里帰り、ふたたび 7
「ああ、たしかにこれは歩きにくいかもな」
言葉とは裏腹な軽快な足取りで参道を進みながら椿大神社の本殿を目指している美月は、隣にいる桂にそっと言う。
「うん、そうだね」
桂も追随を。
緩やかではあるが、傾斜があり、また本殿前には石畳みと階段が。
これでは歩くことを前提にしていないビンディングシューズ、クリートがついたソールでは滑りやすく歩くのも一苦労であることは、実際には履いたことがない二人でも容易に想像ができた。
「い……美月ちゃんは平気? ミュールでも大丈夫?」
二人だけの時ならば、稲葉くん、と呼ぶ桂であったが、今は少し距離があるとはいえ家族が傍に。
「まあ、これ位なら全然問題ない。文尚さんは心配してくれたけど浴衣でも平気だったな。というか、むしろそっちの方が良かったかも。僕の髪は短いから、女の子然とした服はそんなに似合わないんじゃないかな」
桂と二人だけの時は、俺、を使用するが、ここでは周囲の目を気にして、僕、を。
「駄目。また変な勘違いをされちゃうから」
前日、美月はボーイッシュな服を着ていたために、桂の友人達に美少年と勘違いされてしまった。
「だったらせめて、袖がある服にしてほしかったな」
現在美月の着ているのは、桂が選んだノースリーブワンピース。寒さは問題ないのだが、脇が出ているのは少し恥ずかしい。
「ええ、でもさ美月ちゃん、こういう服好きじゃない」
昔、そういう格好をしてほしいと桂に頼んだことがあった。だが、それは好きな人がする恰好だからであって、自分が着るのはちょっと。
「……けどさ……」
文句を言いたいのだが、上手く言語化できずに口ごもってしまう。
その間も歩みは止めずに、やがて本殿の前へと。
「そういえばさ、ここの神様って?」
まだまだ先のことではあるが、合格祈願のお参りをしようとした矢先に桂が。
「え、車の中でも言っていたと思うけど、山が神様なんじゃ」
と、これは美月。
「ああ、違うよ。入道ヶ岳も御神体ではあるけど主神は……あれ? なんていう神様だったかな? 前に紙芝居の人に聞いたんだけどな」
二人の横にいた文尚が言うが、彼もまた肝心なことは忘れてしまったようだった。
「猿田彦命だよ」
三人の後ろで参拝を待つ桂の父が言う。
「ああ、たしかそうだった」
「あれ、その名前どこかで聞いたような、見たような記憶が」
「去年、伊勢神宮に行った時に、近くで参拝した神社がそんな名前じゃなかったかな」
桂の記憶の断片に、猿田彦の名前がかすり、それに連動するかのように美月が思い出す。
〈ああ、去年猿田彦神社に立ち寄っているな。検索したところ祭神は同じだ〉
可愛らしい服には似つかわしくない左腕のクロノグラフモゲタンが美月の脳内で、記憶は間違いでないことを保証してくれた。
そのことを桂に伝えると、
「だったら寄らなくてもよかったんじゃ。真っ直ぐ伊勢を目指してもよかったんじゃ」
と、小さな声で。
「それは去年寄らなかったから……」
「そう聞いたから行程に組み込んだだけどな」
「猿田彦命は道先を案内する神様だから、美月ちゃんの志望高校合格の道案内をしてもらおうと思ったのよ」
兄、父母の順で、桂の言葉に反応を。
「来てよかったです。神社のことは知ってはいましたけど、今まで一度も訪れたことがなかったので。それに僕のことを考えて、この場所を選んでくれてすごく嬉しいです」
本来ならばあまり良くない行いなのだが美月は本殿にお尻を向けて、成瀬家の方々に深く頭を垂れて、見た目とは全然違う大人びた謝辞の言葉を。
「何度も言うけど、本当に美月ちゃん中学生?」
「しっかりしてるよな。これなら面接はバッチリだな」
「桂とどっちが保護者か分からないわね」
と、皆が美月のことを褒める中で、
「……稲葉くん、ちょっとズルい」
美月の正体を知っている桂が誰にも聞こえないような小さな声で言った。
本殿を参拝後、すぐにまた移動ということはなく、境内にある別の社へと。
仲良さげな姉妹、といっても見た目の年齢差は一回り以上あるのだが、といった様子で並んで歩く美月と桂であったが、その会話の内容は、
「酷いよ、稲葉くん。ワタシを出汁にして点数を稼いでさ」
「ゴメン。今度サービスするからさ」
「サービスって?」
「身も心もほぐれるような極上のマッサージを」
「それって……」
「……ああ、そうか。今の言い方じゃ、どっちともとれるな。いいよ、桂が望む方を、満足するまでするからさ」
「……だったら東京に戻ってからお願いね」
と、直接的な言葉は全く発してはいないのだが、神聖な場所でするのには、ちょっと不謹慎な意味ありげなやり取りを。
いつまでも椿大神社に滞在するわけにもいかない。
今後の予定、ランチの予約が、あるから一行は再び車へ。
今度は桂の母が運転を。
椿さんを出てすぐに、東名阪自動車道へ。そして伊勢自動車道に。
高速道路を使用して一気に伊勢を目指すことに。
安全走行、及び高速道路ということで代わり映えのない景色の中、朝早かったことも加味されて桂はいつしか静かな寝息を。
その横で美月は脳内でモゲタンと会話を。
(そうだ、すっかり忘れていたけど、今回のあのデータのことをズィアさん達にも報告しないと。もしかしたらあれと同じようなことが別のデータでも起きるかもしれないし、それともあれが特別な存在なのかは定かじゃないけど、情報を共有しておくのは絶対に良いはずだ。というわけでモゲタン、ズィアさん達用に英文でのレポートを作成してくれないか。麻実さんには明日逢うから直接話すとして。まあもっとも、あの子はもしかしたら興味ないかもしれないけど)
〈ああ、それは構わない。だが、一つワタシからの提案があるのだが〉
(なんだ?)
〈そのレポートはワタシではなくキミが作成したらどうだろうか〉
(はあ?)
〈受験のために、大いに役立つと思うのだが〉
(いや、作文はあるかもしれないけど、英語での作文は高校受験にはないはず……多分。もしかしたら大学受験ではあるかもしれないけど)
〈だったら、将来を見越しての予行練習ということで〉
(無理だって。俺にそんな文才なんかないし、まして英語で書くなんて絶対にできない)
〈そんなに難しい英文を書く必要はあるまい。子細な状況は後でワタシが追って細部を捕捉するレポートを提出しよう。肩肘を張らずに簡単な文章で構わないはずだ。他の人間はキミの実年齢を知らない。それに、年端もいかない少女が書く少々拙い文章にあまり文句は言わないだろう〉
(それはそれで……なんかモヤモヤした気分になるけどな。……けどまあいいか、出来はともかく向うの人間に見てもらう文章を書くという経験は、受験に関係なく、もしかしたら将来何かで約に立つかもしれないからな。それにズィアさんは日本語が分かるんだから、一応日本語のレポートも一緒に送ればいいか)
〈なら、決まりだな〉
(……けどな、俺本当にこういうのは苦手だからサポートをお願いな)
〈ああ、任せてくれ〉
桂の寝顔を見ながら、美月は脳内で海外の仲間に送る英文でのレポートの作成を始めた。




