里帰り、ふたたび 3
帰省三日目の朝は早かった。
といっても、一昨日は始発の新幹線に乗るために、昨日もこれという用事もないのだが美月の目覚めは早く、は、ではなく、も、という助詞の使い方が本来であれば正しいはずなのだが、これは美月にではなく桂に対してのものである。
桂は昨日は久し振りの実家ということもあり、惰眠をむさぼる、とまではいかないまでも遅い目覚めであった。
だったら今日も、遅く起きてもと思われるかもしれないが、今日は朝早く目覚めなければいけない理由があった。
それは今から出かける予定が予め組まれていたからであった。
その目的地は、去年の夏も訪れた伊勢神宮、正式名称は神宮。
今年も参詣することに。
だが、去年とは異なることも。それは昨年は美月、桂、それから文尚の三人だけであったが、この夏は父母も同行することになり、計五名で。
予定より三十分遅れで、文尚の三菱デリカで出発。
遅れたのはひとえに桂の準備がなかなかできない、もっといえば朝早いとはいえ、本来予定していた起床時間に起きられなかったためなのだが、それくらいの遅れは予め予定には組み込まれていた。
去年は初っ端で道を間違えてしまったのだが、今年は間違えることなく員弁街道へと。東員町、員弁市を通り、306号線へと。
伊勢神宮に向かうのだから、何も山沿いのルートを使用せずに国道23号線、または東名阪自動車道から伊勢自動車道という高速道路を使用すればと思われる人もいるだろうが、これには大きな理由が。
それは去年、車内で名前は出たものの、結局寄らずにいた、椿大神社こと、通称椿さんにも参詣することになっていたからだった。
「ああ、失敗したー」
出発してまもなく、車内で大きく嘆息をつきながら、桂が今の発言を。
「どうした? なんか忘れ物でもしたのか?」
椿さんまでの運転を担当する、ちなみに今回は成瀬家全員が運転免許を所持しているので本日は交替で車を運転することに、父親が。
「戻る?」
これは助手席に座っている母親。
「違うの、忘れ物はしてない……はず。まあ忘れていても何とかなるはずだから。それよりも、本当はもっと早く起きて、い……美月ちゃんに浴衣を着つけて、それから私も着て一緒におかげ横丁を巡ってみたかったのにー」
浴衣は桂の母が仕立ててくれたものであった。
「ああ、それ着てこなくて正解だったな」
と、これは最後部の席に陣取る文尚。
「どういうこと?」
と、美月と並んで座る桂が上半身ごと後ろを向いて訊く。
「おかげ横丁なら浴衣で、というかサンダルや下駄、雪駄でも平気だと思うけど、神宮は玉砂利で歩きにくいはずだし、それよりもこれから行く椿さんは絶対大変になるはずだ。お前は自業自得で済むかもしれないけど、美月ちゃんを巻き込まなくて良かったよ」
「そんなに、酷いの?」
「まあ、緩やかとはいえ山だからな。たしか、鈴鹿の山のどれかが御神体だったような」
「ああ、入道だな」
運転席の父親が。
入道というのは鈴鹿山脈にそびえるセブンマウンテンの一つ、入道ヶ岳のこと。
「それに俺は昔ロードで行って、ビンディングシューズでめちゃくちゃ苦労したもんな」
「それってあの変なシューズ?」
「変なシューズはないだろ。あれがあると乗りやすいんだ。それよりも、まあビンディングシューズよりは楽かもしれないけど、絶対に後で足にくるはず」
「そうなんだ。……でもまあ、私は駄目かもしれないけど美月ちゃんなら?」
「うーん、多分大丈夫じゃないかな」
桂に問われ、美月は少し考えてから答えた。
見た目は美少女だけど、その能力は常人を遥かに凌駕するもの。多少歩き難くなったとしても、問題はない。そしてこの今の服よりも、まだ浴衣姿のほうが良かったと美月は思ってしまう。というのも、現在着ているのは桂チョイスのノースリーブのワンピースにミュール、そして帽子。これは昨日はベースボールキャップ、ちなみに被っていたのは岡本太郎のバッファローマークが意匠された今は亡き近鉄バファローズ、だったが今日は服に合わせた可愛いリボンのついた麦わら帽子。帽子は良い、ミュールもまあ問題はない、ワンピースも、というかスカートも平気になった。しかしながら、ノースリーブというのは。脇が出ているのを少々美月は恥ずかしく感じてしまっていた。これなら多少行動し難くても浴衣のほうがと思ってしまう。
「じゃあ、やっぱり失敗だったー」
桂が再度、寝坊ではないが、それでも予定の時間に起きられなかったことを後悔した時、車は水沢へと入った。
車を駐車場に停めると、社殿までは緩やかではあるが傾斜があった。
「い……美月ちゃん、押してー。もしくは引っ張ってー」
途中で桂が。
これは一人では上れないほどの急な坂道だったからとか、普通の坂すら一人で上る体力がない、というわけではなく、単にふざけて、というかじゃれ合って、いやむしろ甘えての言葉であった。
それを美月は無視することなく、後ろに回って、付き合った頃よりも肉付きのよくなった背中を両手で押す。
その光景を見ながら兄の文尚が、
「そんな重たいものを押してたら、美月ちゃんが腰を悪くしちゃうだろ」
と、茶化すように言う。
「そんなに重いわけないでしょ、昔に比べたら痩せたんだし。それに美月ちゃんはこう見えても力持ちなんだから」
妹が反論を。
だがしかし、急に背中の押されている感覚が消失する。
「どうしたの?」
まさか本当に重たくて、押すのを止めたのではと思い桂は背後の美月に訊ねる。
「出た」
美月は小さく一言。
この言葉を聞き、桂の脳内に真っ先に浮かんでしまったのは、押すために力を入れた瞬間に音が、もしかしたらミが出てしまったのではという危惧だった。
「……もしかして?」
デリケートな問題だけあって、デリカシーを欠いた言葉は禁物。が、丁度良い言葉が咄嗟に浮かんでこずに、遠回しな少々意味合いが不明瞭な質問を。
「違う」
だが、美月に通じた。
「それじゃ何が出たの?」
「データだ、近くにいる」
真剣な、小さな音が背中越しに伝わった。




