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MT

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 夕方近くに、これまた近くだからということで密かな桑名名物のアイス饅頭を食べ、再びイオン桑名まで移動して、美月達は紙芝居のお兄さんと別れた。

 桂の家に帰ると、桂の母親が夕食を準備していた。

 美月は手伝いを申し出るが、「いいのいいいの、今日は移動で疲れているから、明日からお願いね」という言葉に素直に甘えることに。

 いつも桂と麻実、そして自分の分の三人前を用意している身としては、偶には上げ膳据え膳で頂くだけ身となるのもいいかなと思ってしまう。

 美味しい夕食を頂き、その後は一番風呂までも。

 

 続いては桂が入浴。

 お風呂上がりの桂は、

「ねえ、今日もお願いしてもいいかな」

 と、リビングで文尚と寛いでいた美月に声を。

 その言葉が出た瞬間、文尚の表情が一瞬で固まってしまった。

 というのも、お風呂上がりで上気した顔で、少々艶のある表情、さらには声も何かを感じさせるような音であった。

 まさかとは思うが、もしかしたらうちの妹はこの幼気な従妹に手を出してしまっているのではという想像を。

 この想像はあながち間違いではないのだが、桂が美月にお願いしたのはそんな邪な行為とは違うものであった。

「うん、了解」

 と、美月はそれを行うことを承諾。

 それに被せるように、

「嫌だったら、嫌とハッキリ言うんだよ美月ちゃん」

「ちょっと、お兄ちゃん」

「……お前、まさかとは思うけど……美月ちゃんに変なことをしたりしていないだろうな」

「はあ? 何言ってんの」

 この言葉は邪な想像をされて憤慨したから出たものではなく、家族の目があるからしないけど、できるならば行為に及びたいのを自重している、という意味合いのものであった。

「何って? ……本当に何じゃないよな」

「変な妄想をしない。私が美月ちゃんにしてもらうのはマッサージ」

「マッサージ?」

「そう。今日は移動で疲れたし、それに結構歩いて足が、脹脛の辺りがパンパンになったから。それに普段からよく美月ちゃんにしてもらってるんだから。すごく上手くて気持ち良いの」

 桂が美月に頼んだこと、それはマッサージであった。

 夏前にダイエットのために開発した技が、マッサージ及びいかがわしい行為に有効に活用されていた。


 芭蕉の『おくのほそ道』の冒頭に出てくる三里の灸、向う脛の辺りからマッサージは始まる。

 そこから下へと。

「そこ良い。もっとー」

「もっと強くして、グリグリ押してー」

 等の聞きようによっては睦事の時のような、艶めかしい、嬌声のように聞こえてしまうのだが、事実桂の母親が何事かと洗い物の手を休めて見に来るくらい、全くもって疚しいことはしていない。

 しているのは純然たるマッサージ。

 脛の周辺を終えたら、今度は脹脛を。

 ある意味立ち仕事ともいえる桂は普段から、浮腫みやすく、よく美月にしてもらっていた。

 程よい力加減でのマッサージは本当に気持ちが良い。

 終わる頃には、浮腫みは解消されて、脚が軽く感じる。

 それはとっても幸せな時間であった。

 そんな妹を、兄は少し、いやかなり羨ましいと思いながら横目でチラチラと見ていた。

 というのも、文尚はこれまでの人生でマッサージを受けた経験が、別の種類のマッサージ店には付き合いで数度行ったことがあるのだが、ほとんどない。

 記憶にあるのは部活中に受けたもの。

 その時の経験では気持ち良さは全く感じずに、むしろ痛かっただけ。

 そんなわけでマッサージを受けるという発想がなかった。

 しかしながら、まだ世間的には若いとはいえ、三十路を超えた身体は確実に衰え始めていた。

 身体のあちこちに、とくにここ最近では腰に重さと痛みを感じていた。

 これを解消して、楽になりたいとも常日頃思っていた。

 だがしかし、同僚らの話を漏れ聞くと、どうも上手くいくばかりではなく、その反対に症状が悪化することもある、というよからぬ情報も。

 というわけで、二の足を踏んでしまう。

 けれど、目の前で本当に気持ち良さそうな妹の顔を見ていると。

 自分も受けてみたいと、という欲求に駆られてしまう。

 だが、年端もいかない少女に頼むのは、と文尚は思ってしまう。

「文尚さんもします?」

 そんな尚文に、美月が自分からマッサージをすると言ってくれる。

 この申し出に尚文は、

「あ、はい。お願いします」

 と、さっきまでの葛藤は何処へやら、即答で返答を。


 うつ伏せに寝てもらい、美月は文尚の太腿、つまりハムストリングの部分を、手のひらで優しくマッサージする。

 桂同様に力で刺激すると、痛がる可能性が高いので、なるべく優しく、ソフトに。

「これ位で大丈夫ですか? 痛くないですか?」

「うん、最初はちょっとこそばゆかったけど、今は気持ち良いくらい。でもさ、俺が痛いのは腰なんだけど」

「文尚さん、身体固いでしょ」

「……うん、まあ」

「多分、前屈で指が床につかないんじゃ」

「……恥ずかしながら」

「ハムストリングが固くなっているんですよ。その影響が腰に出ているんです」

「そうなの?」

「そうらしいです」

 その後、美月の手はさらに下へと伸びていき、膝裏に、それから脹脛へと。

 今度は上へ。肩回りの凝りをほぐし、肩甲骨回り、そして本丸の腰に行くと思いきや、臀部へと。

 お尻の横、柔らかい個所を、拳でグリグリと。

「ちょっ……いた……痛いよ」

「この辺が固いのも腰痛の原因ですから。ちょっとだけ我慢してください」

「お兄ちゃん逃げちゃ駄目だからね」

 そう言って桂が参戦。

 別に桂が逃げようとする文尚を押さえる必要はないのだが、美月一人の力で十分、それでも両手でしっかりと。

 逃げる術がなく、抵抗もむなしく、成すがままに。

 最初はグリグリと押され痛かった文尚であったが、徐々にイタ気持ち良いというこれまであまり体験したことのないような感覚が。

 お尻周辺を済まし、最後の仕上げでようやく腰に。

 マッサージ終了後、重たかった腰が軽くなったような気が。

「後でストレッチの仕方を教えます。いきなりは無理だけど、毎日継続して行っていたら前屈で指が床につくようになるはずです。それに腰痛対策にもなるし」

 一回り以上年下の少女にこんなことを言われては怒る人間もいるかもしれないが、文尚はそんな気分とは程遠い心理状態であった。というのも、わずか三十分という短時間で腰の違和感がものの見事に緩和した。美月の言うことを素直に信じられると思った。


 その後、桂の母親、それから桂の父親のマッサージも行い、成瀬家全員の身体をほぐし終えたのは日付の変わった頃だった。


 翌朝から毎日美月の教えに素直に従いストレッチを、とくにハムストリングの、継続して行っていた文尚の身体は約半年後、劇的な変化を。

 遠かった床に指がつくどころか、手のひらまでピッタリつくようになり、それに伴い愛車のKOGAキメラのスペーサをなくし、コラムカットをして、さらにはステム長を延ばして、そして憧れだったエアロハンドルに交換したのだが、それはまた別の話。



マッサージの話でした。

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