緊急
ヨーロッパで活動しているズィアとは定期的に連絡を取り合ってはいるが、その大半はネット上でのやり取りであった。
時差にして約九時間。
お互いの生活を考えると、ネット上でのメールのやり取りほうが便利である。
そんなズィアが美月の携帯電話に直接連絡を。
何か緊急な事態が、良からぬことが勃発したのでは、海の向こう側で起きたのではという危機感に似たような気持ちを懐きながら美月は電話に。
この予想はある意味当たって、ある意味外れていた。
ズィアは電話口で開口一番、
『あのデータが日本以外の場所にも出現している可能性があります』
あの、という形容詞ではあったが美月にはそれが何を指しているのかすぐに分かった。
ほんの数日前、鈴鹿の山で二度目の対峙をし、そして西の空へと消えていった、あの狐型のデータである。
「それは確実な情報なんですか?」
『分かりません。ワタシの仲間の誰かが目撃したというわけではなく、電子の世界の片隅にあった情報を見つけ出して、それを基にして考えて、そういう可能性もあるのではということになりました』
「それで……ヨーロッパのどこに出現したのですか?」
鈴鹿の山で見た時の速度を考えてみれば、ヨーロッパ周辺にまで飛ぶことは十分可能であるとは思いつつも、ずいぶんと遠くにまで移動したものだと思いながら美月は質問を。
『いえ、ユーロ圏内でもロシアでもありません』
この言葉に美月は少し驚いた。ズィアの報告だからてっきり欧州のどこかとばかり思っていた。
「それじゃあ、アメリカですか?」
北米南米の両大陸にも、同じような力を持ち、そして交流しているデーモンがいる。
それがズィアに耳に聞こえても不思議ではない。
『いいえ、それも違います。出たかもしれないと思われる場所はアジア。インドとパキスタンの国境付近です』
「……厄介な場所に行ったもんだ」
小さく、独り言のように美月は言う。
インドとパキスタンは、第二次世界大戦以降何度も紛争があり、そしていまだに緊張状態が、時には小規模ではあるが戦闘が続く場所である。そんな場所でデータが破壊活動を開始したら、両国がどんな対応をするのか分からない。最悪の場合、互いに核を持つ国同士の戦争に発展しかねない、決して押してはいけないスイッチに指が伸びるかもしれない。
「行かないと」
今度は、独り言のような呟きではなく、ハッキリとした言葉で。
『待ってください、まだ不確定な情報です。わたし達も調べていますが、まだよく分かりません。インド軍の兵士が目撃したかもしれないという情報を数件ネット上で見つけ出しただけです。ですから、モゲタンの力を借りたいのです。彼の能力ならば、わたし達よりも詳しく分かるはずです』
「可能か?」
声に出したが、これは左腕のクロノグラフモゲタンに対するもの。
〈ああ、可能なはずだ。インド、パキスタン両軍の機密にアクセスし、情報を収集しよう。……出たぞ。たしかにデータらしきものが目撃された情報がいくつもある。画像も数点だがあるな。少し待て、分析をする。……極めて高い確率であの時のデータである可能性が高い〉
「それも大事だけど、今はそれよりも……」
〈キミの心配は杞憂で終わりそうだ。どうやらすぐに別の場所へと移動したようだが、何処に行ったかは不明だ〉
最悪の事態にはどうやら陥らないみたいだ。そのことに安堵しながら、美月はモゲタンの先程の言葉を、電話の向こうのズィアに、それから横に居る麻実に伝えた。
その後、行方が分からなくなった狐型のデータがどこに行ったのかを話し合いを行うが、しかしながら全く情報がないような状態なので、結局結論が出ずじまいで、もしかしたら西へと移動して中東、そしてヨーロッパに行くかもしれない、それとは反対に今度は東に、つまり日本へと舞い戻ってくるのではという意見が出るが、どちらも推察の域を出ない。決定的な物が何一つないような現状ではこれ以上分からないことは変わりなく、何か予兆のようなものがあった場合は、互いにすぐに連絡を取り合うことを約束し、電話を切った。
「ねえねえちょっと思ったんだけどさ、もしかしたらあの狐型のデータが日本からいなくなったのは、国内のデータを全部回収しちゃったからじゃないかな」
電話を切った直後に、麻実が先程の議論を蒸し返すように持論を発表。
「それはないよ」
「えー、でもさ可能性はあるんじゃない。だって、あれって大阪じゃ盗っていったし、鈴鹿じゃモゲタンも気がつかないようなデータを先に見つけて持っていたんでしょ。だからさ、絶対にもう国内にはないんだって。それで外国にまで足を延ばして、他のデータを採集して強くなるつもりなんだよ」
「だから、それはないよ。だったらさ、俺達がついさっき回収したデータをどう説明するの。麻実さんの説だと、もう国内には出現しないはずでしょ。だけど、現実には出て、それが暴れまわる前に破壊した」
「……ああ、そうだった。すっかり忘れてた」
「もしかしてボケちゃった?」
「失礼ね、そんな歳なんかじゃないわよ。あたしは見ているだけだったから、すっかり忘れていただけなの。……ああ、そうだ。だったら、これなんかどうかな?」
「今度はどんなことを思いついたの?」
「インドの山奥なんでしょ、出たのは?」
「どうなんだ?」
〈山は近くにあるが、山奥というような場所ではないぞ〉
「山奥じゃないって」
「そうか。……でもさ、インドって言ったら修行でしょ」
「それはお釈迦様的なこと?」
「違うわよ。インドで修業っていたらレインボーマンでしょ」
「何それ?」
「知らないの? レインボーマンのこと。あの、月光仮面の川内康範が世に送り出したヒーローよ」
「知らない。……月光仮面は知っているけどさ」
「まあ、私も月光仮面から知った口なんだけど。小さい頃観ていたんだ、月光仮面」
「それってケーブルテレビかなんかで再放送してたの?」
「ううん、本放送」
「ええー」
美月が驚くのも無理はない。
月光仮面といえば戦後すぐのヒーロー。それを本放送で麻実は観たという。驚くのは当たり前。
「アニメでしてたの」
1999年から2000年にかけて、脚本浦沢義雄で、ひょんなことから二代目の月光仮面になってしまった小学生のドタバタ劇。
「そんなのしてたんだ」
「してたのよ。まあ、それはいいわ。それでインドに修行に行っている説はどうかな?」
ズレた話を麻実が軌道修正。
「無理があるな。だいたいさ、データは修行する必要があるのかな? あのデータは他のデータをどうやら取り込むみたいだから、修行じゃなくて採取になるんじゃ」
「でもさ、今度のインドに出たのはデータをまた捕獲したわけじゃないでしょ」
〈ああ、麻実の言う通りだ。出現は確認されたが、目的は依然不明だ〉
「モゲタンも捕獲したという証拠はないと言っている」
「だったら、何か目的があってインドに行ったと考えるべきなんじゃ」
「……それはそうかも」
「分かった。ありがたい経典を取りに行ったんだ。たしか天竺ってインドのことだったわよね」
「今度は西遊記?」
「そう、それで経典は手に入らないんだけど、三人の強力な手下を連れて日本に舞い戻ってくるの。それでシロにリベンジを挑むのよ」
「その説の信憑性はともかくとして、四体同時はさすがに勘弁してほしいな。アイツの強さもまだ不明だし」
つい先日対峙した時、その強さは計ることができずに終始様子を見ることに徹してしまい、結果目の前から去られてしまった。
「シロなら平気よ……多分だけど」
「いや、麻実さんもその時は手伝ってよ」
「うーん、気が向いたらね。でもさ、あたしは飛ぶくらいしかできないからね」
「そうだよな……俺ががんばるしかないのか」
「がんばれ、シロ」
「……そうだ、がんばらないと。あの狐型のデータのことも大事だけど、日本に舞い戻ってくるかどうかは分からない。それにずっと頭を悩ませて時間を浪費したら勿体ない。俺には、桂の高校に合格するという大事な目標があるんだから」
美月は中断されたままだった受験勉強を再開しようとした。
そんな美月の脳内にモゲタンが、
〈受験勉強は大切だ。だが、いいのか〉
「?」
〈キミが予定に立てていた魚屋のセールがもうすぐ始まるぞ〉
今日の晩御飯のメニューはまだ決めていないのに、明日の献立はもうすでに決定していた。まだ残暑が厳しいため、桂の健康に気をつかい、お酢を使った料理を、鰯の南蛮漬けを作ることにしていた。しかしながら何故今晩の食卓に並ばないのかというと、それは下拵えに少々手間がかかり、またよく酢に浸かったほうが美月も、そして桂も好みであるために、一晩冷蔵庫の中で寝かせるためであった。
「行かなくちゃ」
急がないと目当ての商品が売り切れになってしまう可能性が。
「え、どっか行くの?」
「うん、買い物。魚屋によって、それからスーパーかな」
「えー、今夜は魚なの。あたしはお肉がいいのに」
麻実が少し不満の声を。
これは魚料理全般が食べられないから、というわけではなく骨を取るのが面倒くさいからであった。
「じゃあ、今日は肉料理にしようか。それと明日の、南蛮漬けは骨も食べられるから大丈夫」
「本当に?」
しなければいけない受験勉強を放置して、美月は麻実と連れ立って、いそいそと買い物に出かけた。




