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里帰り、ふたたび 10


 つい先日も聞いた声だった。

 それなのに、この携帯電話の向こう側から聞こえてくる声は、その時よりも成長しているように美月は感じた。

 経験をして、大人になったんだ、とも思った。

 電話の相手は、美人(みと)であった。

 彼女は昨日初体験を済ませた。

 こう書くと、大人の階段を上る、もっと直接的な書き方をすると性経験をしたと思われる読者諸氏も多いと思われるが、そんなことは一切していない。

 美人はまだおぼこである。

 では、美人が何をしたかというと、それは初舞台を踏んだ、演劇人としてのデビューを果たしたのである。

 美月は昼に一人でその舞台を観に行き、本当ならば閉演後に色々と話をしたかったのだが、夕方の公演も控えていることもあり、ほんの数語だけ言葉を交わしお(いとま)した。

 そして夜、公演も終わり、ダメ出しも済んだ頃合いを見計らい、美人に電話を。

 一回の呼び出しコールで美人は出た。

 声を聞いた瞬間、前述したようなことを思い、そして少しだけ涙ぐみそうに。

 見た目は女子中学生だが、中身は三十路前の売れない役者。そんな美月にとって美人は、年下の友人であると同時に、人生初の芝居の弟子のような存在。

 わずかな時間しか指導しなかったが、大事な教え子という認識に違いはない。そしてまた美人のほうも、美月のことを人生初の役者の先生として尊敬の念のようなものを懐き続けていた。

 そんな美人の初舞台。

 目頭が熱くなり、こみ上げてくるものを何とか押さえ込んで美月は電話を。


『美月ちゃん、今日は観に来てくれてありがとうね。それと、感想もうれしかった』

 昔は芝居を観に行っても感想を書くことは滅多に、というかほとんどなかった。だいたい知り合いの舞台が多かったので口で直接思ったことを伝える方が遥かに早かった。それに加えて、文章を書くのもそれほど得意ではないし、さらに文字も全然上手くない。そんなこともあって、稲葉志郎であった頃はしなかった行為であったが、伊庭美月という仮初の少女の姿では感想を書くことに。これは二度目の中学生活において国語の能力、文章製作の力が以前よりも格段に向上し、それに加えて先日の英語での作文というハードルの高い作業もこなし、少しだけ自信をつけていたからであった。そして人前に出しても恥ずかしくないような文字も、これはモゲタンのおかげだが、書けるようになっていた。

 だからといって、想いの全てを紙面に書き連ねるというような芸当は流石にできないが、それでも可能なかぎりの感想を、一応したためてきた。

「……うん……」

 まだ口を開くと、声を出すと泣きそうになってしまう美月であった。

『あ、そうだ、美月ちゃんから貰った姿勢のアドバイス、夜の公演で意識してみたら後で良くなっていたって演出の人に褒めてもらったよ』

「良かった」

 美人は以前から猫背気味であった。十三回忌のお勤めを題材にした芝居であったから、猫背という、葬儀ではないもののそれでも仏前でのことなので悪くはないのだが、いかんせん首が落ちすぎていて、変な影が首元にできてしまっていた。

 そのことを言っていいものだろうかと美月は芝居を観ながら悩んでいた。もしかしたら演出家の意図でわざとそうしている可能性も否定できず、外部の人間が余計なことを言ってしまったせいで、初舞台の美人が混乱してしまうのでは。そんな危惧があったのだが、結局言ってしまい、というか書いてしまい、後でちょっと心配していたのだが、それはどうやら杞憂ですんでくれたみたいだった。

「それにしても面白い舞台だったよね」

 この美月の言う、面白い、というのは内容も含まれてはいるが、それ以上に変わった舞台であったことを指していた。

『うん。私もすごくビックリした。美月ちゃんや師匠に教えてもらった、しちゃ駄目なことをするから』

 師匠というのは、紙芝居のお兄さんのこと。

「うん、まさか出ている役者のほとんどが観客に背を向けているなんて、それに公演中ずっとお経が流れているし。まあでも、台詞を言う時とかは前を向いていたけど。でも、背中でも演技ができる人が多く出ていたから、面白かった」

『私はどうだった?』

「うーん、まだまだかな。只、その場に座っているだけって感じだった」

『……そっか』

「まあ背中で演じるのは難しいよ」

 実体験から出た言葉。

『……うん』

「そういえば、ちょっと話は変わるけど、どうしてあの芝居に出ることになったの?」

 芝居を、舞台に立つとは聞いたけど、その経緯を美月は全く知らなかった。

『師匠が、色んな劇団に声をかけてくれたの』

「そうなんだ」

『うん。私に舞台を経験させておきたいって言って。本当は自分の演出で色々とさせたいって言ってたけど、無理そうだから、知り合いの劇団で夏に公演するところに色々と声をかけてくれたの。それでもいくつか候補があったんだけど、その中から師匠が、これが絶対に将来に役に立つって選んでくれたの』

「……ああ、なるほど」

『なるほどって?』

「あの人がこの芝居を選んだのは、ずっと舞台の上に出ているからじゃないかなって思って」

『すごい、美月ちゃん。師匠も同じことを言って、選んだ理由を説明してくれた』

「それに台詞も一言あったし。多分、あれは追加で書いたものでしょ。それと一度舞台袖に捌けて、それからまた出てくるのも良い経験になるはずだし。捌ける途中で気を抜くと、かっこ悪いんだよね。素に戻っているのが席から丸分かりで」

 美人の台詞が一言だけあった。それはなくても劇は成立するようなものであり、もしかしたら美人のために追加で書いてくれと、紙芝居のお兄さんが頼んだのではと推察した。

 同じ様に、捌ける芝居があったのも。

『凄い、美月ちゃん。どうして分かったの?』

 驚きの声が、携帯電話の向こう側から響く。

 年の功、経験によって、と答えたいところではあるが、見た目は同年代の人間がそんな発言をするわけにもいかず、どう答えようかと考えた挙句、

「そういえばさ、来年はどうするの? 東京で進学するの? それとも名古屋に残るの?」

 と、少々強引だが話題を変えることに。

 美人は、以前東京に戻りたい、みんなと同じ高校に進学したいと言っていた。

『まだ分からない。戻ってみんなと一緒にまた過ごせたらいいかなとも思うけど、師匠の下で紙芝居をしているのも面白いし』

「……そっか」

 紙芝居のお兄さんが、美人に舞台を経験させておきたいというのは、来春には東京に戻る意思を固めていたからだと想像したのだが、どうやら違ったみたいだった。

『……どっちがいいのかな?』

 この美人の進路の悩みに美月は、

「分からないな。近道だと思って進んだのに、全然たどり着けないことや、一見遠回りのように見えて案外一番良い方法だったりとか、何が正解なのか分からないのが人生だから」

『美月ちゃん、大人みたい』

 実際はとうの昔に成人式を迎え、一応は大人なのだが、流石にそれをカミングアウトするわけにもいかない。

「……君がどんな選択をしても、僕は応援しているから」

『うん、ありがとう』

「明日もまだ舞台はあるんだから、それじゃこの辺で」

『うん。……あ、いつか美月ちゃんとも一緒の舞台に立ちたいな。その時には今の何倍も絶対に上手くなるから。横に居ても恥ずかしくないような演技ができるようになるから』

 力強い声に、美月はまた涙ぐみそうに。

 それをグッと堪えて、

「うん、楽しみにしている」

 

 この約束もまた将来果たされることはないのだが、それはまだまだ未来の話。



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