
その言葉で睨みが解けた。怒った表情が瞬く間に狼狽したものに変貌していく。
「怪しいな。……もしかしてアンタ、河合のこと好きなんちゃうんか。それで気になったんやろ」
「……ち、違う、そんなんじゃないから」
「好きなんだ。その河合くんのこと」
恋愛ごとには鈍くて、察しの悪い美月でも気が付くほどに赤面している。
「そんなの貴女には関係無いじゃない」
怒りが照れに変わった。まるで万華鏡ように変化する感情はこの世代の少女特有の可愛らしさように美月には感じた。
自分にはないものだ。思わず微笑んでしまう。
「何、笑ってるのよ」
「……可愛いと思って」
「おお、美月ちゃんはソッチの趣味やったんか?」
知恵がちゃかすように言う。たしかに男よりも女の方が好き。でも子供には興味は無い。
「違うよ」
「ねぇ、ねぇ、河合くんは美月ちゃんに振られたんだからチャンスじゃないの?」
「チャンス?」
「そやな、落ち込んでる相手に優しく接してええ関係になる。定番のパターンやで」
「そうかもしれない、落ち込んでる子には優しくしてあげると効果がある」
かつて経験した思春期男子の気持ち。
よく分かっている。
おそらく性的なことに目覚め始めた頃、やらせてあげれば一発でなびくだろうと考えるが、それを中学生女子に言うわけにもいかず、言葉を選んで助言した。
「……そうなんだ」
蓬莱靖子がアドバイスに反応すると同時に始業を告げるチャイムが鳴った。
蓬莱靖子が河合にアタックして振られたとう情報を聞いたのは、三日後の朝。告白をしたのはもっと早かったらしいが、三人組以外と接点の無い美月の耳に届くのは時間がかかるのも無理のない話しだった。言われてみれば落ち込んでいたようにも思える。あまり気にはしていなかったが。余計なことを吹き込んでしまったかもと反省をする。あの助言がなければ今も彼女は恋する乙女であったかもしれない。幸せな気分だったかもしれない。
何気なく蓬莱靖子の席を盗み見た。視線があったような気がした、その目は赤く腫れていた。
蓬莱靖子は美月の視線に気付くとプイッと顔を背けた。