団欒
今晩の献立は、太刀魚のソテー、筑前煮、そして茄子。
メインの太刀魚は横浜の漁港から上がったばかりの新鮮な物。美月としては塩焼きでもよかったのだが、あまり文句は言わないけど本来は和食よりも洋食を好む桂に合わせて、それから魚の骨を取るのが苦手な麻実のことを考え、予め骨を取り除く調理法を選択し、その結果が少々手間のかかるソテーに。
筑前煮は、育ち盛りの麻実を考慮して、自身の身体も一応育ち盛りなのだが、鶏肉多めで。そして体重のことをほんの少しだけ気にしている桂にも配慮して、こんにゃくをこれまた多めに。
そして茄子。これは成瀬母から受け継いだレシピノートに書かれていた一品。
茄子を蒸し、それを冷やして、醤油の中に大量の胡麻を入れたので食べるもの。
といっても成瀬母が考案したものではなく、知人から教えてもらったもので、なおかつ手軽にできる料理。
幼いころから慣れ親しんできた桂はもちろん、基本的に好き嫌いのない美月も、そして普段は偏食な麻実も、出た時には喜んで食している。
いつもは賑やかな食卓ではあるが、この日の夕食は点けたままにしてあるテレビから流れるバラエティー番組の音声がよく聞こえるほどの静けさであった。
これは料理が不味かった、珍しく美月が調理に失敗したから、ということはなくいつもは食べるよりもしゃべるために開く口の回数の方が多い麻実が黙々と食べていたからであった。
といっても、メインの太刀魚のソテーを頬張っているわけではなく、茄子を中心に。
先にも書いてあるが、麻実はこの茄子の食べ方をいたく気に入っていた。
自分の分を全て平らげて、それでもなおかつ美月や桂の分まで奪ってしまうかと画策するくらいに。
そんな麻実が唐突に口を開く。
「秋茄子を嫁に食わすな、ってあるじゃない」
「あるわね」
「うん」
「それでふと思ったんだけど、シロと桂ってどっちが嫁なの?」
「どっちだろ?」
「考えたこともなかった」
この発言の裏には麻実のある目論見が。
「お嫁さんは食べない方がいいみたいだから、あたしが代わりに食べて上げようかと思って」
ほとんど手を付けていない太刀魚のソテーとのトレードを目論んでの発言であった。
麻実の脳内のたくらみでは、互いが嫁の座を譲り合い、最終的には三人分の茄子を自分がせしめてしまうという皮算用。
「いつも稲葉くんが家事をしてくれているんだから、稲葉くんが嫁でしょ」
「俺は今はこんな姿だけど、そのうちに元の男の姿に戻るつもりだし。だから、将来的に桂が嫁だろ」
「……それはうれしいけど、けどやっぱり嫁は稲葉くんだよ」
「いやいや、桂の方が相応しいから」
互いに譲り合う、最初こそ計算したように事は進むのだが、途中から思わぬ方向へと。
「家のことのほとんどは稲葉くんがしてくれているんだから、お嫁さんは稲葉くんなの」
「違う、嫁は桂」
思惑通りには事は運ばない。
譲り合いが、やがて小さな諍いへと。
ついさっきまでは平和なリビングが、少々険悪な雰囲気へと。
激しく罵りあったり、手が出るようなことはなかった。
静かな、まるで冷戦のような空気が二人の間に。
茄子を、余分に食べようと画策しただけで、こんな雰囲気になってしまうなんて全然想像もしていなかった。
大好きな二人が、自分の蒔いた種で険悪な雰囲気になってしまうのが嫌。
麻実は居たたまれないような気持ちに陥ってしまう。
「ゴメン……ちゃんとお魚もたべるから……二人とも喧嘩しないで」
ついさっきまでの悪戯っ子のような表情は、鳴りを潜めて、今にも泣きそうな目をしながら、自身の行いを悔い、反省し、諍いを止めてほしいと麻実は懇願する。
「じゃあ、魚を全部残らずに食べて」
「……うん」
「そうしたら喧嘩するの、止めるから」
「……分かった、全部食べるから」
そう言いながら麻実は涙目で太刀魚のソテーを口の中へと押し込む。
こう書くといかにも不味そうな感じがするのだが、実際のところは美味しい。しかしながら、涙目で頬張っている麻実にはあまり味は分からない。
「……全部食べたよ、これでもう喧嘩しないよね」
見た目は成人に近い女性なのに、幼児のような口調で、さらには両手で涙をぬぐいながら、麻実は言う。
「これから好き嫌いしないで何でも食べる?」
「うん、食べるから」
「お菓子ばかり食べないって約束できる?」
「うん、約束するから……って、ああー、もしかしたらさっきまでのは全部お芝居なの?」
途中まではしおらしい様子であったのだが、突如何かに気がつき麻実は絶叫のような声を上げた。
「うん、そう」
「稲葉くんに合わせてお芝居するの難しかった」
「いや、なかなか様になっていたよ」
「ホント? じゃあさ、私も舞台とかに立てるかな」
「それは難しいかも」
「ちょっと、ひどい」
「……何で、こんなことしたの?」
意識的に除外したわけではないのだが、結果的に少しイチャイチャとした雰囲気を醸し出している二人に、麻実は問う。
「将来のことを考えて、なるべく好き嫌いはなくした方がいいかなと思って」
と、美月が。
「そうかもしれないけどさ……」
簡潔な説明であったにもかかわらず、麻実はその真意がなんとなくではあるが分かった。
この先、全てのデータを回収した後、常人離れした肉体は通常の人間とさして変わらないものに、つまり元通りになってしまう。麻実の場合、元の病弱な身体ではなく、健康体にしてもらうとモゲタンと約束しているものの、それが未来永劫続くわけじゃない。つまり、さっきのは将来の身を案じての一計だと理解した。
「……桂も同じ意見なの?」
今度は桂に問う。
「うーん、私もまあ同意かな。若い頃はいいけどさ、ある程度年齢を重ねると日々の積み重ねがものをいうのよね」
実感のこもった言葉を。
「ふーん。……ところでさ、このお芝居は前から計画していたの?」
「ううん」
「全然」
美月と桂が同時に。話す言葉は違えど、意味は全く同じ。
「言っている途中で思い付いた」
「私は、稲葉くんが何かしようとしているなって気付いて、合わせていたら意図を理解したの。一緒に暮らすようになってから、全部じゃないけど、考えていることが分かるようになってきたの、なんか繋がっているという実感みたいなものがあるの」
「はいはい、ごちそうさま」
この麻実の言葉は食事を終えてのものではない。
「あ、せっかくだからついでに惚気ておくとね、麻実ちゃんのさっきの質問、どっちが嫁なのかなんだけど、私はどっちでもいいの」
「どういうこと?」
「稲葉くんが元の姿に戻れたら、その時は私がお嫁さんでいいし。万が一にだけど、もし戻れなかったとしたら、その時は両方がお嫁さんで、二人でウェディングドレスを着るの。……どんな事があっても、稲葉くんとはこの先もずっと一緒にいる覚悟だから」
後半は少し赤面し、小さな声であったが、決意表明を。
「……桂……」
桂の言葉に、美月は自分はこんなにも想われているんだと感激する。
そんな二人を尻目に麻実は、
「はいはい、ごちそうさま」
本日の二度目のごちそうさまを。これは前回同様の意味合いもあるが、本来の意味合いも加わって。桂が話している間に麻実は、夕飯を全て平らげていた。
「それじゃあ、お邪魔虫は退散します」
そう言い残して、リビングから退出しようとした瞬間、美月と麻実の携帯が同時に鳴りだし、そしてテレビからニュース速報のけたたましい音が流れた。




